旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

巧いより上手い

2010年03月04日 | 旅行一般
”うまい”という言葉を漢字で表す場合、"上手い"と"巧い"の二通りがあります。あと2つ、"旨い"と"美味い"もあるのですが、これは今回はとりあえず関係ありません。

日本語とは非常に複雑な言語で、上手いと巧いは微妙にニュアンスに違いがあるように感じます。"巧い"は技術的な面で巧みだというニュアンスで、上手いというのはもっと大雑把な漠然とした意味合いのように感じるのですがこの解釈はあっているのでしょうか。

もし、違う感じ方をする方がおられるなら、今回、ここから先を読み進む間だけ、上のニュアンスに則って書かれていると思って読み進んでください。

旅をするにあたっても巧い人と上手い人がいると思うのです。綿密に計画を立て、情報を収集して自分の希望するとおりの旅を実現する人は旅するのが巧い人だと思います。そして、多くの場合上手い人でもあると思います。

しかし、旅するのが巧いにも関わらず上手く旅できない人が最近は増えてきたように思います。短絡的に社会現象で説明をつけたくはありませんが、やはり情報が多く手に入るようになった事に一つの理由があるという事は否定できません。

 私が受ける相談から想像できる一連の流れは.....

1.旅の情報収集
2.旅先でのトラブルに関する誰かの体験談から危険を覚える
3.危険を避けるために行動を自ら制限する

情報というのは自分の行動をより幅広くするために集めるもののはずですし、おそらく情報を集めている人自信も最初はそのつもりだったのが、いつの間にか上のように情報によって自らの計画を制限して、より行動範囲を狭めてしまう結果となっているのを目にする事が多いのです。

まあ、判断ミスをしてしまうと、たとえ生命に関わる事態に陥っても”自己責任”という言葉で切り捨てられる社会に属していれば、おのずと慎重にならざるを得ませんし、思い切った行動力などは無縁なちっちゃく纏まった社会を皆で形成して幸せに生きていくしかないのかもしれませんが、ホントにそんな社会が楽しいですか?いや、そんな旅が楽しいですか?

旅に関わらず、ここしばらく、全世界的に”巧い”事に捉われすぎて、”上手い”を求める事を忘れてしまい、その結果、どんどん面白さがなくなってきているように思うのです。巧みに予定をこなし、巧みにトラブルを回避し、巧みに失敗を避けて旅をするという事は、予定を変えるほどの楽しみも見つけられず、トラブルにあってでも楽しみたいという思いも無く、失敗する楽しみを放棄した旅に過ぎないと思うのです。

それでは”上手い”旅というのはどういう旅なのでしょうか。

私は、どんなスタイルの旅であっても良い旅というのは"心を揺り動かすような出来事”だと思います。すばらしい景観に心を揺り動かされる事もあるでしょうし、すばらしい出会いや別れ、トラブルによって動揺させられ、失敗する事で落ち込んだり、そんな心の動き全てが旅なのです。だから、全てを調査して、問題のありそうな箇所は回避し、全て”想定の範囲内”に収まるような旅であったとしたら、随分と無味乾燥な旅だと思うのです。

皆さんには是非、旅先で失敗して落ち込んでももらいたいし、そんな落ち込みが吹っ飛ぶようなすばらしい出会いも味わっていただきたいと思います。そのためには、情報を収集する事で萎縮してしまう自分と戦って欲しいと思います。

マルコポーロの時代から、旅人は法螺吹きとまでは言えなくても、物事を大げさに表現するのが歴史的伝統です。だから、旅先でのトラブルや危険について書かれた情報など、ほとんどが、それを書いた人の”オレってすごいでしょう”的な自慢話で、話半分と考えておいて間違いありません。もちろん、この”旅のウンチク”に書いている内容もまた同じ。


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