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旧える天まるのブログ
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原動機付自転車・ノックノック

2021-04-01 10:27:59 | ノックノック(雑記の宿)

 以前にも50CCバイク・原付バイクのことを一部ご紹介しましたが、原付バイクに乗り始めたのは16歳を過ぎてからでした。

 ことの始まりは下宿生活を始め、そこから新聞配達のバイトをはじめたときに、「バイクがあればどれだけらくなんだろう」と思いはじまたのがきっかけでした。

 新聞配達はスポーツ新聞で、一般新聞と違って配達する個所も続けざまに配るようなルートではありませんでした。1件配ると次に配る場所はしばらく進んだ所にある家に1件と。近い場所に1件1件というふうにあればらくなのですが、スポーツ新聞を追加で頼む世帯はそんなに多くはなく、一人で広範囲を配って月5千円分の配達料でした。

 16歳ぐらいの新聞配達のバイトは、そう簡単にあるわけでもなくて(先客人がすでにいたりと)自転車だとさらに配達できる数量も限られていました。

 はじめは一緒に下宿していた学生さん(専門学生)が原付バイクに乗るようになり、自転車は使わなくなったのでそれを借りて新聞配達を始めました。「すぐに自分も自転車を用意するから」と言ってからだったので、それで新聞配達のバイトができるようになりました。自転車のあてもなければ新聞配達も断られていました。

 実家にいる両親に新聞配達のバイトができるようになったからと連絡して家にある自転車を持ってきてくれと連絡しましたら、僕が乗っていた自転車は処分されていて、「新しく自転車を買って送るから」と返事がありました。

 お金を送ってもらえれば、こっちで自分に都合の良いのが買えたのですが「買って送るから」と言われたので、それもよしと思い楽しみに待ってました。

 あの頃は自転車となると宅配便よりか、列車の貨物輸送で届く時代でした。届いてみて驚いたのが、自転車といっても業務用の自転車が16歳の少年のもとに届きました。

 

実用自転車の美

三年前に購入した愛用自…

『いっそん法師』

 

リンク画像で見れる方で、紹介しますが、その当時、見た画像に似てたのは『実用自転車』というものが僕のところに送られてきました。

 ママチャリでも良かったんです僕は。まさか!業務用の自転車が自分用の自転車になるとは思ってもいませんでした。色はもっと濃いグレー色が目立ち、あの当時の時代背景からだとオシャレ感はまったく感じませんでした。『大きくて重たい』ただそれだけにしか感じなかった自転車でした。

 これでスポーツ新聞を配達するのは大変でした。親の気持ちを考えると文句も言えませんでしたから、しぶしぶ業務用マイ自転車でスポーツ新聞を1件づつ配って配達しました。カゴがやたらデカかったので、空き瓶をみつけては持って帰りながら新聞配達をしました。

 あの当時は、空き瓶1本10円で交換してもらえたので、最低10本になるくらいは拾って帰りました。コカ・コーラの1リットル瓶は1本30円だったので、家の玄関先に酒屋さんからダースで頼んであるような家もあって、そこから空き瓶を拝借したこともありました。なんていうか考えてることは16歳のバカ少年そのものでした。部活もやってた頃で、朝ごはんに帰ってくるのに間に合わなかったこともあって、1日1食とか、夕ご飯だけ食べて、あとはカップ麺を食べてたり、ほかほか弁当を買って食べたりと。5千円を貰ってもすぐに消えてました。1000円は実家に帰る電車代(それでも足りないんだけど)持ってなきゃならなかったから、実際は5千円を貰っても4千円しか使えませんでした。

 16歳の秋の部活の大会ではベンチ入りはしたものの先発から外されり、勝てたような試合を落としてて、なんか学校、部活動でもいいことはなかったです。レギュラー入りしてたので全否定はしませんが。

 自転車は業務用となると、人目が気になって日中は走れませんでした。新聞配達してるときは気になりませんけど、普段、乗って走るには抵抗がありました。自分の家が新聞販売店の息子なら、ぜんぜん気にならなかったんでしょうけど。同世代、同級生たちとはなかなか、それが引っかかってて交流がうまくいきませんでした。

 今見ると、べつに気になるような自転車でもないのですが、レトロブームというのがまだなかった時代で、シャレにもならずに乗るのも抵抗があって駅前まで乗って行ったはいいのですが、帰りは乗って帰れなくて、駅前に放置したまま、最後は放置自転車として撤去されてました。せっかく買ってもらった自転車なのに勿体ないことをしてました。つき合った彼女に対しても僕はそういった男でした。

 自転車を失くす前、いわゆる新聞配達をしてた時は冬場が大変でした。朝に雪が積もっててそこをあの重たい自転車で走るのは大変でした。自転車から降りて何軒か手に持って配ってゆくといったルートじゃなくて1件づつ自転車で走りながらまわってたので、雪道は疲れました。

 そのとき下宿屋で知り合った、専門学生さんが自動二輪の免許を取得し始め、自転車から原付バイク、そして次に乗り替える段階になってまして、その時乗っていたのが『ロードパル』だったかな?と思うのですが・・・・・

 

ホンダ (HONDA) ロードパル | ROADPAL

「ラッタッタ」のキャッチフレーズで親しまれた「ロードパル」は、それまでのバイクのイメージを覆す画期的なスタイルで、1976年2月に発売された...

