大阪が水の都と呼ばれるようになったのは明治の頃からだそうで、そのもっと昔の飛鳥時代には難波津と呼ばれた港が大陸諸国との交易の拠点となっていて、今も都市面積の1割が水面だという大阪。
橋が多いのも頷けます。
川の近くだけでなく街の中にも古い石碑が多く、それらは水害の碑であることが多いです。
大阪市の市章は澪標(みおつくし)で、澪標は航路を示す標識です。
会社が港の近くということもあり船は毎日見ていますが、川を行く船もまたいいものだなぁと大川の船を見て思いました。

天神祭の船渡御に向けてでしょうか、タグボートに台船が曳航されています。
橋が多いのも頷けます。
川の近くだけでなく街の中にも古い石碑が多く、それらは水害の碑であることが多いです。
大阪市の市章は澪標(みおつくし)で、澪標は航路を示す標識です。
会社が港の近くということもあり船は毎日見ていますが、川を行く船もまたいいものだなぁと大川の船を見て思いました。

天神祭の船渡御に向けてでしょうか、タグボートに台船が曳航されています。