季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

田舎臭さ

2015年07月22日 | 音楽
五月の講座の折、不用意に発した「今の音は田舎臭い」に関してその真意を記事にした。今回の講座でも少し詳しくそれについて説明をした。

ところが講座後、別の人から「音がまずい時に言われるのは分かった。表現について田舎臭いと言われる場所はどんな意味があるのか」と再質問された。

僕が「田舎臭い」を実に多義に使っていることが分かった、などと格好つけている場合ではないね。

これでは何の時でも「ウッソー」とか叫ぶ女子高生と変わらないではないか。(最近は外出も殆どしないので、今の女子高生がそんな掛け声を発しているか、責任は持たないけれど)

ただ、幸いなことにどの様な場合に僕が「ウッソー」じゃあなかった「田舎臭い」と言うのか、自覚してはいる。僕の口癖に近いという自覚は欠けていたが。

ある表情が唐突に現れたり、いまひとつしっくりしない時に(いつもではないけれど)口から出るのである。

ここで断っておかねばならぬことは、僕は田舎が好きだということだ。僕自身、どこから見てもシティーボーイどころか、都会住まいですら、ない。

つまり、そう口にしている場合、欠陥をきつく指摘しているのではない、むしろ半ば好感を持ちながらのコメントだと思う。

思うなどと他人事のように書いたのも、自分がどんな時に田舎臭いと言っているのか思い返し、僕の心情を省みた結果だから。

重松のような田舎者に田舎臭いと言われた、とショックを受ける必要はないのである。