歳をとることは怖くないけれど、老いて認知症になったり、頭はしっかりしていても身体を自由に動かせなくなってしまったりすることが怖い。
毎日病院へ母の食事介助へ行くと、母のように家族が介助に来れない患者さんに、看護師の方が食事の介助をして食べさせているのを目にする。
同室の患者さんはほとんどの方が認知症で、その日の体調や気分によって食欲も異なるし、食べるのを嫌がって食器を倒してしまったり、食べものを手で掴んで遊ぶようなことをしたりと、看護師の方達も大変なのだけれど、患者の態度に苛立ってキツくあたる看護師の人もいたりする。
自分もあんなふうになってしまったらどうしよう、いや、認知症になってしまうと自分自身では自覚がないから気にすることはないのか、などと毎日、帰る道中の胸の中はざわつく。
今から心配しても詮無いことではあるけれど、何十年か後の自分について考えると遺伝もあるかもしれないし、不安の方が大きい。
認知症にはならなかったとしても、頭は正常で身体が不自由になることの方が恐怖かもしれない、などと老後のことを考えるとだんだん眠れなくなってしまう。
そしてそれよりもっと近い将来のこと(母の退院後の生活のこと)を考えると、同居や介護ベッドや車椅子の準備についてなど、益々眠れない。
なるようにしかならん、寝ろ!
と今夜も自分に言い聞かせている。
毎日病院へ母の食事介助へ行くと、母のように家族が介助に来れない患者さんに、看護師の方が食事の介助をして食べさせているのを目にする。
同室の患者さんはほとんどの方が認知症で、その日の体調や気分によって食欲も異なるし、食べるのを嫌がって食器を倒してしまったり、食べものを手で掴んで遊ぶようなことをしたりと、看護師の方達も大変なのだけれど、患者の態度に苛立ってキツくあたる看護師の人もいたりする。
自分もあんなふうになってしまったらどうしよう、いや、認知症になってしまうと自分自身では自覚がないから気にすることはないのか、などと毎日、帰る道中の胸の中はざわつく。
今から心配しても詮無いことではあるけれど、何十年か後の自分について考えると遺伝もあるかもしれないし、不安の方が大きい。
認知症にはならなかったとしても、頭は正常で身体が不自由になることの方が恐怖かもしれない、などと老後のことを考えるとだんだん眠れなくなってしまう。
そしてそれよりもっと近い将来のこと(母の退院後の生活のこと)を考えると、同居や介護ベッドや車椅子の準備についてなど、益々眠れない。
なるようにしかならん、寝ろ!
と今夜も自分に言い聞かせている。