志摩市議会は29日の本会議で、同市浜島町の市営診療所跡地の市への寄付を巡る問題に絡み、
跡地の施設整備事業費約4740万円を削除した新年度一般会計当初予算案を可決した。
問題を巡っては混乱の責任をとり柴原時男副市長(66)が辞職、
大口秀和市長が4月分給与の15%減給をそれぞれ表明し、
減給条例案も可決された。副市長は4月以降、当面、空席となる。
4月分はさらに15%減で58万5000円となる。
このほか任期途中の3月末で辞職する前田藤彦教育長(63)の後任として、
市立大王中校長の中山久章氏(60)の選任案に同意した。
中山氏は市立東海中教頭や県教委生涯学習室副室長などを歴任した。
任期は3年。
2016年3月26日
北海道新幹線開業もですが!
名松線の運行再開です。
北海道新幹線が開業した2016年3月26日(土)、三重県では名松線というローカル線が廃止の危機を乗り越え、全線で運行を再開しました。2009(平成21)年10月の台風18号で被災して以来、およそ6年半ぶりのことです。
名松線は、松阪駅(三重県松阪市)と伊勢奥津駅(同・津市)のあいだ43.5kmを結ぶJR東海の路線。そのうち家城~伊勢奥津間の17.7kmが2009年10月8日の被災以降、バスによる代行運転になっていました。
「名松線は『奇跡の名松線』といわれています。自然災害から6年半かかっての運行再開は日本記録です。11万6000人分もの署名が集まるなど、強い熱意がそれを実現しました」(津市・前葉泰幸市長)
鉄道路線が台風などで被災し、そのまま廃線になる例はJR東日本の岩泉線(岩手県、2014年廃止)、高千穂鉄道(宮崎県、2008年廃止)など少なくありません。このたび運転を再開した名松線の被災区間も一時、その可能性が高まっていました。
JR東海は2009年10月29日、被災した名松線について松阪~家城間は引き続き鉄道で運行するものの、家城~伊勢奥津間はバス輸送に変更する方針を示します。地形が急峻で自然災害を受けやすい区間であること、仮に復旧しても再び被災し、列車運行に大きな影響が出る可能性がその理由です。また運賃などについては、鉄道とバスで分けず通算するなど、従来の考え方を維持していくとしました。
名松線の一部廃止が具体化するなか、沿線住民と自治体は、「鉄道」は生活に欠かせない交通機関であり、また観光などによって地域を活性化させる重要な基盤であるとして、復旧・存続を求める運動を展開。そして2011年5月、三重県と津市が治山工事と水路の整備、その維持管理を行い、JR東海が鉄道施設を復旧するという協定が結ばれ、このたびの運行再開にいたっています。
協定が結ばれたのは、東日本大震災の2ヶ月後です。鈴木英敬三重県知事は、震災による閉塞感が日本全体に漂っていたなか、ひとつの希望としてその三者協定を結んだと話します。
ただ名松線には、大きな課題があります。
運行が再開された家城~伊勢奥津間は山あいを行く人口減少が進んでいる地域で、1987(昭和62)年に約430人だった1日における同区間の利用者は、2008(平成20)年には約90人とおよそ8割も減少。そして被災後、家城~伊勢奥津間で運行されていた列車代行バスは、被災前の鉄道時代よりさらに少ない1日およそ30人、1便あたりでは3人程度の利用になっていました。
また被災前の2008年、名松線は全体で年間およそ7億6000万円の赤字。同線は昭和40年代から「赤字83線」「特定地方交通線」として廃止の対象になってきましたが、並行道路が未整備だったことから存続した経緯があります。しかし現在では代行バスが問題なく運行されていたように、道路の改良が進展しました。
今回の復旧に要した費用は、三重県と津市が合計で約12億円、JR東海が約4億6000万円です。
災害から復旧したものの、わずか10年程度で廃止になった例があります。長崎県を走る島原鉄道の島原外港~加津佐間は1990年代、雲仙普賢岳の噴火で被災。復旧するも、利用の低迷などから2008年に廃止されました。
福島・新潟県を走るJR東日本の只見線など、自然災害で被災したまま利用者の少なさ、費用から具体的な復旧のメドが立っていない鉄道路線も複数あります。
また、2016年度の廃止が予定されている留萌本線(JR北海道)の留萌~増毛間は、1列車あたりの乗客が約3人です。
「復活した名松線を、生活路線としてのみならず、沿線の観光資源を活かしてひとりでも多くの方に利用していただきたいです。そうして人が増えてきて初めて、『復旧して良かった』といえると思います」(JR東海・柘植康英社長)