 

 

『ロードパル』ぽいのに乗ってまして。というのも1983年にロードパルは生産終了してて。「これラッタッタ?」と聞いたとき「ではない」といった返答がありまして、ラッタッタは当時の流行語でしたから、単純にそう聞いたときに「それではない」というのが頭に残ってました。

 

スズキ (SUZUKI) スージー | Susie

 

 

 

 車体を思い出せば、もしかしたら『スージー』に乗っていたのかもしれません。これのカゴがついて無いバイクで、新聞を配達するにはカゴがあればいいのですが、あの当時、これを1万円で譲ってくれると言われまして、お正月休まずに新聞配達をしたときは1万円ぐらいのお給料がもらえまして、それで『スージー』を買ったのが初めて乗った原付バイクでした。ただ、カゴがない分、スーパーに買い物カゴが外にあったのを持ってきて、それを付けて新聞配達をしました。

 バイクのほうが先に手元にあったので原付免許を取得する前に、無免許で新聞配達したことが始まりです。雪が降っていてすぐにでも乗りたいときでした。「これほどらくなことはない」と思ったのが初バイクの感想でした。でも、すぐにバイクで配達したことは、バイト先には知られまして「バイク免許とったの?」とすぐに言われまして。「いいえ、まだ」と応えたら「ダメだよ、まだ乗っちゃ」と言われました。自分はなんかポカーンとした様子でした。バイト先には「免許取ったら教えてね、その分、給料多くするから」と言われました。

 「原付免許があれば、あとはらくになる」と思いつつ、冬場は自転車に乗って新聞配達してるうちに、冬休みは部活をしてたり、春が近くなったころかな、体調を崩しまして病院に通うようになりました。自転車は駅前に放置していたまま、買ったバイクも下宿屋に置いたまま、時が過ぎてゆきました。

 部活を休みながら、食事制限や治療をしながら学生生活をおくってまして、初夏になった頃に原付バイクの免許を取得しました。2年生のときは、体調を悪くして部活を休んでたのにもかかわらず、同じクラスの部員から虐められまして「なんで俺をそんなに目の敵にするんだろう」と思いました。

 なんとなく救いになったのが、原付バイクの免許試験にいったときでした。教室にいると僕と一緒にいると酷い目にあうのは知っていたので、言葉もかけずに周りの生徒はそうしてましたけど、休日、免許センターで顔を合わせると親しくしてもらいました。試験の待合いから合格発表の間の時間は、一緒にラーメンを食べたり会話をしたりと、共通のことで楽しくすごしました。けれど、学校の教室にもどると「知らんふり」別人のようになって僕も「知らんふり」しました。病気療養のあとには暴力事件が起きまして。ひとりの生徒による口達者で徒党を組みながらの圧力には困りました。はじめは愛嬌のあるやつだと思っていたんだけど、僕は特別扱いされていたと思っていたのか?部活を休み始めると豹変しまして2年生になって後輩が入って先輩になった途端に強がってました。

 買ったバイクのほうは下宿屋の外で野ざらしで放置してたことで、エンジンのかかりも悪くなって、免許を取って乗っても調子のいい感じではありませんでした。新聞配達もその前に辞めていて『スージー』のバイクはほとんどバイトには使えませんでした。

 下宿屋の学生たちのほとんどが原付バイクから乗るようになりまして、高校時代からバイクに乗っていた人も実家からバイクを持ってくるようになりました。

 

スポーティ・スクーター「ホンダ・リード50」を改良 出力および燃費を向上して発売

本田技研工業の広報発表ニュース -  本田技研工業(株)は、スポーティ・スクーター「ホンダ・リード50」のエンジンなどを一部改良し、出力およ...

 

 

  覚えてるのは陸前高田市から来た人で、実家にもどり『ホンダ・リード』に乗ってバイクを持ってきたことは覚えてます。「自慢のバイク」だと言ってまして、その後、自動二輪の免許を取って新車を買って乗せてもらったり話を聞いたりもしました。

 

ホンダ (HONDA) シャリィ50 | CHALY 50

シャリィ50は、1972年7月に初代モデルが発売され、数回のマイナーチェンジ(小変更)を受けながら、1997年モデルまで販売された長寿モデル...

