2013年は、出雲大社と伊勢神宮の両宮が、式年遷宮を行いました。
出雲大社と伊勢神宮の式年遷宮が、同じ年に行われたのは、
2013年が史上初めての事ですので、非常に大きな注目を集めました。
「かごめの唄」
かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる
夜明けの晩に 鶴と亀がすべった うしろの正面だあれ
興味あります。
検索かけるとヒットします。
そもそも、カゴメ歌の「鶴と亀が統べった」の「鶴」と「亀」とは何を示しているのでしょうか?
亀については、日本書紀には多数(合計9箇所)出てくるのですが、
古事記で「亀」が出てくる場面は、下記の1箇所のみです。
<古事記 中-1 神武天皇記>
亦從其國遷上幸而、於吉備之高嶋宮八年坐。
故從其國上幸之時、乘龜甲爲釣乍、打羽擧來人、遇于速吸門。
吉備の高嶋宮にいた神武天皇が大和へ東征する際に、明石の速吸門(はやすいのと)で、
亀に乗った人物(倭宿禰命=椎根津彦命)と出会います。
そして、その導きにより、神武天皇は大和を制圧する訳です。
この倭宿禰命は海部氏の祖先で、ニギハヤヒ命から数えて3世孫に当たる人物です。
すなわち、カゴメ歌における「亀」の象徴としては、海部氏の祖であり、
海部氏が主として祀る神社が、亀の象徴になっていると思います。
では、一方、「鶴」の象徴とは何なのでしょうか?
非常に面白いことに、、、古事記には「鶴」の文字は、一言も出てきません。
一方、日本書紀の方は2箇所出てきますが、こちらは人物名としてのみ出てきます。
1人目:五十日鶴彦命(崇神天皇第3皇子)
2人目:高鶴郎姫(履中天皇妃)
残念ですが、上記の「鶴」を名に持つ人物も、具体的な事跡がないので、
カゴメ歌の「鶴」という象徴から考えても、あまり関係が無さそうです。
では、「鶴」という象徴が、記紀と全く関係がないか?と言えばそうではありません。
「鶴」は、記紀にも出てくる倭姫命(やまとひめのみこと)が深く関わっています。
倭姫命は、天照大神を伊勢神宮に導いた人物として有名ですが、
その倭姫命が書いた「倭姫命世記」という本に、「鶴」の事が詳しく書かれています。
伊雑宮こそが「鶴」の象徴
下記は、倭姫命世記の中の一説です。
「倭姫命世記」より引用
二十七年[戊午]秋九月、鳥の鳴声が高く聞えて、昼夜止まず囂ししかったので、
「此、異し」と宣して、大幡主命と舎人紀麻良を、使に遣って鳥の鳴く処を見させた。
行って見ると、嶋国の伊雑の方上の葦原の中に稲一基があり、
根本は一基で、末は千穂に茂ってゐた。
その稲を白真名鶴が咋へて廻り、つついては鳴き、
これを見顕すと、その鳥の鳴声は止んだ。かく返事を申上げた。
倭姫命が宣ふに、「恐し。事問はぬ鳥すら田を作る。皇太神に奉れる物を」と詔して、
物忌を始められ、彼の稲を伊佐波登美神をして抜穂に抜かしめて、
皇太神の御前に懸久真に懸け奉り始めた。
その穂を大幡主の女子乙姫に清酒に作らせ、御餞に奉った。
千税を始奉る事、茲に因る也。彼の稲の生ひし地は、
千田となづけ、嶋国の伊雑の方上にある。
その処に伊佐波登美の神宮を造り奉り、皇太神の摂宮と為した。
伊雑宮がこれである。
彼の鶴真鳥を名づけて大歳神といふ。
上記を見れば分かりますが、鶴が稲穂をくわえ、その穂を落とした所が、
伊勢神宮内宮の別宮である「伊雑宮(いざわのみや)」です。
したがって、日本の歴史書から考えると、、、
「鶴」の象徴は、「伊雑宮」である可能性が非常に高いと言えます。
伊雑宮の遷宮が行われる2014年11月です。
それで、大事な事なんですが・・・
伊勢神宮の内宮・外宮の式年遷宮は、2013年10月に行われましたが、、、
伊勢神宮の別宮の式年遷宮は、約1年遅れで行われる日程になっているのです。
つまり、伊雑宮の式年遷宮は、来年2014年11月です。
管理人もてっきり、2013年に伊雑宮の遷宮もあるとばかり思っていましたので、
ちょっとこれは盲点でした^^;