江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

新説百物語巻之四 12、釜を質に置きし老人の事

2023-05-08 21:37:46 | 怪談

新説百物語巻之四  12、釜を質に置きし老人の事

                       2023.5

大宮(京都市下京区)の西に、作兵衛と言う者がいた。
六十歳余りであったが、妻や子もなく、裏やをかりて一人で住んでいた。
醒井通りの「吉もんじや」と言う質屋へ、毎日釜をひとつ持って行き、鳥目百文(ちょうもくひゃくもん)を借りた。
そのお金で菜大根を買いもとめ、それを町中にうり歩いた。
その利益で、生活に必要な物を買いととのえ、夜に入って吉文字屋(きちもんじや)へ釜を受け取りに行った。
それで飯などをたいて、また次の朝は釜を持って行った。
また、鳥目百文借りて、商売のもとでとした。
一二年ばかりそのように暮していた。
吉文字屋の亭主が、ある時、作兵衛に向かってこう言った。
「最早、この釜も一二年の間、質に取って、私の方は、多めに利益を頂いております。
毎日毎日、ご苦労の事でしょう。
それで、この釜をあなた様に差し上げます。
安心して、商売をなさって下さい。」と。
しかし、作兵衛は、
「お心づかいは、大変有り難いことでございます。
私の持っている物は、この釜ひとつだけでございます。
他に何の蓄えもございません。
それで、朝出かかるにも、戸も閉めず、夜に寝るにも心やすいことです。
釜が一つでも家の内にあれば、心配になります。
やはり、毎日毎日、御面倒ながら質物に御取り下さい。」と頼みこんだ。

それより又一年ばかり、質屋に通い続けたが、そのうちに亡くなったとのことである。
吉文字屋(きちもんじや)の亭主は、死んだとの知らせを聞いて、従業員に鳥目五百文をもたせて様子を見に行かせた。
すると、成程釜ひとつの外に、何のたくわえもなかった。
近所の同じ借屋の住人たちが打ちより世話をして、葬った、との事であった。

枕もとに、反古紙(ほごがみ)のはしに、辞世(じせい)とおぼしい発句(ほっく)があった。
どんな、人生を送った人なのであろうか。

何とも、風雅なひとであったか、と噂された。
  身は終(つい)の 薪となりて 米はなし
と書かれていた。
名を無窮としたためていた。

普段は、物をかく事もなかったが、上手な字であった、との事である。

 

 


新説百物語巻之四 11、人形いきてはたらきし事

2023-05-08 21:35:55 | 怪談

新説百物語巻之四 11、人形いきてはたらきし事

                     2023.5
 
 ある旅の修行僧がいたが、東国に至って日がくれ、野はずれの家に宿をかりて一宿した。
その家のあるじは老女であって、むすめ一人と只二人でくらしていた。
僧に麦の飯など与えて寝させた。

夜がふけて、老女がこう言った。
「これ、むすめ。人形を持ってきなさい。湯あみさせよう。」と言った。
旅の僧は、ふしぎな事を言うものだなと、寝たふりをして、そっと見守っていると、納戸の内より六七寸ばかりのはだか人形を二つ、娘が持ち出して老女に渡した。
おおきな盥に湯を入れ、かの人形を湯あみさせると、その人形は人のように動き出し、水をおよぎ、自由に動き回った。

旅の僧は、あまりにふしぎに思って、起き出した。
そして、老女に、
「これはなんの人形ですか?さてさて面白いものですね。」と尋ねた。
老女は、
「これは、このばばが細工したもので、ふたつ持っております。
ほしければ、一つ差し上げましょう。」と言った。

修行僧は、これはよいみやげが手に入った、と思って、風呂敷包の内にいれて、あくる日、挨拶をして、その家を出ていった。

半里ばかりも行くと思えば、風呂敷包の内から、人形が声を出した。
「ととさま、ととさま」と呼んだ。
ふしぎながらも、「なんだい?」と答えた。
「あの向こうから来る旅の男は、つまづいてころぶよ。何でもいいから、薬をあげてね。お礼に、一分金をお礼にくれるよ。」
と言っている内に、向こうから旅の者が来た。

うつむきにこけて、鼻血を多く出した。
その僧は、あわてて介抱し、薬などをあたえた。
すると、気分が良くなり、お金を一分取り出して、坊さんにお礼としてあたえた。
坊さんは辞退したが、旅人が是非とも受け取って欲しい、と言うので、受け取った。

