===途中入場===
《お仲入り》
春風亭柳好…『動物園』
※柳好師匠を初めて聴いたときから変わらぬ「古典芸能」のマクラ。
もう何十回と聴いているのに、一向に飽きないのはナゼだろう![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_3.gif)
もうこのマクラを聴かないと落ち着かないくらい![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_1.gif)
今夜もお手を煩わせましたぜ!![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_2.gif)
コントD51…「花吹雪トキ コロッケの味は、おふくろの心が隠し味」
(国分健二(新山真理休演)順序変更)
※「この辺で、花吹雪荘って知りませんか?」と問いかけられた最前列の客。
「この間、末廣で聞いたよ」![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_4.gif)
・・・こういう客にはなりたくねーな!![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_7.gif)
三遊亭笑遊…『宮戸川』
※いきなりおじさんの家を訪ねる場面から![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_5.gif)
この展開だと、お花がいることとか、「飲み込みの久太」という“いわれ”が不明確になっちゃいますね![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_5.gif)
全体的にはかなりウケてましたが・・・![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_3.gif)
桂歌春…『長命』
※「襲名ブーム」のマクラから一転、『長命』へ。
二番目に死んだ伊勢屋の養子の表現が、通常の“小●三”ではなく『笑●』になっていました!![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_4.gif)
(注)●には“遊”という字が入ります![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0205.gif)
東京丸・京平…「京丸・京平の芸能まぜごはん」
※「都上英二・東喜美江~内海突破・並木一路」、「大河内傳次郎~片岡千恵蔵~月形龍之介~左卜全」、「清水次郎長(浪曲)」
さすがに浅草のジジババも、「英二・喜美江」や「突破・一路」はわからなかったみたい。
せめて「エンタツ・アチャコ」「ダイマル・ラケット」でしょ?![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0200.gif)
三遊亭圓輔…『親子酒』
※「吸い出し膏」のマクラが徐々に浸透していき、さすがに圓輔師匠も『笑うときはいっぺんに笑ってくださいよ』![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0199.gif)
檜山うめ吉…「芝で生まれて~佐渡おけさ/潮来出島(踊り)」
※2曲とも入る前に「私は倉敷の生まれで・・・」
関係ないじゃん!![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/panda_2.gif)
春風亭柳橋…『こんにゃく問答』
※うめ吉さんが2曲だけだったので、上がりは8時35分。
たっぷり25分強の一席。
問答場面から客席は大盛り上がりでした!![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0145.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0145.gif)
《お仲入り》
春風亭柳好…『動物園』
※柳好師匠を初めて聴いたときから変わらぬ「古典芸能」のマクラ。
もう何十回と聴いているのに、一向に飽きないのはナゼだろう
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_3.gif)
もうこのマクラを聴かないと落ち着かないくらい
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_1.gif)
今夜もお手を煩わせましたぜ!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_2.gif)
コントD51…「花吹雪トキ コロッケの味は、おふくろの心が隠し味」
(国分健二(新山真理休演)順序変更)
※「この辺で、花吹雪荘って知りませんか?」と問いかけられた最前列の客。
「この間、末廣で聞いたよ」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_4.gif)
・・・こういう客にはなりたくねーな!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_7.gif)
三遊亭笑遊…『宮戸川』
※いきなりおじさんの家を訪ねる場面から
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_5.gif)
この展開だと、お花がいることとか、「飲み込みの久太」という“いわれ”が不明確になっちゃいますね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_5.gif)
全体的にはかなりウケてましたが・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_3.gif)
桂歌春…『長命』
※「襲名ブーム」のマクラから一転、『長命』へ。
二番目に死んだ伊勢屋の養子の表現が、通常の“小●三”ではなく『笑●』になっていました!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_4.gif)
(注)●には“遊”という字が入ります
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0205.gif)
東京丸・京平…「京丸・京平の芸能まぜごはん」
※「都上英二・東喜美江~内海突破・並木一路」、「大河内傳次郎~片岡千恵蔵~月形龍之介~左卜全」、「清水次郎長(浪曲)」
さすがに浅草のジジババも、「英二・喜美江」や「突破・一路」はわからなかったみたい。
せめて「エンタツ・アチャコ」「ダイマル・ラケット」でしょ?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0200.gif)
三遊亭圓輔…『親子酒』
※「吸い出し膏」のマクラが徐々に浸透していき、さすがに圓輔師匠も『笑うときはいっぺんに笑ってくださいよ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0199.gif)
檜山うめ吉…「芝で生まれて~佐渡おけさ/潮来出島(踊り)」
※2曲とも入る前に「私は倉敷の生まれで・・・」
関係ないじゃん!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/panda_2.gif)
春風亭柳橋…『こんにゃく問答』
※うめ吉さんが2曲だけだったので、上がりは8時35分。
たっぷり25分強の一席。
問答場面から客席は大盛り上がりでした!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0145.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0145.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0145.gif)
ご来訪、ありがとうございます!
