かわたれは夜明け前のまだ薄暗い時間のことでありますが、そこに人がいてもはっきり見えずに誰だかわからない状態の「彼は誰」であります。
夜明け前の薄暗さが、だんだん明るくなってゆくさまは、それだけでも心震えるような瞬間だと思うのですが、そこに満開の桜があったら、それこそ一生に何度も見れるもんじゃないと思うのです。
場所は公園なんかじゃなくて、できれば山の中とか人工の造形物のあまりない所がいいなぁ。
けれど考えてみると、山の中の夜明け前にその場所に立つには、真っ暗な夜のうちに出発しないといけない訳で、それはちょっと怖いのです。
美しい夜明けの桜をみる前に、とんでもない怪異に出会してしまったりして。
それはそれで良いではないか、とも思うけれど、やっぱり怖い。
かわたれに対して夕方の薄暗い時間はたそがれ。「誰そ彼」であります。
語順が違うだけで、その時刻が変わる日本語って、すごく風情があると思います。
そしてやはり、黄昏時よりあけぼのの桜の方が美しいと思うのです。
どなたか私と、夜中出発のかわたれの花見にご一緒して下さるお方はおられませんかな。
夜明け前の薄暗さが、だんだん明るくなってゆくさまは、それだけでも心震えるような瞬間だと思うのですが、そこに満開の桜があったら、それこそ一生に何度も見れるもんじゃないと思うのです。
場所は公園なんかじゃなくて、できれば山の中とか人工の造形物のあまりない所がいいなぁ。
けれど考えてみると、山の中の夜明け前にその場所に立つには、真っ暗な夜のうちに出発しないといけない訳で、それはちょっと怖いのです。
美しい夜明けの桜をみる前に、とんでもない怪異に出会してしまったりして。
それはそれで良いではないか、とも思うけれど、やっぱり怖い。
かわたれに対して夕方の薄暗い時間はたそがれ。「誰そ彼」であります。
語順が違うだけで、その時刻が変わる日本語って、すごく風情があると思います。
そしてやはり、黄昏時よりあけぼのの桜の方が美しいと思うのです。
どなたか私と、夜中出発のかわたれの花見にご一緒して下さるお方はおられませんかな。