今日、所謂「メタボ健診」に行った。
中々行きづらい健診で後回しにしていたのだが
意を決して臨んだ。
まぁ、私が太っているというのもあるのだが
実は子どもの頃から太り気味で
10代後半で母親の介護を一手に引き受けることになり
(当時は介護制度もなかったし)それもあって
一気にストレスで過食が進み、20歳でとうとう
115kgを超えてしまった。
正確には何キロあったか分からない。
体重計が115kgまでしかはかれなかったからだ。
その時、生理が止まり、体中に吹き出物ができ、
「このままだと死ぬ」と、ようやく身の危険を感じ
自己流ダイエットで1年半で60kg程減量したのだった。
それは、かなり過酷なダイエットで
できる限りの炭水化物、脂質を排除した食事制限と
スクワットと腹筋背筋を毎日するようになった。
最初の月はなんと10kg落ちた。
そりゃ暴飲暴食していたからね。
朝昼兼用、母の夕飯(5時)、父の夕飯(8時)、兄の夕飯(10時以降)と
1日4食食べていたからだ。
何故夕飯が3回かというと、皆、食べるものが違ったからだ。
母は私が作るものがお気に召さず、パン食(お気に入りのベーカリーの物)
父は魚中心の和食、兄は肉中心の洋食。
それに、父と兄、それぞれ別おかずで昼の弁当を作っていた。
作るたびに、私も食べていた。
私は家で、病気のつらさから来る母の暴言と毎日の家事、
美大の短大から大学に編入予定だったが、
家の事をして欲しいと言われ断念し、
(学内推薦の際、短大でどうしても行きたい学科があり
その後編入して大学に行けることが分かったので推薦を短大にしたのだった。
流石に、学業途中で辞めろとは言われなかったと思うので
こんな事なら、最初から大学の推薦を受けておけば良かったと後悔した。)
それまでバイトしていたデザイナーの仕事を在宅で受け、
外に出るのは買い物と仕事の納品と画材購入の時のみで、
ストレス解消が食べる事しかなかったのだ。
母が死ぬより私が死ぬ方が先だな、と思ったときに
「私の人生を取り戻したい」とダイエットを決意したのだった。
諦めていた漫画投稿も大体同時期に始めた。
それまで、太っていた事により、心ない中傷を受けてきた。
すれ違いざまに「デブ」と言われたり、奇異な目で見られたり
明らかに避ける人も、わざわざ悪口を言いに来たりする人もいた。
私が身体半分になった際、突然男性からの誘いが多くなり
わざわざ悪口を言ってきた仕事仲間からもデートの誘いを受けたときに
どれだけ、見た目の影響が大きいのか思い知った。
そして、人間不信(主に男性への)が大きくなった。
色々あって、今の夫と幸せな関係を築けているが
私は未だに自分の身体について酷く言われるのが辛い。
あれからリバウンドと減量を繰り返し、
すっかり痩せにくい身体になり、
アラ還の今は自力では中々落ちなくなってしまい
限界を感じていた。
メタボ健診の案内自体は結構前から来ていたが
連携医療機関で行けそうな病院の整体師?に
腰をやったときに、太っている事に暴言を言われ
(その後、また、ダイエットした)
どうしても、そこに行く事ができなくなってしまったのだった。
ところが、今年の健診では、最寄り病院でも受けられる事が分かり
ようやく重い腰を上げる事ができた。
それでも、心臓はバクバク、もの凄い緊張を強いられた。
事前の自分で測る病院の血圧計では人生初の165をたたきだし
その場で卒倒しそうになったよ。
(私は昔から血圧は低く、年取ってようやく100超えるくらいになった)
看護師さんに測って貰った時も145くらいで、高血圧だと思われたろうなぁ。
ちなみに、家に帰ってからも高く、夜になってようやく120くらいになった。
とりあえず、一過性かどうか、毎日測ることにした。
看護師も医師も私の事を何も言わなかった。
(考えてみれば健診でデータ取るだけなので当たり前なのだが)
体重を測ったときも腹囲を測ったときも特にコメントなし。
心音検査は異常はなかった、くらいか。
そういえば、久々に身長を測ったがジャスト165cmだった。
最後に測ったときは165.7cmだったので7ミリ縮んだようだ。
まぁ、問題は尿検査と血液検査の結果だわね。
でも、ようやく気になっていた課題を終えた気分。
家に帰って落ち着いてきたところで
息子からの衝撃な一言。
「塾を変えたい」
160万・・・まぁ、返金はあるけれど
いくらくらい無駄になるのかしらん・・・
息子の本気度を聞いて、夫とも話をして
今度こそ自分主導でやる事を条件に前向きに動くことにした。
なんかもう、衝撃が多い1日で、こりゃ血圧も上がるわ。