名松線の利用者を増やすため、沿線自治体や市民団体が現在、クルマで来て列車に乗ってもらう「パークアンドライド」やレンタサイクルの整備、懐かしいボンネットバスの運行といった取り組みを実施中です。また終点の伊勢奥津駅付近は伊勢本街道の宿場町で、いまもその風情が残ります。
今後どれだけ利用者を回復できるか、復活して良かったと心から喜べるか、ローカル線の未来は関係者の「知恵と工夫」(JR東海・柘植社長)にかかっています。
伊勢志摩サミット開催までちょうど60日前になる3月27日、竹の明かりで志摩を明るく彩ろうと「竹あかりワークショップ」が磯部町生涯学習センター(志摩市磯部町、TEL 0599-55-0142)で行われる。主催は「竹あかりYOKOSOプロジェクト」。
同プロジェクトは、竹を使ったイベントや竹を有効活用し循環型社会を作ろうと熊本県で活動するグループ「CHIKAKEN(ちかけん)」(熊本市)と「伊勢志摩女子サミット」や「LGBTブライダルショー」などを展開する伊勢志摩まちづくり団体「楽笑(Raku-Sho)」(志摩市磯部町)が中心となって志摩市の有志らが「伊勢志摩サミットで訪れる人たちに『おもてなしの心』を届けよう」と企画。
同プロジェクト開催は、今年1月に内閣総理大臣公邸で行われた「第3回SUPER VISIONSフォーラム」に参加した楽笑の岩城裕子さんとCHIKAKEN の三城賢士(みしろけんし)さんらがその場で出会って「何かしたいね」と会話したのがきっかけ。同フォーラムは、「田舎から日本を変えよう!」と、日本各地で地方創生にチャレンジしている人たちを集め、その活動報告や勉強会、参加者同士の交流を目的に、安倍昭恵総理夫人らの協力で開催されている。
ワークショップでは、三城さんが「竹あかり」の作り方を手ほどきする。岩城さんは「作業は30分から1時間。約100人分ぐらい竹を切って準備した。完成した『竹あかり』は持ち帰っていただき、お家でも明かりを灯していただければ。子どもや友だちを連れて気軽に参加してほしい」と参加を呼び掛ける。
受付12時30分~16時、作業開始13時~。参加費無料。
北海道・函館と東京を直結する北海道新幹線が26日、道民らの熱い期待を乗せて走り出した。新函館北斗駅(北海道北斗市)を出発した上り一番列車「はやぶさ10号」では、車掌がアナウンスで青函トンネルの歴史を解説するなどした。
午前5時、新函館北斗駅の温度計はマイナス2・3度。吐く息が白い。午前6時35分、発車ベルが鳴り、新型車両H5系がゆっくり滑り出すように出発した。
まぶしい朝日を浴びた函館山が左手に見え始め、窓の外にはどこまでも続く大地が広がる。「函館山を眺めながら北の大地を駆け抜けております」とアナウンスが入る。道民の期待を示すように、沿線では多くの人が手を振っていた。畑の真ん中で農作業の手を止めて手を振る人もいた。
13分後、木古内駅(木古内町)を出発し、列車はいよいよ青函トンネルへ。そこで車掌が青函トンネルの歴史を語り始めた。「昭和63年の開通までに多くの苦労がありました。海面下という特殊な環境の中で世界に誇る技術を生み出し、困難に打ち勝ってきました」
トンネル開通時にも一番列車に乗った経験があるという北斗市の会社員、山本博幸さん(45)はアナウンスを聞き、「あれから30年。まさかこの日が来るとは」と話し、真っ暗な車窓を見つめた。解説は開通工事で34人が亡くなったことにも及んだ。岡山市の公務員、森寄幸さん(56)は「きっと亡くなった方も新幹線を見て喜んでいるはず」とそっと手を合わせた。
トンネル内で新青森発新函館北斗行き下り一番列車「はやて91号」とすれ違ったが、気付かない乗客がいたほど車内は静か。北海道名寄市の公務員、村田貴久さん(38)は「在来線の特急列車と違ってゴーという音がしない」と乗り心地に満足していた。
午前7時21分、本州へ上陸。新青森駅から先はJR東日本が管轄する東北新幹線区間のため、乗務員は交代する。1時間6分の初任務を終え、新青森駅のホームに降りたJR北海道の運転士を、にぎやかな祭(まつり)囃子(ばやし)が出迎えた。(
伊勢志摩サミットも
あと69日をきりました。
69っと言う数字は
坪井大先生からの由来です。
3連休初日に休みをいただきましたが
やはり、身体のメンテナンスのため
リハビリにいきました。
やっとヤフオクで落札したポルテのパーツも
届きましたが・・・
※加工必要・・・
オルリファストを飲んでまして
どうもUNKOの臭いが!
