今日の会社からの帰り道、人だかりで通れないバスターミナル。
一体何があったのかとノロノロと進みながら遠巻きに眺めると、人だかりの真ん中に大の字に寝そべる年配の男性の姿がありました。
両目は開いているけれど、呼び掛けには返答のない半開きの口。
どこへかけようとしているのかわからないけれど、そばにいる人が倒れている人が首から下げている携帯電話を取って、連絡を取ろうとしていました。
救急車が到着しましたが、倒れた人の介抱をしているのはたまたま近くにいた一般人の人ばかりで、すぐ近くの詰所のバスの運転手の人達は呑気な顔で見ているだけ。
そんな状況に少し違和感を覚えつつ、出来ることもないのでそのまま通り過ぎたのですが、普通に外を歩いている時でも運命は容赦なく降りかかるものなのだと思い、怖くなりました。
終活とか尊厳死とか延命処置についての選択とか色々あるけれど、その時がいつやって来るかなんて誰にも解りません。
死に方は選べないんだなぁと、つくづく思いました。
そんなことを思いながら、山田風太郎さんの「半分棺桶」をバスの中で読みながら帰ったのでありました。
一体何があったのかとノロノロと進みながら遠巻きに眺めると、人だかりの真ん中に大の字に寝そべる年配の男性の姿がありました。
両目は開いているけれど、呼び掛けには返答のない半開きの口。
どこへかけようとしているのかわからないけれど、そばにいる人が倒れている人が首から下げている携帯電話を取って、連絡を取ろうとしていました。
救急車が到着しましたが、倒れた人の介抱をしているのはたまたま近くにいた一般人の人ばかりで、すぐ近くの詰所のバスの運転手の人達は呑気な顔で見ているだけ。
そんな状況に少し違和感を覚えつつ、出来ることもないのでそのまま通り過ぎたのですが、普通に外を歩いている時でも運命は容赦なく降りかかるものなのだと思い、怖くなりました。
終活とか尊厳死とか延命処置についての選択とか色々あるけれど、その時がいつやって来るかなんて誰にも解りません。
死に方は選べないんだなぁと、つくづく思いました。
そんなことを思いながら、山田風太郎さんの「半分棺桶」をバスの中で読みながら帰ったのでありました。