【最近びっくりしたこと】
■ 「裏正」→「村正」→「かごつるべ」。
「肌が粟立つほどの戦い」を求めて、生きて三途の川に入った男、腑破十臓。
彼の愛刀は「裏正」。
最初、聞いても聞いても「うらまさ」と聞こえるのに、
あんたみたいな危ない奴が愛刀にするなら当然そりゃ妖刀「村正」だろ? しっかり発音しろよー、
と思ったら、唐橋・前世はオルフェノク・充の滑舌が悪いわけではなく、聞えたまんまの「裏正」であった。
御免。>唐橋・あんたがこんな渋いいい男になるなんて、2003年には想像だにしなかったわ・充
で、腑破十臓の刀は「裏正」だったんですが、
(いや、びっくりしたね、まさか逆刃刀だったとは。しかも緋村剣心のとは違い、正刃も潰してない、両刃刀)
(wikiの「日本刀」の「7.3 造り込みの種類」によると、「両刃作 り」というそうで、「室町時代中期以後の短刀に見られる。7寸前後の懐刀が多く、まれに両刃造りの長刀も存在するが、両者とも直ぐに廃れた」だそうです。へえへえへえへえへえ)
そういえば「村正」って、ときどき血を吸わせてあげないとかたかた鍔鳴りがするとか、一度鞘から出すと生きてるもんをなんか切らない限り鞘に「ハウス」しないとか、自分の欲望のために持ち主を操るとか、いろいろ言われてるけど、具体的なエピソードってどんなのかな、とネット調べてみたら。
面白い話が載ってない~。
徳川家が村正を嫌い、そのせいで「妖刀」伝説が作られていったという、まっとうな話しかみつからない~。
他にも名刀とかにまつわる逸話とかも読んでみたかったので、
ググったらまず『名刀伝説』(牧秀彦 新紀元社)というのがみつかり、図書館探したらあって、しかも誰もいま借りていなかった。
で、借りてきて読んだんですが。
まず伊邪那岐命 の佩剣「十握剣 」から始まったのには笑ったが、
次の項「叢雲剣 」から雲行きが怪しく…。
いや、八岐大蛇 の尻尾から出てきたのを素戔嗚尊 が姉天照大御神 に献上したとか、そーゆーまともな説明はあったんですが、叢雲剣の登場する話として紹介されてたのが「妹背山婦女庭訓 」なる歌舞伎の演目で、いやもう、これがとんでもねーのなんの。
しばし呆然としたものの、気をとりなおして読み進めて、やっと判明したのだが。
この本、実在の刀も混ざってるけど、コンセプトとしては、歌舞伎や浄瑠璃に登場する名刀妖刀の紹介、であったのだ。
あちゃー。
わたしが読みたかったのは「実在の人物が愛用していた実在の刀にまつわるうさんくさい逸話や伝説」だったのなのなのなの…。
ともあれ、めんどくさいとこはとばしとばし読んでたら。
「村正」の項が。
おお、やっと「村正」~♪と思ったら、その横に「籠釣瓶 」の文字が…。
え、え、え、「かごつるべ」って、こないだまでうちの安(安田章大) がやってた芝居のタイトルじゃんーーーっ!!
チケット申し込みはしたんです、こっちは片仮名の「カゴツルベ」。
でもハズレてさー、観に行かれた方々がお書きあそばされてる感想とか、やさぐれてぜんぜん読んでなくて、だから内容もぜんぜん知らなかったのよ、「カゴツルベ」。
タイトルがまさか刀の名前、それも「村正」だったとはー。
「かごつるべ」なる異名をもつ「村正」が大暴れする話だったとはー。
■ 安徳天皇と一緒に壇ノ浦に沈んだ叢雲剣はレプリカ、かも。
で、さっき書いた「叢雲剣」ですが、わたし、これの本物は平家滅亡のとき、安徳天皇と一緒に壇ノ浦に沈んで、熱田神宮にあるのはレプリカと、ずーーーっと思ってたんですよ。
が、これもさっき書いた『名刀伝説』、これの巻末の参考文献一覧の中のおもしろそうなのをまた図書館で借りてきたんですが、
その中に『日本刀よもやま話』(福永酔剣 雄山閣)ってのがあったんですが、それのしょっぱなの「皇位と神剣」の中に、
「熱田神宮は、日本武尊 から草薙剣 (=叢雲剣)を預かった宮簀媛 が、それを神として祀ったのが始まり、とされているが、確証はない」(19頁より無断転載)
その後、熱田神宮から盗まれるという事件があり、熱田神宮に置いておくのは危険だと皇居に戻されたのだが。
「第四十代天武天皇が病の床に臥せられた。陰陽師に占わせたところ、神剣の祟りと出たので、さっそく熱田神宮に返還された。それ以来、連綿こんにちに至るまで、同社に鎮座ましましている」(20頁より無断転載)
どっひゃー。
と、『日本書紀』下巻(訳:宇治谷孟 講談社学術文庫)を引っ張り出してみれば。
「(朱鳥元年六月)十日、天皇の病を占うと、草薙剣の祟りがあると出た。即日、尾張国熱田社に送って安置させた」(308頁より無断転載)
うっわー、ほんまやー。
が、あらためてwikiの「叢雲剣」の項を読んでみたら、
熱田神宮のが本物説と、本物は壇ノ浦の底説と、決着はついてないらしい。
このネタ調べてっ、「決着!歴史ミステリー」っっ!!
