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旧える天まるのブログ
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俺の高校受験進学の話・ノックノック

2021-04-14 12:16:34 | ノックノック(雑記の宿)

 高校進学というのは、いつごろから考え始めていたでしょうか。

 僕は中学の時、3年の部活動は8月の秋田県大曲市(現在大仙市)のお祭り(花火大会かな)があった日まで続けてました。なぜ大曲市なのかは、その時東北大会の会場が大曲でした。日にちはよく覚えてないのですが(思い出語り中)池田高校が優勝したか決勝戦の日だったかもしれません。テレビでちらっとみたような覚えがありまして、その後、池田高校がムーブメントになってました。

 8月のお盆頃までは部活動していたことになります。県大会では準優勝で、優勝してれば全国大会が8月の20日過ぎぐらいにありましたが、僕はその手前の東北大会が中学部活動のラスト試合でした。

 あの当時、部活系とクラブ系の大会がありまして、部活系は県大会準優勝。そして東北大会までいったのですが、クラブ系は東北大会優勝。そして全国大会出場。日本代表でハワイでの大会までありました。

 全国大会とハワイ大会は夏休み中にありまして、夏休みは大会と練習がほとんどでした。クラブ系の東北大会は夏休み前の7月初旬にありまして、優勝してからの部活動の県大会が夏休みの初旬にありました。高校野球でいえば明治神宮大会のあとで甲子園大会があるみたいな。そのようなスケジュールでした。

 クラブ系の東北大会で優勝して、県の中体連ではもちろん優勝といった感じでちょっと油断があって決勝で敗れてしまいました。県大会となるとどこが優勝してもおかしくないのですが、運よく決勝戦まで行けましてそこで接戦で敗れてしまいました。

 その時点で気がちょっと抜けた感じになりまして、ハワイ大会は代表2名。費用は30万円かかるということもありまして、選手はその後の大会に出ない生徒が日本代表でハワイに行きました。そして優勝して帰ってきまして、お土産等をいただきました。JAPANとプリントされたTシャツとマカデミアナッツチョコレートをはじめてそのときいただいて食べました。

 夏休み期間の部活動。他は世界大会までいったし、僕もクラブ系の全国大会はお遊び気分で出場して2回戦で敗れて帰ってきました。経費上、監督コーチは行かずに親子中心での出場でした。

 帰って来たあとに、大曲市での部活系の東北大会がありまして、前日、大曲の旅館に泊まりました。外はお祭りをやっていた様子ではありましたが、僕たちは旅館の部屋で過ごしてました。同じ、東北大会に出る、他の女子中学生も泊まってまして、先にお風呂に入った後に僕らが入り(小さい旅館でしたから)そのとき「陰毛みつけた」とかワイワイとして部屋にもどってからのことです。監督とコーチがちょっとお酒も入ってまして、コーチはとくに不機嫌な顔をしてました。

「納得いかない・・・・・」

 なんとなくわかるような気がしましたが、何が納得いかないかは、わかりませんでした。

「全国大会に行って賞状のひとつは貰ってくるかと思った‥‥‥」

「え!」と思いましたが、ありがたいことにそう言われました。その後はそれまでの不満を吐き出すかのように3年間お世話になったコーチにえらく怒られました。けっこう持ち上げるタイプのコーチでしたが、あの日は「納得いかない」の連発で、顧問及び監督も、ダメだしをくどくと言われ怒られまして、花火大会の花火の音も聞こえないくらいに、今までの不満を僕らにぶちまけました。

 ありがたいことなんですけど、「優勝、そして何かもらって帰れ」と言われました。二位の代表で優勝は酷な話でしたが、山形の1位を破り、秋田の1位を破り、青森の2位代表に準決勝で敗れて3位で終えました。公式戦なので新聞にも記録されました。優勝は秋田の2位代表でした。秋田県はその当時レベルが一番高く、高校進学は秋田の高校へでも行こうかと、中2ぐらいから思ってました。

 高校進学の志望校を実際真剣に考えるのは、8月の大会が終わってからのことでした。

 9月は遊びたかった。3年間部活漬けでしたから、釣りとかをして遊びたかった。10月ぐらいから志望校を決めて、受験勉強にとりかかるんでしょうけど、僕は志望校で迷ってました。ひとつは憧れでもあった秋田県への留学。ただ、肝心の入れる高校が見つけられませんでした。私立高校はみつけれましたが、公立高校のほうがみつけて決めることができませんでした。秋田県のほうはすぐにでも諦めがつきました。