「極悪」ですね・・・
※個人差はありますが!体臭に残らないように・・・
まだ今年になってから3ヶ月ですが!
ドタバタ劇してます・・・
※配置転換してから酷くなった・・・
ガマンも肝心ですが
ストレスを貯めないようにします・・・
【鳥羽】鳥羽市浦村町でカキ養殖業を営む「やま栄水産」(山下栄造代表)が挑む、
カキやワカメの加工販売などに関する事業計画が十四日、
農林水産省東海農政局三重支局から市で初めて認定を受けた。
認定は、生産から加工、販売まで一体化して行う「六次産業」を通して、
地域の雇用創出や農林漁業者の経営力の向上を図るのが狙い。
「六次産業化・地産地消法」に基づいて農林水産省が認定証を交付し、
認定事業者は、専門家からの助言や補助金などが受けられる。
同社では、浦村カキやワカメなどの海藻を生産。
平成二十二年からは「焼きカキ小屋」を開設した。
客から「(カキ)を旬以外の時季にも食べたい」などの要望を受け、
カキのつくだ煮やカキフライなどの加工品の販売や新たに岩ガキの養殖に乗り出す計画を策定したという。
市役所で開かれた交付式で、山下代表は「加工は初めてだが、頑張っていきたい」と意気込みを語った。
木田久主一市長は「魚介類を捕ってくるだけでなく、
販売までつなげる素晴らしい取り組み。認定がゴールではなく、
スタートだと思って頑張ってほしい」とエールを送った。
第六次産業とは?
六次産業(ろくじさんぎょう)とは、農業や水産業などの第一次産業が食品加工・流通販売にも業務展開している経営形態を表す、農業経済学者の今村奈良臣が提唱[した造語。また、このような経営の多角化を6次産業化と呼ぶ。
(本項のタイトルは、冒頭に「第」という文字が着いているが、これはタイトルの付け間違えである。「第六」つまり「六番目」という意味は、本項の内容とは無関係である。「第六次産業」などという言葉はない。)
農業、水産業は、産業分類では第一次産業に分類され、農畜産物、水産物の生産を行うものとされている。だが、六次産業は、農畜産物、水産物の生産だけでなく、食品加工(第二次産業)、流通、販売(第三次産業)にも農業者が主体的かつ総合的に関わることによって、加工賃や流通マージンなどの今まで第二次・第三次産業の事業者が得ていた付加価値を、農業者自身が得ることによって農業を活性化させようというものである。
六次産業という名称は、農業本来の第一次産業だけでなく、他の第二次・第三次産業を取り込むことから、第一次産業の1と第二次産業の2、第三次産業の3を足し算すると「6」になることをもじった造語[であったが、現在は、第一次産業である農業が衰退しては成り立たないこと、各産業の単なる寄せ集め(足し算)ではなく、有機的・総合的結合を図るとして掛け算であると今村が再提唱している。
付加価値として、農業のブランド化、消費者への直接販売、レストランの経営などが挙げられる。
第一次産業に付加価値をつけて高度化を目指すという観点では、1.5次産業化に類似しているが、6次産業は加工、流通を複合化させるという視点がより、明確である。
各次の産業の連携による農村の活性化や、農業経営体の経営の多角化のキーワードとして提唱される。
悩みました・・・
朝から床屋へ行く前に
ポルティーくんを洗車しました。
中部地方整備局道路気象情報を携帯電話へ
メール受信設定しています。
三重県内のみ走行?なら大丈夫と(勝手に)判断!?