又、しばらくして、馬に乗った旅人が来たが、またまた風呂敷の内から、
「ととさま、ととさま、あの旅のものは馬から落ちるよ。薬でもあげてね。銀六七匁をくれるからね。」
と言う内に、はたして馬から落ちた。

なんとか介抱したら、成程、銀六七匁をくれた。

旅の坊さんは、何となく恐ろしく思って、人形を風呂敷から取り出し、道のはたに捨てた。
人形は、生きている人間のように立ちあがり、何度すてても、
「もう、ととさまの子なのだから、はなれないよ。」と追いかけて来た。
その足の速いこと飛ぶようであった。
終に追付き、懐の内に入りこんだ。

変なものを貰った事よ、と思って、その夜、又々次の宿に泊った。

夜に、そつと起き出して、宿の亭主に、これまでの事を詳しく話した。
「それでは、うまい方法があります。
明日、道の途中で笠の上に乗せ、川ばたに行って、はだかになり、腰だけばかりの深さの所で、水にづぶづぶとつかって、水におぼれた真似をして、菅笠をながしてください。」と教えた。

その翌日、教えられた通りに、深くない河で、水中にひざまづき笠をそっとぬいだ。
人形は笠にのったまま流れて行った。

その後は、何の変わった事もなかったそうである。


新説百物語巻之四 10、渋谷海道石碑の事  渋谷街道の石碑

2023-05-08 21:32:31 | 新説百物語

新説百物語巻之四 10、渋谷海道石碑の事   渋谷街道の石碑

                            2023.5

京の東山の渋谷街道(しぶたにかいどう)の側にひとつの石碑がある。
洛陽牡丹新吐蘂(らくようの ぼたん あらたに ずいを はく)と七文字が彫り付けられていた。
名もなければ、何の為に立てたのかも、判らなかった。
或いは、遊女の塚ともいい伝えられてもいたが、本当のことを知っている人はいなかった。

すこし前に、知恩院町古門前に黒川如船と言う人がいた。
風流の楽人であって、茶香あるいは鞠楊弓に日を送っていた。
八月の事であったが、湖水の月を見ようと友達をかれこれと誘い合って、石山寺にいった。

そして、一宿し、又あすの夜の月の出てくるのを見て、京のかたへ帰っていこうとした。

もと来た道を戻るのも、つまらないだろうと、渋谷街道をつたって帰って行った。
最早、夜も子の刻過ぎて、そろそろ丑の刻にもなろうかと思う時刻であったが、街道のはたに、石に腰かけている80代位の老翁が一人で、たばこをくゆらせていた。
その火をかりて、たばこに火をつけ、
「どちらの人でございますか?」と尋ると、
「私は、このあたりの者ですが、月のあまりに美しいので、このように眺めています。」と答えた。

「そらならば、尋ねたい事がございます。ここの石碑は、誰の石碑でございますか?」と尋ねた。
すると、老人はほほ笑んで、懐中より書いたものを取出して、如船に与えた。
「持ち帰って、これを見なさい。」と言って、たちまちに姿が見えなくなった。

持ち帰って見れば、詩と発句とであった。
  牡丹開尽帝城外 花下風流独倚欄    (牡丹 開き尽くす 帝城の外。 花下の風流 ひとり欄による)
  老去枝葉埋骨後 人間共是夢中看  (老い去りて 枝葉 埋骨の後。 人間 共に是 夢中に看る)
                
それと名を  いはぬ(言わぬ)や 花の  ふかみ草

詩のうらに牡丹花老人と書かれていた。
又、発句(俳句)にも、ふかみ草とあった。
それで、もしかしたら、その老人の石碑ではないのか、と如船は言った。

その詩句を書いたものを、まさしく黒川氏が所持している、とのことである。

 

 


新説百物語巻之四 9、碁盤座印可の天神の事 

2023-05-08 21:29:30 | 新説百物語

新説百物語巻之四 9、碁盤座印可の天神の事

                     2023.5

又、京の五条の東に手習いの指南をする何某と言う者がいた。

いつも、大いに天満宮を信仰していた。

ある夜の夢に、正しく天神様が現れて、こうおっしゃった。
「我は、これ天満天神である。明日、高辻の柳馬場に来なさい。」と、言うかと思えば、夢からさめた。

ありがたく思って、未明に高辻の柳馬場に至ったが、まだ、どの家の表の戸も開いてなかった。

しばらく休んでいると、ようやく角の家一軒が戸をあけた。
ふと見入ると、夢に見たのとすこしも違わない立像の天神様の像があった。
高さは、壱尺ばかりであって、碁盤の上に立っていた。

