旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

感心と関心

2017年11月06日 | 旅行一般
 スウェーデンの作家であるカーリン・アルヴテーゲンの小説バタフライ・エフェクトの中に面白い文章を見つけました。主人公の1人が自分の人生を振り返るシーン。

自分の旅を振り返るシーンを少し引用してみます。

 ”まるで追い立てられるように、あちこちスリリングな場所へ旅をしたけど、たいていは地図と首っ引きで歩き回っていた。”

 ”ただ、チェックリストに印をつけただけだ”

 ”そこなら行ったことある、と言えるようになるための手段。そこまで旅や冒険が好きなら、きっと面白い人と思ってもらえるから。”

 ”他人を感心させられるようなことでなければだめだった。その可能性がなければ、やってみようとすらしなかった。”

  このそれぞれの言葉には私もしっかり思い当たる事があります。いや、最初の頃は他人に感心されたくて1人旅していたのがもしかすると唯一の動機だったかもしれません。何処かへ出かけて帰ってくれば、案の定、色々な人に感心されます。だからどんどんこの動機は膨らんでいって、バイクをパキスタンへ送ってヨーロッパへ向けて走った頃には最高潮に達していたと思います。だから、ヨーロッパへ入って、国境で出入国のスタンプが省略されるような場合でも、わざわざ入国管理局のオフィスへ赴いてスタンプを押してもらったものです。何カ国へ行ったかを指折り数えて、それが一つの自慢のネタでもありました。

 他の旅行者を相手に、行った国の数や、どんなに変わったところへ行ったかで必死につま先立ちして、張り合おうともしていました。

 ところが旅を続けていると、旅先で出会う人達の中には5年、10年旅しているひとなんてザラにいて、”感心させる”どころか”感心させられる”事ばかりでした。

 必死に張り合おうとしていた自分は、必死に爪先立ちするよりもこの人たちを観察して学んだ方が良いということに気が付きました。その頃、ようやく”他人を感心させられるようなことでなければだめ”という考え方から解放されたのだと思います。

 いつの間にか自分の訪れた国を指折り数えるのをやめてしまいました。
 そして、自分の興味は他人との関係を離れ、かといって異文化への興味という高尚な次元には至らず。未知の世界に自分が対処し、適応できるのかどうかに移って行ったのでありました。


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