夏タイヤに交換しました。
また余裕があれば、
タイヤを交換に行きたいと思います。
国連の潘基文事務総長が5月に日本を訪問し、
主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)の関連会合に出席する方向で最終調整していることが12日分かった。
先進7カ国(G7)首脳らと地球温暖化を含む環境・エネルギー問題などを討議する予定だ。
複数の国連高官が明らかにした。
滞在中に安倍晋三首相ら政府要人との会談も検討する。
今年国連加盟60年を迎える日本のこれまでの貢献に謝意を伝え、
北朝鮮の核・ミサイル問題についても意見交換する見通し。
日本政府は悲願とする安全保障理事会の常任理事国入りに向け、
安保理改革実現への協力を求めるとみられる。
潘氏の任期は年末まで。
これまでに計8回訪日している。
今回実現すれば仙台で開かれた国連防災世界会議に出席した2015年3月以来。
サミットでは08年の北海道洞爺湖サミットの拡大会合などに参加したことがある。
管理人談話~
※差別的hなコメントもでるかと思います。ご了承してください。
以前に「サミットでは08年の北海道洞爺湖サミットの拡大会合などに参加したことがある。」っと
記載してありました。
2016年末で国連事務総長終了。
次期韓国大統領を立候補スル見込みで、日本もそうですが経済も不安定。
2016年3月12日にて国連本部で元慰安婦と面会。
面会は、慰安婦問題の解決を巡る昨年末の日韓合意に反対している元慰安婦の支援団体「韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会」(挺対協)の要請で行われ、尹美香(ユンミヒャン)代表が同席した。潘氏が事務総長として元慰安婦に面会するのは初めて。
面会は冒頭の一部以外は非公開で行われた。挺対協や吉さんは、日韓合意を歓迎する考えを示してきた潘氏に対する不満を伝えたという。潘氏は面会後、「彼女たちが経験した苦しみや痛みに同情する。日韓合意が人権の原則に沿って忠実に履行されることを希望する」との談話を発表した。
まさにG7で日本を貶める「ディスカウントジャパン」を印象つけると思われます。
また、伊勢志摩サミットにて「金」を出させようっと見え見えです。
まずはG7とは?
G7(ジーセブン)は、"Group of Seven"の略で、フランス、アメリカ、イギリス。ドイツ、日本、イタリア、カナダの7つの先進国のことである。先進7か国ともいい、中国では七国集団と表現している。国際通貨基金の国際通貨金融委員会や総会の際に併せて開かれる、これら7か国の財務大臣・中央銀行総裁会議のことを指すこともある。
G7も大事かと思いますが、ISなど紛争があるところの制圧がだいじかと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=X4lin4R-U_c
結論から言うと
「日本に来なくていい」
「教えない」「助けない」「関わらない」です。
プロレスラーのハヤブサこと江崎英治さんが、くも膜下出血で3日に亡くなっていたことを4日、所属事務所がマスコミ各社にFAXで報告した。47歳だった。
江崎さんは、91年にFMWでプロレスデビュー。その後、覆面レスラーのハヤブサに変身し、得意技のファルコンアロー、フェニックス・スプラッシュなどを駆使し活躍。師匠の大仁田厚にも挑戦した。2001年にリングでけいつい損傷し、以来、車いす生活を余儀なくされていた。通夜、葬儀は近親者のみで執り行い、後日、「ハヤブサを偲ぶ会」が催される予定。
ハヤブサ 本名・江崎英治。1968年11月29日、熊本・八代市生まれ。91年FMWに入門し、同年5月5日、愛知・名古屋国際会議場大会でデビュー。FMW認定2冠統一、WEWタッグなどのタイトルを奪取し、エースの座にのぼりつめた。95年には師匠・大仁田厚の「引退試合」の相手も務めたが、2001年10月、リングで頭部を強打し、外傷性頚椎(けいつい)損傷で引退を余儀なくされた。その後車いす姿でテレビ出演などをこなしていた。
消費税も来年からだったね・・・
10パーセント・・
しかし
思い込みって怖いっと最近思いました。
約束の日も・・・
なんだろう・・・
忘れっぽくなってきたかと・・・
年齢から?
もともとから?
ストレス?
消去法でみても
全てあてはまる・・・
生活習慣の見直しが必要かなぁ・・・