10月25日(日)文化放送・『ミスDJリクエストパレード』にて
《生き抜く、負けるな、あきらめない!力をもらえる歌・神セブン》特集がおこなわれるということで、選曲に関しては番組内でオンエアで発表されるでしょうから。こちらでは独断で『生き抜く、負けるな、あきらめない!歌手』をご紹介いたします。
『生き抜く、負けるな、あきらめない!歌手』ベスト1は、『沢田研二』さん。
70年代から80年代。ジュリーこと《沢田研二》さんが、この三拍子揃った歌手だったんではないか!と、思いました。
1977『勝手にしやがれ』でレコード大賞を受賞し、翌年のTBS・ザ・ベストテンから、《スタイル、音楽、話題性》をとにかくふりまいてテレビ番組に出続けました。初期の頃は帽子。その次には《TOKIO》に代表されるように奇抜な衣装。そして、新曲が出るたび話題性をもって、歌を披露してました。
《カサブランカ・ダンディ》は、ウヰスキーボトルを持って、口に含んで吹き散らしてから歌うといったスタイルは、当時、小学生だった僕の間では人気でした。幼心に沢田研二さんを見ていて、『芸能人としてやってやろう!』と、ある意味、パンクでエネルギッシュに見えました。
僕が中学生ぐらいになって盛り上がったのが《ストリッパー》。これは、当時、部活仲間の連中と部室で歌合戦を始めて、アカペラでみんなで盛り上がったことを思いだしました。
けど、先輩が《ストリッパー》を歌ったもんだから、それを聴いてた下級生が悪い影響をうけて、その下がクドカンの先輩の3年生にあたるわけで、悪い影響をもろ植えつけちゃって、クドカンが3年生の頃は、尾崎豊の「窓ガラス割って歩いたーー」。も、別な解釈でとらえちゃって中学は荒れ放題。先輩もやってたから俺もみたいな感じで。それで今度は新しいことをやってやろうとなって、白鳥を踏むような子に育ってしまって、元を辿れば僕たちが悪かったんです。バカな先輩でした。
『生き抜く、負けるな、あきらめない!歌手』ベスト2は、『郷ひろみ』
『生き抜く、負けるな、あきらめない!歌手』ベスト3は、元ピンクレディーの『未唯(MIE)』さん。
ピンクレディーで一躍大スターになって、ザ・ベストテンでも大常連。80年代に解散して、ソロ活動を始めたのですが、最初にヒットしたのはケイちゃんのほうで、ミーさんは、女優からスタートし、映画『コール・ガール』で話題を集めたんですけど、歌手のイメージがあったケイちゃんに先を行かれた感じがありました。が、あきらめない感じが『NEVER』という曲のヒットにつながって、納豆のような曲でしたけど、躍動感はありました。
『生き抜く、負けるな、あきらめない!歌手』ベスト4は、『篠原涼子』さん。
東京パフォーマンスドールの1メンバーから、ソロになって、『とにかく歌手で売れたい』といった意気込みみたいなのが、タレント活動をしながらでも画面からひしひしと感じていました。飛びぬけて可愛らしい方でもなかったですけど、ちょい可愛いいと言ったら語弊があるかもしれませんが、僕はこのような感じの人がタイプだったりもするんです。非常に魅力的なひとだと思います。
ヒット曲は、この曲だけといっても過言ではないかとは思いますが、見ていてよくあきらめないで頑張ったなーと思いました。
『生き抜く、負けるな、あきらめない!歌手』ベスト5は、『マドンナ』。
言わずと知れた、世界的シンガーですけど、80年代に『ライク・ア・ヴァージン』から登場し、
Madonna - Like A Virgin (Official Music Video)
「ぷう~」とか可愛らしく歌ってたマドンナが、今じゃ、クイーン・オブ・ポップ。バイタリティーあふれる歌手としての代表格としては、外せない歌手のひとりです。
『生き抜く、負けるな、あきらめない!歌手』ベスト6は、『和田アキ子』さん。
長い間、その大柄なイメージと腕力と歌唱力は、日本を代表すると思います。ここ数年、紅白をお休みになってるようですが、紅組の司会者としての責任感は、紅白をフェアーにやってる方だなと、思って見てました。数年前だったかな、新曲を出してもう一度紅白を目指してた感じがしましたけど、残念ながら選ばれませんでした。また、返り咲いてほしいと思います。
『生き抜く、負けるな、あきらめない!歌手』ベスト7は、『みうらじゅん』さん。
まあ、とにかくやってますね。中学生の頃から曲を作って歌手であったことを発表したり、『など』という職業でさまざまなことをやって生き抜いてる方です。
追憶のポルノ映画 恥戯のうた(1974年制作)/作詞・作曲:みうらじゅん