Fun with NATURE

人と人、人と自然をテーマに
まっちゃの環境、自然、あそびの広場

持続可能なもの

2011-01-14 | 自然


21世紀淡海子ども未来会議(J21)の打合せで、雄琴へ。

1/30の市民葦刈りで葦刈りを子ども達と体験し、おおつ子ども環境探偵団と共に「プレ子ども会議」として、子ども達が主体の会議をします。
その打合せで、雄琴のオーパルオプテックスへ行きました。

オーパルオプテックスさんは、小学校での「琵琶湖体験」に、JICA研修での「企業の行う体験学習の講座」にといつもお世話になって、今回も葦刈りやプレ会議でご協力いただいています。

夏場は、カヤックやドラゴンボート、ヨットなどウォータースポーツ、そして生き物観察や外来魚釣りなどたくさんのアクティビティを用意して下さっています。(丸い透明のボールに入って琵琶湖に浮かぶなんてのもしておられます。ウォーターボールというそうです。やってみたいなぁと行く度に思います。)

話は変わって葦の話。「人間は考えるアシだ」なんて言いますが、滋賀県民はアシとは言いません。ヨシと言います。
昔から家屋の屋根に葺いたり、よしずにしたり、魚類や野鳥の生息場所になったりと生活の中でとても役に立つ植物だったのです。
アシは悪しにつながります。とても役に立つものを悪しとは呼べません。
だから、良しにつながるヨシと読んだのです。

そんな歴史を持つ葦も、近年は湖岸の開発(琵琶湖総合開発)の埋め立てや、葦自体を利用しなくなった(屋根を葺くこともなくなり、海外製のよしずに取って変わられた)ので、葦の生息域がどんどん減っています。

葦というのは面白いもので、秋から冬に刈り取って、刈り取られた原っぱを焼くと次の年に新しい芽が出て、再度収穫できるというサイクルがあります。
もし刈り取りもせず、そのままにしておくと、いつの間にか葦は枯れ、水辺は埋まり、他の草や木々が生え、葦原はなくなってしまうのです。
人間が利用するために、毎年手を入れているからこそ守られる葦原なのです。
逆に考えれば、人が手を入れれば持続的に利用できるものです。

うまく葦を利用できる方法がないかなと思います。そうすれば、葦原が続き、私達の葦を使った暮らしもまわり続けるのかと思います。
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