スーパーカブで旅するタイ北部やタイ&ラオス路線バスの旅、さらには山岳少数民族の村々を巡る旅ですっかりE&Gの第2の拠点となった感のあるチェンマイの町。今日は少しタイムスリップをして私が初めてこの町を訪れた時の思い出話を書いてみたいと思います。
当時私は20歳。大学1年生の春休み。なぜか無謀にも一人旅なんて簡単にできると勘違い。航空券が今ほど安くない当時、大学生のアルバイトで稼いだ程度で飛べる行き先はタイがせいぜいなところでした。ガイドブックを抱いて、バンコクに着いたときは一人前の旅人になった気分。
ところが当時のバンコクでは英語はほとんど通じません。もともと人とコミュニケーションをとるのが得意でなかった私は途方に暮れるばかり。そんな困難を何とか乗り越え、夜行列車が駅に到着した時に客引き数人と話した結果一番安かった(1泊25バーツ/当時)”オーキッドゲストハウス”(現存しません)にたどり着いてとにかく足場だけ確保することができました。
とにかく旅慣れない私は毎日どうしてよいかわかりません。それでもガイドブックに鼻を突っ込んでドイステープへ行ってみたり、チェンマイの町を散策してみたりして日々を過ごしていました。
朝はゲストハウスの中庭のテーブルで紅茶を1杯注文して、持参した文庫本を読んだり、あるいはガイドブックを見ながら小一時間を過ごしてから出かけるのが日課でした。アジア人宿泊客は私一人だったのと、おそらく私が毎日不安気だったので皆の目を引いたのかもしれませんが、ゲストハウスの若いスタッフ達が何かと気を遣って声をかけてくれます。若い女性の従業員も多く、同じく若かった私は悪い気はしません。そのうち、紅茶を飲みながら誰かと雑談するのが日課となりました。
当時のチェンマイではまだナイトバザールがとても栄えていた時代。それから、ゲストハウスのシャワーは水シャワーだった時代です。
日が落ちると水シャワーは冷たいので夕方日が落ちる前にシャワーを浴びるようにしていました。夕方になるとシャワーを浴び、着替えてナイトバザールへ。ナイトバザールのバス停にあったレストラン街(屋台街)やナイトバザール周辺のレストラン、屋台で夕食を食べてから、用もないのにナイトバザールを散策して歩くのは私の夕方の日課となっていたのです。
ナイトバザールで並べられている色とりどりの刺繍製品を眺めたり、客と売り子の値切り合戦のやり取りを眺めたり、歩き疲れてすごく甘いスイーツを食べてみたり、そんな無為な時間がとてもお気に入りでした。往来する人々を眺めているだけでも時間を忘れそうになったものです。
ある日、ナイトバザールでの夕食の後、いつも通りにナイトバザールを散策してからビールを1本。遅い時間に千鳥足でゲストハウスへ帰ったことがあります。
翌朝の事。いつも通り中庭のテーブルで紅茶を注文。ゆったり紅茶を飲んでいると、またいつものごとくゲストハウスの若い女性のスタッフが”昨夜はどこへ行ってたの?”と尋ねながら、向かいの席に座ったのです。
私は”ナイトマーケット”と。
私が持っていた英語版のチェンマイ観光地図(チェンマイで入手)には”Night Market"と書かれていたのです。
その瞬間。彼女の表情が急変。無言のまま席を立って何処かへ行ってしまいました。
1人紅茶を飲む私。なぜか女性スタッフ全員が私と目を合わせようともしないし、このテーブルを避けて通っているようです。
そのうち、今度は男性スタッフが数人私のテーブルへ。
”昨日は楽しんだって?”
ナイトバザールを散策して、ほろ酔いで楽しかった私は
”楽しかったよ”
男性スタッフたちは口々に囃し立てて言うのです。
”ハンサムボーイ!”
