2月22日は元号も令和になり天皇誕生日の祝日もこの日なりました。今の天皇陛下さまとはお目にかかったことがまだございませんが、上皇さまとは平成元年11月に催し事にお見えになりまして、ご観覧とお言葉を述べられまして、初めてそのお姿を拝見したことがございます。
うちの祖父母の家には天皇ご一家のお写真が飾られてまして、僕が5歳ぐらいからの覚えなのですが、写真から今の天皇陛下の少年時代のお姿も見えまして、そのときの紀宮さまも大変可愛らしく見えていたことに親近感を抱いて見てました。
紀宮さまはご公務以外で伊豆沼に来られることがありまして、サンクチャリセンターに立ち寄ったときには「昨日、来られまして」と館長が言っていたときに何気なく座った席に僕が座ってしまい、館長の顔色が変わり「あ、そこは昨日‥‥‥」と、せっかくの場を汚してしまい恐縮しましたが、「特別にご用意した席ではございませんので」と、「どうぞお気になさらずに」と言われまして記念になった思い出もございます。プライベートのことでしたから、家庭内だけでこのお話しは今日まで公には語りませんでした。
今の天皇陛下が皇太子さまだった時代に、僕も20代前半で、友達に繁華街に誘われました。あまり友達に誘われてお酒を飲むことは滅多になく、友達は行きつけの飲み屋さんで楽しくしてました。僕は年を重ねるごとに垢抜けることがなく、その場の雰囲気では地味な感じでした。カラオケも最新の曲とか歌えなくて、友達はBOOWYとか吉川晃司とかを歌いお店には常連として馴染んでいました。
その時、新人で入りたての従業員さんもいまして、まだ慣れてないようで僕と一緒にカウンターの隅で派手に盛り上がってる友達たちを関心してみてました。その時にあだ名をつけられたのが皇太子さん。派手な髪型もしてなくて仕事もいい仕事にもありつけなくて、どんどんと下にさがっていく中でしたから、よく見られて皇太子さんと言われました。他は氷室さんとか時代の上を行く名前で呼ばれてました。
誘われた飲み会は終えて、次は僕以外でその行きつけの飲み屋さんに行ったときには「皇太子さんは来ないの?」と、人気のない新人の従業員さんに言われたみたいで「なんか気にしてたみたいたぞ」とあとから言われました。
僕にとっては非常にありがたいお言葉でした。
それからは、友人関係とは孤立無援の日々が続きまして、地を這うぐらい下の世界を生きています。親不孝も一因なのですが、親戚にはいいところなしで、いなくてもいい存在だと思うようにもなりました。姉弟からも見放され、先日、横浜市役所に働く義理の兄を宛てに姉にむけて連絡をしたのですが、返事を期待しましたが、今だ相手にははされず、しょんぼりとしています。陛下とご学友といったご関係もお持ちだと伺ってるんですが、僕には冷たいんですよね。わかっているんです。甘えているんだろうと。母にも酷いことをしました。ほんとは死んでほしいのか、死んでしまったほうがいいのか。いないほうがいいんじゃないかと、毎日、外国人のように敵視されコロナウイルスと呼ばれ続け、沈んだ日々も過ごしてます。
親戚や周辺に認めてもらえる機会があるとしたら、歌会始に応募して、皇居にご招待してもらうことが僕にあるひとつの夢です。なかなか いい歌が作れませんが、いい歌を作って応募してみたいです。