江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

座臥記における漂流民の記述

2022-07-05 19:07:01 | 奇談
座臥記における漂流民の記述

                              2022.7

江戸時代は、鎖国をしていたので、外国との交渉は、少なかったとされています。
しかし、漂流をして、帰って来たものが、少数いました。

「座臥記(ざがき)」桃西河(もも にしかわ)著、という随筆に記載されているのを、紹介します。


筑前の国の唐泊浦に、孫太郎と言う者がいた。
十二、三歳のとき、大船の炊事係りとして、乗船した。
風波に遭って、天竺のあたり、「バンヤルマアジン」と言う国の中の、「バンヤルマッサン」と言うところに漂着した。
21人の舟子(かこ)の内、死ななかった残りの10数人がいた。
それを「バンヤルマッサン」の人が、奴隷として売った。
1人当たり銀銭6、7枚から10枚位、あるいは金銭1枚などで、売られたものもいた。
孫太郎は、銀銭8枚で買われて、民間人の奴隷となった。

バンヤルマッサンに大きな川があった。
幅が4km位であった。
その川にボハヤ(ワニ)という、大きな動物がいた
。長さは、2、3間から6、7間まで、大小のがいた。
背は黒く、腹は黄白赤であった。
トカゲやイモリに似ていて、四つの足がある。
川の中で、人を襲い、或いは陸上まで走り出て、人を追いかける。

それで、年に一度、ボハヤ狩りが行われる。
もし、数人の人が襲われれば、年に2度3度も、狩りが行われる。
狩りには、必ず銅製の武器が使われる。武器の形は、さまざまであるが、大抵はとびぐち、長柄の鎌のたぐいである。
役所より、狩りの時に支給されるようである。
この動物が、はなはだ銅を恐れる。少しばかりであっても、銅を身につけていれば、その人は、ボハヤ(ワニ)には、襲われない。

それで、この国の人は、銅を貴んでいる。
嫁取りの時にも、銅を持っている家の娘を、争って娶る。
しかしながら、銅は、この国には産出しない。
日本より産出したものを、オランダ人が持って来て、大いに利益を得るとのことである。

孫太郎は、この国で、年月を経て、その後転売されて、ジャガタラ(ジャカルタ)に至った。
ジャガタラは商船の多く集まる所で、甚だ繁華の場所である。
オランダ人もここで商品を買って、日本に持ってきて売るのである。
孫太郎はオランダ船に乗って、帰ってきた。

おおよそ、異国にあること十三年にして、帰って来た。
時に、二十四、五歳であった。

この話は、石州の松村喬(字は子堰)世策と通称する人より聞いた。



編者注:孫太郎の流れ着いたのは、インドネシアのどこかであろう。
転売されて、邪ガタラ(ジャカルタ)に至ったとあり。
また、ワニ鰐をボハヤ(Bohaya)と言っている。
現代インドネシア語で、ワニはBuayaであることから、このボハヤ(Bohaya)は、インドネシア、マレー系の単語と思われる。

「座臥記 」は、「続日本随筆大成第一巻」にあるのを元に、現代語訳をした。

蛇の大集合  蛇の塊   「中陵漫録」

2021-05-27 19:53:18 | 奇談

蛇の大集合  蛇の塊
                         2021.5
「中陵漫録」には、蛇が多数あつまる現象を記述した部分がある。
本来の題名は、「蛇相闘(へび あいたたかう)」となっています。

薩州(鹿児島)の西に蛇塚と云う所がある。6,7月時分、蛇が大に集まる時がある。人がその傍らを通り過ぎても、その塚の上に数百匹が塊になって、逃げ去る事はない。
また、備中油野(ゆの)村(岡山県備中町)の山に蝮蛇が集まって、相い闘う事がある。
また、奥州会津の盤梯湖(福島県の猪苗代湖)のあたりでも、このように相い闘う事がある。

編者注:ヘビなどは、時として、繁殖のために、多数が集まることがある。この現象を指していると思われる。


青い小鬼(心の病から見えた幻影)  「黄華堂医話」橘南谿

2020-10-24 20:15:18 | 奇談

青い小鬼(心の病から見えた幻影)
                                2020.10

「黄華堂医話」には、幻覚で、青い小鬼が見えたのを、漢方薬で治した話が、記載されています。
その治療に三黄湯を用いたとありますが、その成分は、大黄(だいおう)、黄連(おうれん)、黄芩(おうごん)の三つの黄という字の入った生薬です。ただし、他の処方もあります。
漢方薬が、心の病にも奏功した一例です。
「黄華堂医話」は、橘南谿(たちばな なんけい:1753年~1805年)の著

以下、本文。

尾州の武士の某は、藩主が江戸に行くのに従って旅立った。
その日の夕方、旅館にて厠に行ったが、きん隠しの板の先に、一尺ばかりの小さい青色の鬼がふとあらわれ出た。
大いに驚き、脇差しを抜いて切り付けたが、そのまま消え失せた。

殊にあやしく思ったが、その夜の夕食の時に、その青鬼が又膳の先にいた。
ただ、膳の前にうずくまっていて、他に害をするようでもなかった。
その人は、驚いて、傍の人に「鬼が見えるか」と問うたが、他の人には見えなかった。
その武士は、いよいよ怪しんで、そのままに食べ終えたが、鬼も何事もなく消え失せた。

その翌朝、厠に行ったが、又鬼のいる事は、昨日と同じようであった。

その後は、一日の間に二三度づつ、或は膳の先、厠の中、或は昼休みの時などに、必ずこの鬼が現れた。

その人も怪しい事なので、主人にも言わず、強いて旅の御供を続けた。
しかし、日々に目に見えて、ただこの事のみが、心にかかって、気が安まらなかった。
それで、道中三四日目に、他の病気にかこつけて、国で養生をしたいと、藩主に願い出た。

道中より引き返し、名古屋に帰り、医師に相談した。

医師は、これは心火の病である、と診断して、三黄湯を多く服用させた。、
飲み始めて、十日ばかりした後は、鬼の出る事がす少なくなった。
それより日々に、鬼の現れる回数が減って、一月ばかりの後には、鬼も見えなくなり、その病は平愈した。

この事は名古屋の儒者の奥田周之進が語った事である。

治療をした医者の名も語ったが、今は忘れてしまった。


底本  日本随筆大成 第二期第10巻


麝香鼠のこと  「翁草」

2020-01-25 23:38:41 | 奇談
麝香鼠のこと
                          2020.1  
肥前長崎に麝香鼠と言う鼠がいる。
普通の鼠より口が尖っている。
庭の組石の下にかくれていて、食物を盗む。
臭気が強いので、猫もこれを捕まえない。
人は勿論、これを忌み嫌っている。
その匂いは、麝香には似ていないが、霊猫を麝香猫と呼んでいるのに対応して、このように呼び習わしているのではなかろうか?
日本の他の場所には、いない。

以上、「翁草」より。

編者注:麝香鼠は、本来は、日本本土にはいない。中国船、もしくはオランダ船が、運んで来たのであろう。
これは、奇聞ですね。
本物の麝香は、高貴薬で、大変高価。