 諦めずにいたのは、父親の実家である福島県のことでした。父は福島県、双葉高校の出身でした。双葉高校は、高校野球で甲子園で何度か出場したことのある有名な高校でした。父の実家は広野町出身で、そこから電車(あの当時は汽車かな)蒸気機関車等で通学してたと聞きました。父の時代は高校進学も難しい時代でしたから、定時制みたいな、学費を工面しながらでも高校に行かせてもらったようでした。父の兄弟もいましたが、父以外はみんな中卒。町自体が貧しい小さな町で、経済的な格差もある中で、他の町の高校進学するのも容易じゃないところに住んでました。

 父は高校まで行かせてもらえて、家族内では期待を持たれていたようです。頼られてもいたようなのですが、東京に行って働いて、母と結婚して母の実家宮城に住み着いてしまいまして、福島の実家に対する経済的な支援ができなかったことが、父のネガティブな感情があり、福島の実家に戻れなかったひとつでもありました。

 中学生ぐらいからそのように思っていた僕は、高校は福島の高校に入ろうとも思っていました。双葉高校は、クドカンが入ったような高校ぐらいの偏差値で、僕にはちょっと無理でした。少し落として、富岡町の富岡高校はどうかな?と思っていました。あの頃、本籍は父の本籍福島県でしたから、父の実家に住所を移せば、公立高校の入試も可能かと思ってました。秋田県のほうは職業型の高校じゃないとすんなりと入試、入学はできませんでしたから。だから諦めやすかった。

 けれど、福島県にはそれなりに条件は整ってました。で、僕の住む地元の高校進学は、中3の時点で10月の時点で、考えてもいませんでした。「福島のほうに行けないかな」と思ってました。秋田のほうは僕のわがままな罪で、それを許さなかったのは、一発受験の罪でした。

 10月から受験勉強。実際はしなかったのですが、していても僕にはリスクはありました。親をまず説得しなければならないのもありまして、8月まで部活漬けでしたから、両親とのコミュニケーションは部活のことが中心で、進学についてはそのあとのことでした。福島の高校に進学するというのは、説得するには時間が足りませんでした。

 消去法で考えますと、広野町は浜通りで、通学手段は主に電車汽車でした。いわき市の高校にも通えましたが、遠くて偏差値が更に高い高校ばかりでした。中通りの高校にしても通学が大変なところでした。父の実家に戻ろうとしていて、他に下宿生活したら意味がありませんでしたから。広野町から通学できるところだと近くの富岡高校ぐらいしか見当たりませんでした。相馬市となるとけっこう遠くなるんです。広野町の駅は快速電車が止まらない駅でしたから、電車通学が難しいところでもありました。実際現場に行って見て、落ち着いて考えてもよかったのですが、中3の秋からでしたから、リモートで模索してたような形でした。

 消去法で残ったのが富岡高校受験でしたが、あの当時、福島県は高校受験浪人日本一の県でありまして、公立高校の受験は宮城より、リスクのある一発受験でした。僕が中学生の頃、高校受験浪人は考えたくもなかったのです。相馬藩も浪人になった時期もあって、その後相馬藩にもどったりとか、福島県の歴史文化の中には浪人も厭わないといった文化があったのかもしれません。お家取り潰しにびくびくしていた伊達藩とは、胆の座りかたが違うと思いました。

 僕は高校受験もリスクを考えて、降ってわいたような高校に結局進学しました。高校が決まって、福島の実家に報告しに行きましたら、親戚の方々が気にかけていたのは、学費面、経済的なことでした。

 その後は、福島の原発事故がありまして、父の弟さんは釣り好きで、事故前は「どこどこがよく釣れるんだと」と海釣りのメッカであることを自慢してました。父の姉である旦那さんは、仕事がないところで原発建設の仕事もしてたようで、父も含め家族は心配してました。結果的に無事に工事を終えて暮らしてましたから、その後事故が起こるとは誰も思ってもいませんでした。

 2011年に原発事故が起きまして、双葉高校はなくなりました。富岡高校もスポーツに力をそそいだ高校になったようですが、事故後は使えなくなったことだけが印象に残ってます。富岡で思い出すのは、僕が高校進学を考えていた志望校のひとつだったことが思い出します。

 その後、父の遺産を僕らが引き継ぎまして、僕らは復旧作業優先のために、相続は福島方に譲渡しました。その土地の一部は、福島のおばさんに聞いたら介護施設が建てられたそうです。いまだにリモートな状態で、ちゃんとした確認はしてませんが電話ではそう話してました。

 僕の父は震災前に亡くなりましたが、福島の実家には申し訳ないと思っていることでしょう。僕は、今さら、どうのこうの言える立場ではないのですが、胸の内では「あの時に・・・・・」とは思っていまして、福島の実家方の借りは返してないのです。それとは別に子供の頃に見た広野町の海が懐かしいです。ノックノック

 

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