2月16日(日)文化放送スペシャルウイークにともなって、13時放送『ミスDJリクエストパレード』にて、チューリップ&財津和夫神セブンが予定されているようで、翌週には”80年代スーパーヒーローと、ヒーローたちの歌、神セブン”が予定されてるようですが、僕は映画『アマデウス』でのモーツァルトがヒーローで、ファルコの”ロックミーアマデウス”なんかいいかなーと思っています。
詳しくは次週に伺うということで、まずはチューリップについて。
テレビ番組『ザ・ベストテン』の放送開始前と開始後のチューリップ。
1978年TBS『ザ・ベストテン』が放送されました。この民主的音楽情報番組によって、演歌、歌謡曲、フォークソング、ロックといった様々な分野の音楽が、一同かつ平等に全国に拡散されたことは歴史的な事実でもあります。
『ザ・ベストテン』以前にもヒット曲は沢山ありましたが、テレビでは歌謡曲中心で、『ザ・ベストテン』放送開始以前は、沢田研二”勝手にしやがれ”の大ヒット、ピンクレディーの登場とキャンディーズといったようにアイドル歌謡中心に盛り上がっていました。”帰ってきた酔っぱらい”黒猫のタンゴ”およげたい焼きくん”などといった記録的なヒット曲もありましたが、いずれも1978年以前のヒット曲で『ザ・ベストテン』放送開始前のことでした。
1978年以前の1960年代から1977年までの間に、沢田研二をしんがりとするGS(グループサウンズ)のブームがありました。ビートルズの影響で、こぞってGSがもてはやされ”ザ・ドリフターズ”もその中のひとつでもありました。加藤茶の”ちょっとだけよ”のテーマ曲や志村けんの”東村山音頭”も大流行しましたが、残念ながら『ザ・ベストテン』以前の過去作となっています。
フォークグループ(バンド)の流行。代表的なのが『かくや姫』でした。その『かぐや姫』も1975年に解散しています。
その頃の『チューリップ』はと言いますと、
1972年に”魔法の黄色い靴”でメジャーデビューします。
1973年には、”心の旅”がレコード売り上げが1位となります。
そして
1973年 夏のおもいで
1974年 青春の影 ぼくがつくった愛のうた〜いとしのEmily〜
1975年 サボテンの花
1977年 ブルー・スカイ
と、いったように発表されましたが、テレビでは歌謡曲が中心で、フォークグループのようなシンパ性はなく、全国に平等にとまでは知名度がありませんでした。
1978年『ザ・ベストテン』放送開始。
この頃フォークグループは『アリス』のみとなっていました。のちに『海援隊』も”贈る言葉”でくるのですが、1973年”母に捧げるバラード”以外は泣かず飛ばずでした。
1978年、ロックバンドで『ザ・ベストテン』でまず『サザンオールスターズ』の下克上が起きます。続いて『甲斐バンド』の”ヒーロー”が大ヒットし、ロックバンドではその二組が駆けずり回りました。翌年に移り1979年に、ロックバンドの頂点に立ったのが『世良公則&ツイスト、のちのツイスト』でした。
そしてニューミュージック・ポップス(J-POP)といった分野で、1979年『チューリップ』の”虹とスニーカーの頃”が『ザ・ベストテン』に登場します。
1979年は、ロックバンドは『ツイスト』フォークバンドは『アリス』そして、ニューミュージックバンドでは『ゴダイゴ』が番組を飾っていました。
1980年オフコースの登場
チューリップの財津和夫さんとほぼ同世代の『オフコース』が”さよなら”で『ザ・ベストテン』で1位を獲得してから、ニューミュージックバンドは『ゴダイゴ』から『オフコース』へと世代交代が始まりました。この年、『チューリップ』の財津和夫さんは、”Weke UP"で79年から80年にかけて『ザ・ベストテン』にランクインし、『オフコース』の”さよなら”と同時期・同様にヒットを飾りました。そしてYMOが登場し、ニューミュージック(J-POP)サウンドが幕開けします。
アリスの解散とフォークバンドの終焉。
1981年、これまで『ザ・ベストテン』を盛り上げていたフォークバンド『アリス』が解散しました。このことによってフォークバンドブームは終焉したと言っても過言ではないかと。そして『アリス』の華々しい解散は、フォークソングの衰退とは言わず、GSブームから始まった、第一次バンドブームの終焉に過ぎなかったと思います。その後も『チャゲ&飛鳥』の”万里の河”や『雅夢』の”愛はかげろう”『あみん』の“待つわ”といった、デュエットフォークバンドが『ザ・ベストテン』に登場します。
オフコースから安全地帯の時代へ。
1980年代前半から、オフコースがニューミュージック(J-POP)バンドをけん引してました。その後『安全地帯』の登場で、ニューミュージック(J-POP)界の空気が変わります。
1984年リリースのオフコース”君が嘘をついた”のヒットを境にオフコースは『ザ・ベストテン』の登場から遠ざかってゆきます。ニューミュージック(J-POP)バンドとしての世代交代が始まりました。
僕がチューリップで思い入れがあるのは、1983年リリース『Halo』です。
非常にオフコースを意識し、オフコースに寄せたようなアルバムのひとつだと思いました。
このアルバムにある詩に僕は、いくつもの影響をうけました。
とくに『星空の伝言』は、ある意味でエロいです。ほかの言いかたをすれば普遍的にエロいです。登場人物は男女のみですが、愛のいとなみが詩で表現されていて、それでいてその前後の物語をも想像しました。一見、単純な歌詞なようにみえますが、なかなかこういった官能的な歌詞は書けないと思います。ただ、僕が期待してたほど売れなかった。この頃を境にチューリップというバンドは、メディアから遠ざかっていきました。
財津和夫としての躍動。
1986年、松任谷由実、小田和正(オフコース)財津和夫(チューリップ)の三人で『今だから』を共同制作。
演奏に坂本龍一、高橋幸宏、後藤次利、高中正義、サディスティック・ミカ・バンドが加わり、久米宏が去ったあとの『ザ・ベストテン』に登場します。
その後、1989年に『ザ・ベストテン』は終了し、第二次バンドブームは『いかすバンド天国』に移ります。
ニューミュージック(J-POP)は、テレビドラマ界を飾ります。
そして、財津和夫さんが尊敬する小田和正さんは『東京ラブストーリー』”ラブストーリーは突然に”は、トレンディドラマで高視聴率をたたき出し、その後、『ひとつ屋根の下』では、財津和夫さんのリバイバル曲”サボテンの花”でフジテレビの『月9ドラマ』の枠を不動のものにしました。
といったように、流行や地位には世代交代があり、そこに普遍的な意味もあり生産性もあるものだと、僕は思います。
次週、2月16日文化放送13時『ミスDJリクエストパレード』にて、チューリップ&財津和夫神セブンは、どのような集計になるのか?は、楽しみにいたしましょう。