確か、英二・喜美江師匠の漫才スタイルの説明とテーマ曲の一部を紹介していたと思います。
英二師匠のギターとハーモニカは子供心に見た記憶があるのですが、ギターを持った男性漫才師というと「暁伸・ミスハワイ」先生とダブってしまい、鮮明ではないのです。
お役に立てず申し訳ありません。
ご返事ありがとうございます。
僕は中学三年生なのですが、落語・漫才に関しては特に興味を持っており、英二・喜美江さんは有名なのに音源がほとんどないので悔しかったんです。貴重な情報ありがとうございます。
僕も試験が終わった時などには末広亭で左の桟敷の一番前に陣取っています。もしかしたらお会いできるかもしれません。
伸・ハワイさんも好きですね、「アーイーヤー」のハワイさん、とても好きな芸風です。
♪君と一緒に歌の旅 歌えば楽しユートピア…♪というテーマソングは僕は聞いたことがありません。もう三十年早く生まれていれば、東京の色物を研究できたのに・・・。そう思うと、ちょっと悲しいです。
これからもちょチョイこちらの方にはこさせていただきますので、どうぞよろしくお願いします。
中学三年生で「英二・喜美江」「一路・突破」って・・・。
なんか、ン十年前のアタシを見ているようです。
「アーイーヤー」もご存知ですか!?
大阪で働いていた頃、松竹芸能系の寄席によく行き「伸・ハワイ」先生の高座は何度も見ましたが、ギロをこするハワイ先生の姿は今でも脳裏に焼き付いています。
「一路・突破」については、申し訳ありませんが京丸先生の話はちょっと記憶にありません。
アタシ自身も、生まれる前に解散されたコンビなので見たことはありません。
悠朝さまが特に漫才がお好きならば、東洋館の上席「漫才大行進」をおススメします。
若手からベテランまで、息をもつかさぬ漫才の連続で楽しめること請け合いです。
ちょっと先の話になりますが、年末に浅草演芸ホールで行われる「年忘れ漫才大行進」なら一日中、東京漫才が楽しめますよ!
最近は末廣亭に行ってませんが、お会いできたらいいですね!
アタシは上手側(右)椅子席の前から2列目~端に陣取ることが多いです。(寄席の最前列は好きではありません)
またいろいろなコメントをお待ちしております!
そうなんです、中三で英二・喜美江、左近ショウ、フラワーショウに若葉トリオ(これはさすがに覚えてらっしゃらないと思います)が大好きなんです。
伸・ハワイさん、前回上方演芸の殿堂入りをされたそうです。同時に受賞されたホットブラザーズさんも個人的に好きな芸人さんだったので、嬉しかったです。
漫才大行進、行きたいのですが試験と重なって・・・。東洋館に行ったことはありますが、その時は源氏太郎さんと牧伸二先生目当てで行きました(中席ですね)。
あと、いろいろ昔の寄席の色物について詳しい情報を探しています。今探しているのは、新山悦朗・春木艶子さん、千家松人形・お鯉さん、都家かつ江さん、瀧の家鯉香さん、そして木田鶴夫・亀夫さんです。みんな今となっては非常にマニアックな色物となりました。
落語も、先代枝太郎師匠や留さん文治、鬼の馬風や先々代の小勝師匠などちょっと珍しい方々が好きです。特に馬風さんや留さん、あの独特の語り口は大好きです。
いつかお会いできるといいですね!!
恐るべし中学三年生です!
書かれた芸人さんのうち、
※若葉トリオ
※新山悦朗・春木艶子
※瀧の家鯉香
※鬼の馬風
※先々代小勝
は存じ上げません。
初めて聞きました…。
ただ、新山悦朗さんは新山ひでや先生の師匠、木田鶴夫さんは並木一路・宮田洋容門下ですから宮田章司先生に、それぞれお聞きになると詳しい事が分かるかもしれませんね。
◎宮川左近ショウ
暁輝夫・松島一夫さんとの掛け合いは楽しかったですね。
女形を演じる暁さんと、ひっそりとギターを弾く松島さんの対比が面白かったです。大好きでした!
