「世直し太郎」の政局斜め読み

偏向マスメディア報道の本質を直観力で読み解き、内外の話題を大胆に斬っていきます。とりわけ大中華帝国主義許すまじ!です。

憲法解釈変更さえ認めない左翼の思考停止に付き合っている暇はない!

2014年07月06日 | 外交・安全保障問題
 なぜか都合が悪いようで日本の左翼マスコミや学術界に巣食うマルキストたちが指摘しない事を一言。

戦後70年間、日本は「不磨の大典」のごとく、憲法の条文を一切見直さないという政治選択をしてきました。これは客観的な事実として誰もが認める話です。

良いでしょうか。憲法の条文は変えていません。

するとどういうことが出て来るか

と言えば、憲法制定時に想定した以上の事態が発生した場合(もう21世紀なんですから、70年前の世界情勢とは違いますよ!)、「憲法の精神に則り、どこまでが可能なのか」という具体的な行動指針を明示する関連法規や「憲法解釈」が登場します。

当然、人によって解釈の度合いなど違うのが当然ですから、最終的には時の政権が、その政権の見解として関連法整備をしたり憲法解釈をまとめるわけです。当たり前すぎる話です。

ところが、現在の日本の集団的自衛権の行使をめぐる議論を聞いていると、「歯止めが効かないので、いままでの憲法解釈さえ変えてはいけない。」などと平気で言っています。

良いでしょうか?現状は「憲法の条文は一切変えていない」わけです。にもかかわらずさらに「憲法解釈さえ不磨の大典」にしようと言う議論をしているわけです。

そして、憲法9条に特化して言えば、いわゆる制定時に芦田修正というものが入り、「自衛のための戦争は否定されない」という解釈が存在し、それを受けて、1972年に集団的自衛権行使に関する政府見解・3要件をまとめたのであり、今回も大枠は何も変わっていません。

「他国」→「密接な関係にある他国」

「おそれ」→「明白な危険」

こんな言葉尻を捕まえて必要最小限の行使の範囲にとどめた文言に変えさせたとなどと公明党はさも自らの手柄のように訴えていますが、当然、その文言でさえ、

「では、どこまでが密接な関係にある国と言えるのか、厳密に定義せよ」とか
「そもそも何を持って明白な危険と判断するのか、その明白な危険の範囲を明示せよ」

それこそいくらでも学術研究者レベルの解釈は分かれて収拾がつかなくなる事必定です。(と言うか、左翼憲法学者の仕事を創ってしまうだけです。)

「解釈は無限に存在する」

これが現実ですよ! だからこそ時の政府見解として、その時にふさわしい解釈をまとめるわけです。

また、「解釈を変えるな」と言うなら、それは思考停止状態、智慧の不在を意味しますね。

「どこまでの解釈が現実的に可能なのか」「いままでになかった解釈は可能か」

実はそう考える事が前例を踏襲しない、新しい知性の登場の機会となります。ここに智慧の介在があるのですよ。

と言う事で、本来は「憲法9条を中心に憲法の条文を、主権国家にふさわしい当たり前の条文に変える」が筋です。本当に日本の戦後の憲法議論は不毛の極みです。

国家議員に皆様!次は関連法規の整備と憲法改正しかありませんので、あまりにも恥ずかしいので「憲法解釈は変えるな」議論はもうやめていただきたいと思います。

あらためて指摘させていただきます。

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