旅のウンチク

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安全対策

2017年04月10日 | 旅行一般
 先日、ひょんな事から地域のイベントの”安全対策”について意見を交換する場に立ち会う機会がありました。

 様々な事故が発生すると、”安全に充分な配慮がなされていたか否か”が問われる事が多々あります。特に旅行の事故や海の事故、山の事故などの場合、レジャーに対して”厳しい”日本社会では”だから言わんこっちゃない”という、どこかイジメっぽい方向へ走る傾向が強いですし、インターネット社会はそれに拍車をかけている印象もあります。

 何か大きな事故があると、まず第一に事故原因となった”判断ミス”や”経験不足”が"後出しジャンケン"的にどんどん掘り起こされます。そして判断ミスをした人個人の責任が大きく取り沙汰され、まるで集団リンチのような具合で吊るし上げられます。

 ”ほれ見たことか”とばかりに”危ないと思っていた”などの批判も飛び出してきます。更に”自分ならそんな判断ミスはしない”とか、”そんな判断ミスをするなんてどうかしている”などなど判断ミスをした人への攻撃に終始します。

 結局、その事故は特定の経験不足な愚かな人間が判断ミスをした結果発生したという結論で解決という流れになります。あとはその人物や団体の”責任”を正義の味方が追求する方向へ向かっていきます。

 原因究明と責任追及も必要な面があるのだと思いますが、それに終止してしまうのは後ろ向きに思えてなりません。

 こういう事例を見ていると、どこかこの”事故”がとても特殊な条件に於いて発生した事柄で自分たちには”起こり得ない”というところへ押し込めようとしているような気味の悪さを感じます。
 
 事故の原因が誰かの”人為的ミス”であればなおさらのこと、”明日は我が身”なのではないかと正直思うのです。

 なぜなら、大抵の人はミスをするものだからです。

 ミスによって起こった事、そのミスの原因を追求していっても結局不毛な結論しか出てこないのではないかと思うのです。
 悪いことが起こらない”事故対策”を突き詰めていくと、頑丈なシェルターの中にでも住んで、一歩も外に出ないようにするしかありません。
 
 人はミスをするし、良いことが起こると同じく悪いことも起こります。ミスをせず、悪いことも起こらない社会を実現できると思い込むよりも、ミスをして、悪いことが起こってしまっても次に打つ手がある社会を考えていく方が実際的な安全対策ナノではないかと思うのです。


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