しかし、ほんまもんがずーっと熱田神宮にあったのなら、「太平記」の立つ瀬は………。
■ 7000年前、大阪市内の大部分は淀川の河口だった。
24日の「ビーバップハイヒール」で初めて知りました。
それによると、7000年前の大阪市は、
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(24日の「ビーバップハイヒール」より無断転載)
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(24日の「ビーバップハイヒール」より無断転載)
で、河口にあった島々の名前がいまの地名に使われてて、だから大阪市内って「島」のつく地名が多いんだって、へえへえへえへえへえ。
その後、淀川の運ぶ土砂がどんどん溜まってったけど、織田信長&豊臣秀吉が大阪城建てて、
(この回のかしこブレインだった奈良大学の地誌のセンセによると、最初に織田信長がいま大阪城あるとこに大阪城建てて、信長が死んだ次の年に今度は秀吉がそれをでっかいのに建てなおしたんだって)
あたりを開発しだすまでは、ずくずくの湿地帯だったんだって、へえへえへえへえへえ。
したあとで、思い出したんですが。
無事故の日なし大化の改新のあと、皇極天皇の弟の孝徳天皇が即位して、都が飛鳥板蓋宮 から難波長柄豊崎宮 に移されたんですが、戦後の発掘でみつかったその場所が、
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(GoogleMAPより無断転載)
なんです。
ということは、さっきの7000年前の地図でいうと。
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(ビーバップハイヒールより無断転載、無断プチ二次加工)
このへんか?
「ビーバップハイヒール」の奈良大のセンセによると、
信長は海外進出のためにこのあたりに目をつけたということですが、
それより、ええっと、1580年くらい?-645年=900年ちょい前、
中大兄皇子や藤原鎌足も、信長とおんなじようなこと考えたのかな?
(が、中大兄皇子たちは十年もしないうちに、孝徳天皇ここに置き去りにして、もとの都に戻りますが)
(でも、中大兄皇子、即位してから琵琶湖畔に都開くのよね。織田信長の安土城も対岸側だけど琵琶湖畔。その上、難波に目をつけたという共通点まであったのか)
■ 関ジャニ∞の「無責任ヒーロー」や「ズッコケ男道」の詞を書いて、今月からNHK総合の「あほやねん、すきやねん」金曜日レギュラーの、イナズマ戦隊の上中丈弥は堺出身。
って、お前、第八学区やったんかーっ!!
と高校調べたら、美原にある農芸高校でした。
あはははは、むっちゃジモやんけーっっ!!
おかしいな。
今日の大事件はなんといっても「殿の家出」だったはずだったんだが、
なんでわたし、こんなもん書いてんだろう………。
そんで。
【最近、困ってないけど困っていること】
■ 溝端淳平と東京一郎 @「秘密のケンミンショー」の見分けができない。
■ 「裏正」→「村正」→「かごつるべ」。
「肌が粟立つほどの戦い」を求めて、生きて三途の川に入った男、腑破十臓。
彼の愛刀は「裏正」。
最初、聞いても聞いても「うらまさ」と聞こえるのに、
あんたみたいな危ない奴が愛刀にするなら当然そりゃ妖刀「村正」だろ? しっかり発音しろよー、
と思ったら、唐橋・前世はオルフェノク・充の滑舌が悪いわけではなく、聞えたまんまの「裏正」であった。
御免。>唐橋・あんたがこんな渋いいい男になるなんて、2003年には想像だにしなかったわ・充
で、腑破十臓の刀は「裏正」だったんですが、
(いや、びっくりしたね、まさか逆刃刀だったとは。しかも緋村剣心のとは違い、正刃も潰してない、両刃刀)
(wikiの「日本刀」の「7.3 造り込みの種類」によると、「
そういえば「村正」って、ときどき血を吸わせてあげないとかたかた鍔鳴りがするとか、一度鞘から出すと生きてるもんをなんか切らない限り鞘に「ハウス」しないとか、自分の欲望のために持ち主を操るとか、いろいろ言われてるけど、具体的なエピソードってどんなのかな、とネット調べてみたら。
面白い話が載ってない~。
徳川家が村正を嫌い、そのせいで「妖刀」伝説が作られていったという、まっとうな話しかみつからない~。
他にも名刀とかにまつわる逸話とかも読んでみたかったので、
ググったらまず『名刀伝説』(牧秀彦 新紀元社)というのがみつかり、図書館探したらあって、しかも誰もいま借りていなかった。
で、借りてきて読んだんですが。
まず
次の項「
いや、
しばし呆然としたものの、気をとりなおして読み進めて、やっと判明したのだが。
この本、実在の刀も混ざってるけど、コンセプトとしては、歌舞伎や浄瑠璃に登場する名刀妖刀の紹介、であったのだ。
あちゃー。
わたしが読みたかったのは「実在の人物が愛用していた実在の刀にまつわるうさんくさい逸話や伝説」だったのなのなのなの…。
ともあれ、めんどくさいとこはとばしとばし読んでたら。
「村正」の項が。
おお、やっと「村正」~♪と思ったら、その横に「
え、え、え、「かごつるべ」って、こないだまでうちの安(安田章大) がやってた芝居のタイトルじゃんーーーっ!!
