【#タイムフリー】「 #河井議員夫妻 が起訴、#イージス・アショア を巡り新・旧防衛大臣が討論、 れいわ新選組公認候補が #命の選別 発言」#国会閉会中 の政治の動きを荻上チキが解説▼2020年7月8日(水)(TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」) https://t.co/76Ol5eVQle #ss954 #tbsradio #radiko
— 荻上チキ・Session-22 (@Session_22) July 8, 2020
7月8日、TBSラジオを聴いててちょっと気になったことがありました。
ツイッター上では、 #命の選別 発言とありますが、荻上チキさんは優生思想について、よくお考えになる方でもありまして。今回はその解説を番組を聴いていて、僕もそれに思うところがありました。
僕は成長過程で『姥捨て山』や映画では『楢山節考』などを観て、「こういったことはダメだな」と学んできました。『姥捨て山』は国語の授業とかで習ったり、その時点で『命の選別』はいけないことだと、成長の段階で思想的にシャットアウトしてきました。
『姥捨て山』の昔ばなしは、貧困にあえぐ集落の税制(年貢)に関わったお話しのひとつと思いますが、政治に携わる人間が『姥捨て山制度いいんじゃね?』ってなってしまうと、可哀そうなことしか起きないと、子供でもわかりそうなお話しです。
ただ、僕はわかっているつもりでいたんですけど、その『つもり』だけでは通じないこともありまして。
僕は20代の頃、正確にはそれ以前からかもしれませんが、親とはあまり意思疎通が出来ていない時代を過ごしてて、なにげに『姥捨て山』のことを口にしたら、母親が嫌やーな顔というか「何を言い始めるんだお前は」といったことを言いかえされた覚えがあります。『うばすて山』っていう言葉だけで母親は敏感に反応しました。僕が二十歳ぐらいの事です。二十歳の人間が親の前で言うセリフではないと、あのときはそう思いました。それだけ信用されてなかったんです僕は、頭ごなしに毛嫌いされました。それからもギクシャクしました。
日本社会は、こういった民話も教訓にして、現代社会がなりたっているんだと思います。それは与野党共通の認識ではないでしょうか。『姥捨て山制度』二十歳を過ぎて言うセリフではないと。