「世直し太郎」の政局斜め読み

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原発の本質安全性を問わない不毛な議論は止めよう!

2012年05月25日 | 中国共産党問題
何回もこの話題で失礼しますが、「原発はそもそも安全か、危険か」などという不毛な二者選択の議論からもうそろそろ卒業しませんかと提案したいですね。

原発推進派の方にも脱原発派の方にも、ぜひ「本質安全性の追求」という考え方があることをぜひ知っていただきたいです。

本質安全性とは、文字通り、「本質的に安全な在り方」を考えるということで、その大前提として「はじめから100%安全なもの」「はじめから100%危険なもの」など、ほとんど何もないという事を確認する事からスタートします。両極端の考え方を排除します。

だから「安全か、危険か」という二者選択の議論は無意味になります。

よくよく冷静に自らの生活空間全体を観て下さい。本当に安全だと言い切れるものがどれだけありますか?

歩いていても危険ですし、自転車、自動車、飛行機、船・・・100%安全だと言い切れるものなど何もないでしょう。「自分自身が運転している自動車だけは100%安全だ」とは言えないでしょう?犯罪に遭遇する確率も0%ではありません。

毎日食べる食品だって、その添加物に何が入っているのか、古くはレイチェル・カーソン女史の『沈黙の春』や、有吉佐和子さんの『複合汚染』ではありませんが、食品添加物だって、濃度と量を間違えれば、有毒な化学物質であるわけです。物性濃度を希釈して使っているだけです。

首都高速道路を車で運転する方はよくよく自分の前を走るタンクローリー車の内容物をご確認ください。「食品添加物」と書いてあるタンクローリー車のタンクの脇に同じく「毒」と表記されている事に気づくと思います。

放射線の被曝に関してもそうです。人為的に放射線の被曝量を調節しさえすれば、「放射線治療」として当たり前に医学利用されいてます。自然の放射線を使うラドン温泉やラジウム温泉をラドン汚染だ!ラジウム汚染だ!と言って営業妨害する人はいません。「本質的に100%危険」なら使えないはずです。そんなものです。

と言う事で、原子力発電行政で言えば、大切なのは、「本質安全性を追求する原発制御のための設計・施工・運用を徹底していなかった」の一言に尽きるのです。

結果論ですが「あらゆる自然災害、人的災害を想定し、出来得る限り最適な対応ができるように、原子炉を防護する設計、施工、運用(止める・冷やす・封じ込める)をする」と言う事が出来ていれば、昨年3月の東日本大震災の過酷事象にも充分対応できたはずです。

さらには昨年3月11日、大震災発生直後からの首相官邸の誤った意思決定に基づく本質的に安全ではない人為的な指示ミスの要素も加わったわけです。(私はこちらの方がより深刻な事態だったと考えています。)

だから、現時点で本質的に安全になっていないだけであり、原子力発電の科学技術がすべて危険だなどと決めつけること自体は、人類の生み出した科学の否定になります。その本質安全性を追求する行為そのものを否定していては、科学技術の進歩をその時点で止めることも意味します。

「原子力を制御できなかった人類」で科学技術の歴史を終わらして良いのか。冷静な判断が必要です。



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