◎フラワーショウ
子供心に「華ぼたん」さんの美しさに見とれた記憶があります。
後年、「華ばら」さんと「華ゆり」さんの2人で高座を務めていたのは角座・浪花座で見ています。
◎都家かつ江師匠
東の都家かつ江、西の吾妻ひな子が当時の三味線芸の代表格でした。
浅草・日本堤出身らしく、豪放磊落な気風のいい芸風でした。
◎木田鶴夫・亀夫さん
大柄な鶴夫さんに、小柄な亀夫さん。
当時の東京漫才は、このような大柄・小柄コンビが流行していました。
獅子てんや・瀬戸わんや、青空千夜・一夜さんなどもそうですね。
◎先代・桂枝太郎師匠
このブログで何度か書いていますが、アタシの祖父と川柳で親交があったので、本当に実の孫のように可愛がっていただきました。
昨年三代目が誕生し、名跡復活に喜んでいます!
マニアックな色物さんとしては、他にも
「牧野周一」「東冨士夫」「早野凡平」「東京ぼん太」「宮尾たか志」「波多野栄一」と言った方々がいらっしゃいます。
またいずれ、何かをお伝えできればと思っています。
またまたご返事ありがとうございます、はー、マニアックな色物、宮尾隆さんは宮尾すすむさんの師匠で、お父様が三代目の柳家つばめということは知ってます。若死にされたそうで。でも聞いてことが無いです。
富士夫先生は樽を足で回す芸がうまかったそうですね。僕の持ってるDVDでは、樽の芸はやらず、ストックでバケツの蓋を回しながら、短い棒で帽子を回す芸をやってらっしゃいました。
凡平さん、ゴルフバッグからホンジャマーの帽子、パイプオルガン、ロープの芸、そして笛と猿のおもちゃの合奏、ほんとに面白い芸でした。奥さまは印南明美さんと言って、この前東洋館でみました。踊りを踊ってらっしゃいます。
牧野周一先生は牧伸二先生の師匠ですね。あの語り口、一回だけ録音を聞いたことがあるのですがたまりませんでした。
波多野栄一先生、長生きでしたね。百面相はこの人でした。貫一・お宮や聖徳太子、カウボーイなんかもうほんとに面白かったです。
鬼の馬風は、先代の馬風で、いかつい顔から鬼と呼ばれました。「よく来たなぁ、どっから来るかしらねェが、もうお帰りよ」なんてやってまして毒舌がたまりませんでした。
千家松人形・お鯉さんは、漫才で、女性二人だったそうです。人形さんは、どうも松乃家扇鶴先生のお師匠だそうで、つい最近知って非常に驚きました。ちなみにお鯉さんの元相方が鯉香さんだそうです。
あと、資料を探している漫才があります。「シャンバロー」です。東京ボーイズの師匠なんだそうです。
長々と駄文、大変失礼いたしました!
もうホントに脱帽です。
それにしても“マニアックな色物”さんとしてここで名前が上がった方々の門下に、現在は芸協で活躍されている師匠、先生方が多いのには驚きます。
千家松人形さん-松乃家扇鶴先生のことなんて、アタシは今知って非常に驚きました!
それ以上に、悠朝さまの豊富な知識に驚いていますが・・・。
東冨士夫さん-アタシの記憶では「富士夫」ではなく「冨士夫」(ウ冠ではなくワ冠)だったと思いますが…-の、足で樽を回す芸は『東宝名人会』で何度も見ましたが、何度見ても可笑しくて飽きない芸でした。今の“ボンボンブラザース”先生のように。
波多野栄一先生は1回だけ、まだ畳敷きだった『池袋演芸場』で見ました。
おっしゃる通り、「貫一・お宮」「聖徳太子」で大笑いしたものです。
「貫一・お宮」の時は、途中で貫一だかお宮だかわからなくなってしまうオチもありました。
ちなみに波多野先生の百面相は、江戸東京博物館7階図書館の「映像ライブラリー」でタップリご覧になれます。
さて「シャンバロー」ですが、こちらも『東宝名人会』で幾度となく拝見しています。
内容は記憶していませんが、おじさん3人の軽妙なやり取りと音楽が子供心に面白かったようです。
ただ映像が残っているでしょうか?
もう一度見たい!と思っているのはアタシだけではないハズですから・・・。
ホントに芸協の方々、多いんですよね。ところが不思議なのが、悦朗・艶子さん、どうも落語協会所属だったみたいなんですね。
そうでした、冨士夫先生は「冨」の字でした。そっちの方が、寄席文字にしたとききれいなんでしょうか?
シャンバロー、写真すら僕は見たことなくて・・・・僕の担任の先生から、柳四郎さんははげ(坊主?)だったという話を聞いたんですが、それ以外はほとんど。
なるほど、東京の資料館は江戸東京博物館なんですね。大阪のワッハ上方にも、大阪の番組に出たときの波多野先生の映像が残ってらっしゃいました。
あと、ちょっと今は知ってる人が多くない昔の色物さんで、やなぎ女楽さんや、二代目三亀松(昔の亀松さん、音源が全然ないです)、キャンデーボーイズさんなんかは、見てみたかったですね。