旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

KYなシマウマ

2010年03月10日 | その他
サバンナで暮らすシマウマの場合、テレビなんかで見ていると、群れにはそれなりの社会的秩序があって、例えば、群れにライオンが接近してきたら、群れの外周部にいるシマウマがそれに気がついて逃げはじめ、群れ全体がそれに気がついて一斉に逃げ始めます。ところが、肉食動物の狩猟のシーンでは必ず群れの中で逃げ遅れたり、皆と違う方向へ走ってしまったりするシマウマがいて、それが餌食となってしまいます。少し前に流行った言葉で言えば、"KY"なシマウマが餌食になってしまうわけです。ある視点から見れば、"KY"なシマウマがいるから、ライオンも食事にありつけるということでしょうか。

皆と違う行動をとってしまう生物のうちで魚の話も聞いたことがあります。サケ科の魚は稚魚の時代に他の個体より少し大きな数個体が他の個体とは別の行動を選択して、海へ下らずに川で過ごすという話。すべての個体が海へ下ってしまうと、次の産卵の時期までに川がせき止められるなど大きな環境の変化があった場合に絶滅してしまう可能性が高まるので、異なった行動をとる個体が発生するようにできているという説明だったと思います。場合によっては"KY"な魚だけが生き残る場合もあるということです。

こういう話を見ていると、自然界というのはうまくできたもので、特に群れをなして行動する生き物にはもともと、皆が完全に同一の行動をとらないようにプログラムされている部分があって、それがライオンの餌を提供するという意味をもつ場合もあれば、群れ全体が危機に陥った場合でも子孫を残すという意味をもったりする場合もあるわけです。"KY"が生き残る場合もあれば、"KY"が餌食になる場合もあります。そしてなにより"KY"な存在にも存在理由があるのです。

人間の場合、幸いにして、シマウマとは違って、"KY"だからといっていきなりプレデターやエイリアンに食べられてしまう事はありません。このことが人類の繁栄に大いに関わっているのではないかと思うのです。

失敗すると即座に”餌食”になってしまうシマウマとは違って、人間の場合、失敗しても社会がある程度は許容して、カバーしてくれるシステムを持っていて、だから本能とか、全体の考え以外の方法や考え方を”試してみる”事が可能となります。この社会全体が持つ包容力が結局、人間が過去の経験を活かしながらも新しい挑戦を続けていける原動力となってきたのではないかと思うわけです。

ところが、最近の社会を見ていると、"能力主義"という名の弱肉強食が促進されて、失敗は許されない社会。そんな社会を形成してきた大人たちは、”若者たちに元気がない”などとのたまわるわけですが、"失敗したら食べられちゃう”社会では、だれだって慎重になりますし、"KY"になってライオンの餌食になるのは自分だけは避けたいと利己的にもなるでしょう。そんな環境の中で"個性、個性"とプレッシャーをかけられれば、ズボンを下げて履いて"これがオレの個性なのさ。"みたいな幼稚な自己主張がせいぜいできる冒険で、普段は周囲の動向が気になって仕方がないような精神を生み出していくのも頷けようというものですね。

元気が無いと言われている若い人達に考えてみて欲しいのは、失敗することをそこまで恐れる必要があるのでしょうか。世の中の全てのことに"正解"があるわけではないのですから、明確な”失敗”というのもあまり存在しないと思うのです。そして、少々失敗してみるのも若い頃だからこそ許される事だと思うべきでしょう。あなたが群れとはちがった行動をとった場合、それはもしかすると、人類を救うためにプログラムされた衝動から発するものなのかもしれません。世の中の潮流が変わったとき、先頭に立つのはあなたの価値観かもしれません。

今現在の価値観、少し上手く機能しなくなってきているのではありませんか?この価値観の範囲内での”正解”というのは、今更学習してもあまり価値のないものだと思うのです。

昔からの知恵というものには敬意を払わねばなりません。過去からの知識の蓄積というのが人類のもうひとつの大きな武器であることも間違いありません。それと同時に、固定観念に縛られない考え方を持つことも大切であって、しかもそれは社会において若者が負うべき役割だと思うのであります。


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