 

 

 『ホンダ・シャリィ』に乗ってた人もいました。スクーター全盛の時代だったので、ちょっとまわりからはそれた感じに思いましたが、僕は見ていてこういったのにも乗りたかったので、乗っていて羨ましかったです。女性向けバイクが世に出た時代でしたから「これは女性用」とか決めつけていた自分はジェンダーバランスに欠けていたようにも思います。70ccのもあるようなので、小型二輪免許があれば、これなら今でも乗って走りたいです。

 僕が原付免許を取って、初めに買ったバイクが途中で調子が悪くなりましたから、バイクを譲ってもらった知人から、夏休み中実家に帰っている間、ほかのバイクを貸してもらいまして、

 

MT50 車体データ・スペック

ホンダのMT50のスペック・特徴・流用情報・メンテナンスデータを詳しく説明しています。

機械オタクの朝は遅い・改

 

『ホンダ・MT50』を貸してもらって実家まで乗って帰りました。7月に暴力事件があって、8月のお盆休みの間はこれで実家の地元を走ってました。酷いことがありつつも、バイクがあったことで嫌なことは忘れてました。

 部活にかかる費用もバイク1台は買えるぐらいの金額でした。他の生徒はバイクも買いつつ部活もやってましたけど、僕はすぐにでもやめてその分をバイトに充てる時間を設けて親の負担を軽減してもよかったかなーと思うほど、学校に相談も親にも相談はしませんでした。

 高校を卒業したぐらいに『ホンダ・MTX50』を自分で買うのですが、それまでなかなかバイクは買えませんでした。バイク一台あるだけで、同世代の共通点がひとつ持てたりとか、自動車の社会でも隔たりはあります。「50歳過ぎて軽自動車に乗ってるのか」とか言われてコロナ前に働いてた会社からそういう言葉を投げかけられてツレも惨めな思いをして帰ってきたりとか、若い時代も僕もそういうので苦労しました。お互い若ければ、ファッション的感覚でそういわれることもありますが、50歳を過ぎてから言われたりすると辛いこともあります。

 自分の子供は親にも悩みを打ち明けつつ学校にも相談しつつ、続けられない部活動はやめて次に進んでました。

 自分も出来なかったわけでもないので、親になると子供の奨学金を払ったり、学資融資金庫の支払いをしていますけど、同世代よりも物理的に低水準だと、50代にしてもなお辛くにもなります。部活の費用がかかるのを知っていて子供に無理にさせなかった親からすれば、3年間しっかりとやらせた親と卒業後に比較すると、親としては委縮してしまいます。というか、身の置き所がなくてしんどくもなります。

パッソーラについて。 - TAMIYA CC-01大好き!

今回はロングノーズ装着!こんな感じ^_^放置状態のマイDAXちゃんまで写り込んでしまったわ^_^;DAXは金かかるからなかなかなおせなくて^...

パッソーラについて。 - TAMIYA CC-01大好き!

 

  パッソーラだったかな。高3の時に地元の同級生がちょっと改造したのに乗ってて、友達の家に泊まりに行くから一晩借りたんです。走るとちょっとエンジン音が高く鳴り響いて、走ってると家の中からでも聴こえるようなバイクでした。

 そのとき、友達の家で夜にお腹がすいたからと、カップ麵を買いに出かけたら、近所の悪ガキが音を聴きつけ寄ってきまして、僕はそこではよそ者でしたから、いちゃもんつけられまして、数人に囲まれてビンタをくらいました。

 ビンタをくらったら、ビンタで返せばいいのですが、ビンタの次は拳、その次は武器、といったようにエスカレートしてゆくのが目に見えていたので、ビンタをくらった時点で頭を下げてひっこみました。カップ麺を買いに行ってビンタくらって正座までさせられて、エスカレートして相手の息の根止めちゃうは僕のほうですから。なんかほんとに自分の力加減は嫌になります。パッソーラに乗ってカップ麵を買いに行ったら大恥をかいて、その後は「殴られたやつ」で汚名を着せられて、過去は消えないまま。殴ったやつは勇者。なんだかなーですよ。呼び出したのはそっちなんだけど。なめられてばっかりです。

 バイクは原付バイクしか乗れませんでしたが、自動二輪の免許を取る暇もお金もなく、他から見ればしょぼいお話しかもしれませんが、高校3年間でクラスメイトは3人ほど亡くなってます。

 3年間で毎年ひとりは亡くなったと知らせがありました。自分もその中のひとりになっていてもおかしくないような学生生活をおくってました。原付バイクでスピード違反をするようなら、社会人になってからでも小型二輪免許ぐらいとっててもよかったんではないか?と思うことも。最近は足腰も弱くなって、みょうにバイクが欲しい今日この頃です。

 

 


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