旅のウンチク

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ゆとり教育とブータン

2007年07月04日 | 時事
子供たちの学力の低下が問題となりはじめ、教育現場の問題点が指摘されていますが、子供を持つ親として眺めていると、どうも子供の学力低下の最大の原因は親にあるのではないかと思えてきます。おそらく親は私と同世代、受験戦争が叫ばれていた時代に育った人々。その中で勉強ができなくて辛い思いをした人々が親になって自分の子供にだけはそういう思いをさせたくないと"ゆとり教育"を後押ししてきたように見受けられます。学校教育には"ゆとり"を主張しながら、自分の子供だけは遅くまで塾に通わせて"抜け駆け"を図るセコさも競争の中で培われた精神なのかもしれませんね。

ゆとり教育そのものには重大な問題があります。勉強ができるとかできないというのには子供それぞれの興味の段階の違いとかが影響するわけですから、それを全体的にゆとりに振るのは、それでは物足りないだけの興味を持っている子供が自分の能力に見合った教育を受ける権利を奪っている事でもあるのです。そして、それと同時に教育を受ける権利という観点から見ると、学校での学習についていけない子供が、理解できるまで教育を受ける権利というものも省みられた事がないように思えます。

この点では自分の子供よりも私自身に苦い記憶があります。私の記憶では私が中学、高校で最も得意としていた教科は生物。化学もそれほど不得意ではありませんでした。ところが数学が苦手。こうなると、理系、文系に分類できないポジションになるわけですが、数学が苦手な事から自動的に文系という分類がなされて、その後の人生に大きく影響していき今に至っているわけです。

実は数学が苦手となった事自体も中学生の頃から自分で理由がわかっていました。小学校の頃はそれほど苦手意識のなかった教科だったのですが、中学に入った頃、分数の足し算と掛け算の計算方法を一瞬、混同してしまい、上手くいかなくなった事がありました。これがもう一度理解できるまで少し時間がかかったわけですが、その頃、小学校高学年で習った分数の計算を自分が上手く扱えなくなっている事まで自分で分析できていても、それについて教え直してくれる制度は日本の教育制度にはありませんでしたから、もう一度独学で理解しなおすしかないわけです。この出遅れに対処しようとしているうちに置いていかれた事を記憶しています。

その後、大学生になって、家庭教師などをやりはじめると、中学生の中に私と同じように分数の計算で混乱する子が非常に多く、"これは教育制度上の教え方の問題ではないか"と思わされたものです。

少し話が逸れました。

私は今でも"あの時、落第させてくれていればもう少し数学を理解できた状態で先へ進めたのになぁ"と思うのです。教育を受ける権利というのは本当はこういう事なのではないかと思うのです。つまり、小学校卒業に必要なカリキュラムというもののレベルを下げる事ではないと思いますし、レベルを上げて徒に脱落者を出す事でもないと思うのです。卒業した時には皆がかなり高いレベルで規定の学力が身についていれば、子供の将来への自由度も高くなると思うのです。

ブータンという国があります。国民総生産ではなく、国民総幸福を目指すという独特の考え方を導入している社会ですが、そこでは小学生から落第があるという話を聞いて、少しうらやましいと感じた次第です。


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