チケット申し込みはしたんです、こっちは片仮名の「カゴツルベ」。
でもハズレてさー、観に行かれた方々がお書きあそばされてる感想とか、やさぐれてぜんぜん読んでなくて、だから内容もぜんぜん知らなかったのよ、「カゴツルベ」。
タイトルがまさか刀の名前、それも「村正」だったとはー。
「かごつるべ」なる異名をもつ「村正」が大暴れする話だったとはー。
■ 安徳天皇と一緒に壇ノ浦に沈んだ叢雲剣はレプリカ、かも。
で、さっき書いた「叢雲剣」ですが、わたし、これの本物は平家滅亡のとき、安徳天皇と一緒に壇ノ浦に沈んで、熱田神宮にあるのはレプリカと、ずーーーっと思ってたんですよ。
が、これもさっき書いた『名刀伝説』、これの巻末の参考文献一覧の中のおもしろそうなのをまた図書館で借りてきたんですが、
その中に『日本刀よもやま話』(福永酔剣 雄山閣)ってのがあったんですが、それのしょっぱなの「皇位と神剣」の中に、
「熱田神宮は、
その後、熱田神宮から盗まれるという事件があり、熱田神宮に置いておくのは危険だと皇居に戻されたのだが。
「第四十代天武天皇が病の床に臥せられた。陰陽師に占わせたところ、神剣の祟りと出たので、さっそく熱田神宮に返還された。それ以来、連綿こんにちに至るまで、同社に鎮座ましましている」(20頁より無断転載)
どっひゃー。
と、『日本書紀』下巻(訳:宇治谷孟 講談社学術文庫)を引っ張り出してみれば。
「(朱鳥元年六月)十日、天皇の病を占うと、草薙剣の祟りがあると出た。即日、尾張国熱田社に送って安置させた」(308頁より無断転載)
うっわー、ほんまやー。
が、あらためてwikiの「叢雲剣」の項を読んでみたら、
熱田神宮のが本物説と、本物は壇ノ浦の底説と、決着はついてないらしい。
このネタ調べてっ、「決着!歴史ミステリー」っっ!!
しかし、ほんまもんがずーっと熱田神宮にあったのなら、「太平記」の立つ瀬は………。
■ 7000年前、大阪市内の大部分は淀川の河口だった。
24日の「ビーバップハイヒール」で初めて知りました。
それによると、7000年前の大阪市は、
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(24日の「ビーバップハイヒール」より無断転載)
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(24日の「ビーバップハイヒール」より無断転載)
で、河口にあった島々の名前がいまの地名に使われてて、だから大阪市内って「島」のつく地名が多いんだって、へえへえへえへえへえ。
その後、淀川の運ぶ土砂がどんどん溜まってったけど、織田信長&豊臣秀吉が大阪城建てて、
(この回のかしこブレインだった奈良大学の地誌のセンセによると、最初に織田信長がいま大阪城あるとこに大阪城建てて、信長が死んだ次の年に今度は秀吉がそれをでっかいのに建てなおしたんだって)
あたりを開発しだすまでは、ずくずくの湿地帯だったんだって、へえへえへえへえへえ。
したあとで、思い出したんですが。
無事故の日なし大化の改新のあと、皇極天皇の弟の孝徳天皇が即位して、都が
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(GoogleMAPより無断転載)
なんです。
ということは、さっきの7000年前の地図でいうと。
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(ビーバップハイヒールより無断転載、無断プチ二次加工)
このへんか?
「ビーバップハイヒール」の奈良大のセンセによると、
信長は海外進出のためにこのあたりに目をつけたということですが、
それより、ええっと、1580年くらい?-645年=900年ちょい前、
中大兄皇子や藤原鎌足も、信長とおんなじようなこと考えたのかな?
(が、中大兄皇子たちは十年もしないうちに、孝徳天皇ここに置き去りにして、もとの都に戻りますが)
(でも、中大兄皇子、即位してから琵琶湖畔に都開くのよね。織田信長の安土城も対岸側だけど琵琶湖畔。その上、難波に目をつけたという共通点まであったのか)
■ 関ジャニ∞の「無責任ヒーロー」や「ズッコケ男道」の詞を書いて、今月からNHK総合の「あほやねん、すきやねん」金曜日レギュラーの、イナズマ戦隊の上中丈弥は堺出身。
って、お前、第八学区やったんかーっ!!
と高校調べたら、美原にある農芸高校でした。
あはははは、むっちゃジモやんけーっっ!!
おかしいな。
今日の大事件はなんといっても「殿の家出」だったはずだったんだが、
なんでわたし、こんなもん書いてんだろう………。
そんで。
【最近、困ってないけど困っていること】
■ 溝端淳平と