やはり戦後の左翼思想の最も偏っているのはこの部分ですよね。
本来憲法は、その国の国民の権利を守る為にあります。
だから「国民が国家に命令する」内容が明記されていなければなりません。
では、国家が国民に何を約束するのか、当然それは、
「その国の国民の生命と安全と財産を守る」ことになります。
だから、どれだけ理想的な理念が憲法条文に書かれていようと、
理想的な理念が直接的に国民を守るのではなく、
実際に国民を守る具体的な施策の実行が
担保されていなくてはならない訳です。「憲法守って国滅ぶ」では本末転倒です。
当たり前ですが、なぜか左翼思想に凝り固まっている人は、
「常に体制側が常に敵であるかのように、闘争の対象にしたがる」側面があります。
さらには「国家を意識する国民」という言い方も嫌いですね。
(というかマルクスがその思想の根源ですからね)
まことにもって不思議です。
「国民が自由に私有財産を形成する権利」はあるわけで、
本来ならその「財産形成の権利、憲法で定める財産権を守らない法律や税制がある」なら、
「国家が介入し国民の財産形成の権利を奪うな!」と立ち上がるべきです。
度重なる消費増税やマイナンバー制度の導入等、国民の私有財産を監視下において、
租税目的で導入するのはみえみえなんですから、反対して当然です。
ところが、現実は「安保法正反対!戦争法案を創るな!」と
国家の国防問題だけ先鋭化させて常に批判の対象にしていますよね。
日本共産党も、北朝鮮の拉致被害者の家族や関係者にはきわめて冷淡です。
この「日本国民の生命と安全、財産形成の脅威」である状態を放置しておきながら
政権を取ると本気でおっしゃるなら、
現行の北朝鮮の政治体制を認めるということになります。
「本当に国民の生命と安全と財産を守る体制ができているのかいないのか」
まだ起きてもいない戦争の心配をするくらいなら、
現時点で世界の紛争地域に出向いて「戦争反対!」を訴えるべきでしょ?
「憲法9条を守れ!」の前に「国民の生命と安全、財産を守れ!」
いくら強調しても強調しすぎる事はありません。
本来憲法は、その国の国民の権利を守る為にあります。
だから「国民が国家に命令する」内容が明記されていなければなりません。
では、国家が国民に何を約束するのか、当然それは、
「その国の国民の生命と安全と財産を守る」ことになります。
だから、どれだけ理想的な理念が憲法条文に書かれていようと、
理想的な理念が直接的に国民を守るのではなく、
実際に国民を守る具体的な施策の実行が
担保されていなくてはならない訳です。「憲法守って国滅ぶ」では本末転倒です。
当たり前ですが、なぜか左翼思想に凝り固まっている人は、
「常に体制側が常に敵であるかのように、闘争の対象にしたがる」側面があります。
さらには「国家を意識する国民」という言い方も嫌いですね。
(というかマルクスがその思想の根源ですからね)
まことにもって不思議です。
「国民が自由に私有財産を形成する権利」はあるわけで、
本来ならその「財産形成の権利、憲法で定める財産権を守らない法律や税制がある」なら、
「国家が介入し国民の財産形成の権利を奪うな!」と立ち上がるべきです。
度重なる消費増税やマイナンバー制度の導入等、国民の私有財産を監視下において、
租税目的で導入するのはみえみえなんですから、反対して当然です。
ところが、現実は「安保法正反対!戦争法案を創るな!」と
国家の国防問題だけ先鋭化させて常に批判の対象にしていますよね。
日本共産党も、北朝鮮の拉致被害者の家族や関係者にはきわめて冷淡です。
この「日本国民の生命と安全、財産形成の脅威」である状態を放置しておきながら
政権を取ると本気でおっしゃるなら、
現行の北朝鮮の政治体制を認めるということになります。
「本当に国民の生命と安全と財産を守る体制ができているのかいないのか」
まだ起きてもいない戦争の心配をするくらいなら、
現時点で世界の紛争地域に出向いて「戦争反対!」を訴えるべきでしょ?
「憲法9条を守れ!」の前に「国民の生命と安全、財産を守れ!」
いくら強調しても強調しすぎる事はありません。