それを買って帰って、猶々信心をしたが、霊験いちじるしく、そのあらたかな事は度々であった。

手に巻物一巻を持っているので、碁盤座印可の天神と名付けて奉っていた。

普通の民家に置いておくのも畏れ多いと考えて、大龍寺の辻子の寺へあづけ奉った。

先年、開帳があった天神様の尊像は、この天神の事である。


新説百物語巻之四 8、仁王三郎脇指の事

2023-05-08 21:14:49 | 新説百物語

新説百物語巻之四 8、仁王三郎脇指の事

                       2023.5
京の西洞院に小林良清と言う人がいた。

裕福な人であって、方々の御大名がたの御用等をうけ給わっていた。

常々江戸へ通っていたが、ある年、御出入りしている御大名に、このように言われた。
「いかに良清、男と生まるたからには、武士であれ、町人であれ、たしなむべきは刃物である。
お前が、いつも持っている脇ざしは、どんなものだ?」と御尋ねがあった。

良清が答えた。
「私風情の者の脇ざしですので、特別高級な刃物も持っておりません。
しかしながら、先祖代々相伝わっている一尺六寸の刀がございます。
ほそ身で、銘は仁王三郎と御座います。」と。

「それを見せよ」と言って、殿様が直(じか)に御らんになった。
成程、正真正銘の仁王三郎で、見事なものであった。

「これで、ためし切りした事があるか?」と質問された。
「いいえ、試したことは、ございません。」と答えた。

それでは、試させてあげようと、
「幸いに罪人がいる。刀をおいて行け。
その代わりに、帰り道には、この刀をもっていけ。」と言った。
殿様から、御脇指(わきざし)を拝領して、自分の脇ざしは、預けて、宿所に帰った。

良清は、宿へ帰って寝た。
夢に不動尊が、目の前に現れて、
「我は、汝が信心して常に懐中する所の一寸三分の目黒不動のうつしの金仏である。
お前が、脇指(わきざし)を試し斬りしよう、と預けた所の罪人は、たいして切るべき程の罪ではない。
そこの物を逢う下女が、小袖の綿に針を忘れたのを、主人が怒って、押しこめ置いたものである。
この女は、特に信心深いものであって、長年、我をうやまってきた。
願わくは、明日の朝早く行って命を救って来てほしいものだ。
これは、大いなる善根である。
その代わりに、お前に降りかかる災難をのがれさせてあげよう。
脇ざしは、試し斬りしてはいけない。
大事な名作である。
かならず、秘蔵せよ。」
と、言い終わろうとするかと覚えて、夢からさめた。

良清は、朝早く起きて、すぐに御出入りしている殿様の所へ参上した。
そして、夢のお告げなどを話し、さまざま御わびをして、その女をもらい帰った。

そして、その女を知っている者に、嫁にやった。

その年も過ぎて、明年五月の頃、又々江戸へ下った。

四五日してから、不動尊が夢枕に立って、
「去年は、思いもよらぬ善根をしたので、
お前に災いが来るのを教えよう。
明日の夕方、ここに火事がおこり、類焼が多く大火となろう。
その備えをしておきなさい。」
と、言われてから夢がさめた。

今日は、どうしても外出しなければならない日なので、近所の親しい人にも、夢のお告げを話して、道具などをかたづけさせ、自分もその用意をして、朝早くから出かけた。

夕方、御出入りのお屋敷で御咄しなどをしていたが、火事が起こった、との連絡がきた。
よくよく聞いてみると、宿所の近所との事であった。馬を拝借して、すぐに帰ったが、最早火事は終わっていて、宿の近所は、一軒も残らず焼けうせていた。
しかし、十分に準備していたので、良清の荷物はひとつも焼け失せなかった。
知人達は、怪我もしていなかった。

近所の者も、夢のお告げを信用しなかった者は、家財を失って損をした、とのことであった。

仁王三郎の脇ざしと金仏の不動尊は、今に至っても、その家では持ち伝えている。

この話を伝えた人は、まさしくその脇差しを手に取った見た、とのことである