ここで私は気が付きました。どうやら”ナイトマーケット”と言った意味がナイトバザールとは違うナイトライフの意味で伝わっているようです。
翌朝になっても女性スタッフからの不人気は衰えません。誰も紅茶のオーダーを聞きにも来てくれません。男性スタッフはニタニタしながら”夕べも行ったか?”と。
まずいことになりました。
私はゲストハウスの女性スタッフを束ねている姉さん格(といっても30歳位か)のスタッフに声をかけました。とても不機嫌そうな表情で、それでも私のところへ来てくれた彼女に”一昨日、ナイトマーケットに言ったと皆に言ったんですが、誤解があるみたい。ナイトバザールに行って、食事して、店を見て回ってビールを飲んで帰ってきただけ。何か皆さん違う意味でとらえてませんか?”と説明を試みます。
彼女は”いや、誰も違う意味にはとらえてないですよ。”と言いましたが、先ほどまでとは打って変わって和らいだ表情になったのでした。その後、しばらくチェンマイの印象や日本の事など雑談したりしながら一緒に時間を過ごすことができました。
その日の午後には皆の態度も平常に戻り、ホッとしたのでありました。
当時私は20歳。大学1年生の春休み。なぜか無謀にも一人旅なんて簡単にできると勘違い。航空券が今ほど安くない当時、大学生のアルバイトで稼いだ程度で飛べる行き先はタイがせいぜいなところでした。ガイドブックを抱いて、バンコクに着いたときは一人前の旅人になった気分。
ところが当時のバンコクでは英語はほとんど通じません。もともと人とコミュニケーションをとるのが得意でなかった私は途方に暮れるばかり。そんな困難を何とか乗り越え、夜行列車が駅に到着した時に客引き数人と話した結果一番安かった(1泊25バーツ/当時)”オーキッドゲストハウス”(現存しません)にたどり着いてとにかく足場だけ確保することができました。
とにかく旅慣れない私は毎日どうしてよいかわかりません。それでもガイドブックに鼻を突っ込んでドイステープへ行ってみたり、チェンマイの町を散策してみたりして日々を過ごしていました。
朝はゲストハウスの中庭のテーブルで紅茶を1杯注文して、持参した文庫本を読んだり、あるいはガイドブックを見ながら小一時間を過ごしてから出かけるのが日課でした。アジア人宿泊客は私一人だったのと、おそらく私が毎日不安気だったので皆の目を引いたのかもしれませんが、ゲストハウスの若いスタッフ達が何かと気を遣って声をかけてくれます。若い女性の従業員も多く、同じく若かった私は悪い気はしません。そのうち、紅茶を飲みながら誰かと雑談するのが日課となりました。
当時のチェンマイではまだナイトバザールがとても栄えていた時代。それから、ゲストハウスのシャワーは水シャワーだった時代です。
日が落ちると水シャワーは冷たいので夕方日が落ちる前にシャワーを浴びるようにしていました。夕方になるとシャワーを浴び、着替えてナイトバザールへ。ナイトバザールのバス停にあったレストラン街(屋台街)やナイトバザール周辺のレストラン、屋台で夕食を食べてから、用もないのにナイトバザールを散策して歩くのは私の夕方の日課となっていたのです。
ナイトバザールで並べられている色とりどりの刺繍製品を眺めたり、客と売り子の値切り合戦のやり取りを眺めたり、歩き疲れてすごく甘いスイーツを食べてみたり、そんな無為な時間がとてもお気に入りでした。往来する人々を眺めているだけでも時間を忘れそうになったものです。
ある日、ナイトバザールでの夕食の後、いつも通りにナイトバザールを散策してからビールを1本。遅い時間に千鳥足でゲストハウスへ帰ったことがあります。
翌朝の事。いつも通り中庭のテーブルで紅茶を注文。ゆったり紅茶を飲んでいると、またいつものごとくゲストハウスの若い女性のスタッフが”昨夜はどこへ行ってたの?”と尋ねながら、向かいの席に座ったのです。
私は”ナイトマーケット”と。
私が持っていた英語版のチェンマイ観光地図(チェンマイで入手)には”Night Market"と書かれていたのです。
その瞬間。彼女の表情が急変。無言のまま席を立って何処かへ行ってしまいました。
1人紅茶を飲む私。なぜか女性スタッフ全員が私と目を合わせようともしないし、このテーブルを避けて通っているようです。
そのうち、今度は男性スタッフが数人私のテーブルへ。
”昨日は楽しんだって?”
ナイトバザールを散策して、ほろ酔いで楽しかった私は
”楽しかったよ”
男性スタッフたちは口々に囃し立てて言うのです。
”ハンサムボーイ!”
ここで私は気が付きました。どうやら”ナイトマーケット”と言った意味がナイトバザールとは違うナイトライフの意味で伝わっているようです。
翌朝になっても女性スタッフからの不人気は衰えません。誰も紅茶のオーダーを聞きにも来てくれません。男性スタッフはニタニタしながら”夕べも行ったか?”と。
まずいことになりました。
私はゲストハウスの女性スタッフを束ねている姉さん格(といっても30歳位か)のスタッフに声をかけました。とても不機嫌そうな表情で、それでも私のところへ来てくれた彼女に”一昨日、ナイトマーケットに言ったと皆に言ったんですが、誤解があるみたい。ナイトバザールに行って、食事して、店を見て回ってビールを飲んで帰ってきただけ。何か皆さん違う意味でとらえてませんか?”と説明を試みます。
彼女は”いや、誰も違う意味にはとらえてないですよ。”と言いましたが、先ほどまでとは打って変わって和らいだ表情になったのでした。その後、しばらくチェンマイの印象や日本の事など雑談したりしながら一緒に時間を過ごすことができました。
その日の午後には皆の態度も平常に戻り、ホッとしたのでありました。
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