山に登る人や砂漠を走るラリーに出る人など世の中には周囲から見れば変質者としか思えない、自分をイジめてやたらと喜んでいる種類の人間が存在します。そしてかく言う私も学生時代には山岳部に所属していたり、バイクに乗り始めてからはひょんなきっかけでラリーに出てしまったりした、その種類に属する人間です。
こういう種類の人間はどうしてわざわざ高いお金を払ってまで自ら面倒や苦労を背負い込もうとするのかわからない人も多いでしょう。そして、こういう種類の人間の側だって、それを上手く言い表す事ができないのですが、実際の所、少々面倒で苦労して、ちょっと怯える位の遊びが一番面白いと思っている、あるいは知っているという事です。世界一過酷と言われるダカールラリーに毎年200台からのバイクが出場する事は、世界的に見てもそういう遊びが面白いと思っている人がたくさんいるという事です。あるいは変質者がたくさんいるという事かもしれませんが。
私自身もこういう遊び方が好きですし、私にとっては旅もそういう類の遊びの一つであったわけですが、最近、何が面白くてこういう遊びが好きなのかに一つ説明がついた気がしました。
今、自分にとって過酷であったり難しいと思う事というのは、自分にとって未知な事であったり、知識や経験が不足している事であったり、技術が不足している事にあてはまるのではないでしょうか。例えば、いつも家で寝起きしている人間にとっては野外で一夜を過ごすのは過酷な体験になるでしょうし、どうして"宿"に泊まらないのか理解できないという話になるでしょう。ところが、何かの機会に一度キャンプでもしてみれば、それは既に経験のある事として、今までよりも過酷さは薄れていき、逆に今まで家や宿に縛られていた生活がキャンプという新しい選択肢を得る事に繋っていきます。
自分が苦手、過酷と感じる事に夢中で取り組むのは、それを越えた先に今まで見えなかった世界が見えるかもしれないと知っている人の遊び方。皆、過酷さを楽しんでいるのではなく、それを乗り越えた先に新しい価値観、世界観が広がっていると信じて、目の前の過酷さと闘っているのだと思います。 旅にも不安や苦労はつきものですが、それを乗り越えた先には新しい世界観が広がっている。そんな旅をしようではありませんか。
オフライン旅のウンチク。旅の座談会を開催します。
詳しくはホームページをご覧ください。
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自分が苦手、過酷と感じる事に夢中で取り組むのは、それを越えた先に今まで見えなかった世界が見えるかもしれないと知っている人の遊び方。皆、過酷さを楽しんでいるのではなく、それを乗り越えた先に新しい価値観、世界観が広がっていると信じて、目の前の過酷さと闘っているのだと思います。 旅にも不安や苦労はつきものですが、それを乗り越えた先には新しい世界観が広がっている。そんな旅をしようではありませんか。
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