悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

今日の歩き

2012-01-04 22:49:36 | 言葉

毎日10㎞以上歩くことを目標にしてから、約一月半になった。
1日だけ足の指を痛めて休んだが、翌日から何とか、意地も手伝って続いている。
足を痛めたのは、休憩なしに、一気に10㎞歩いたときだった。痛めたといっても、
しびれのある足指だったからで、しびれがなければ、まだいけるとは思った。
長距離をやっていた頃は、10~15㎞を歩いてから休憩ということがよくあった。
いずれにしても、無理はできない足腰となった。

それでも、ゆっくりと(時速5㎞くらいか)歩けば、10㎞はまだ楽にいける。
今日歩いたのは、野木神社まで行こうと思って家を出たが、夕方だったので、
途中で暗くなってしまい、夕飯のこともあって、松並あたりで引き返した。
結果、歩いたのは5.9㎞だった。残りは4.1㎞。これから歩くのだが、
いつもの十軒道路だと、2.05㎞、TSUTAYAの少し先まで歩けばよい。
昼間だと、もう少し足を延ばしてもよいのだが、この時間だとちょっと億劫だ。

旧国道125号線と、旧日光街道が出会う付近にこの案内板ができた。
暗かったが、何とか読めそうだ。
国道125号線は、筑波山に向かって伸びているので、「筑波道」と呼ばれていた。

説明書きは以下の通り

将軍が日光東照宮にお参りするとき、古河城に泊まる。
総勢十五万人以上といわれたそうだ。宿場町の人口が3,865人というが、
古河だけではとても泊まれなかったろう。
古河宿は、本陣、脇本陣が各一軒、旅籠が31軒しかない。
周辺の市町村にも、散らばって宿泊したと思われる。
最下層の身分の人たちは、納屋や、土間、あるいは野宿だったかも知れない。

先に読んだ上杉鷹山の本にあった。19歳で初めて米沢藩に入国したとき、
板谷宿は廃止された宿場町だった。宿がなかったため、野宿したとの伝えがある。

<本日の歩行:5.9㎞+4.6㎞=10.5㎞>~44日目
①自宅~古河図書館~松並ブックオフ~古河駅~自宅5.9㎞
(15:59~17:45)
※初めて入った。コンビニのような声かけ、わざとらしいコマーシャル放送、
とても居づらい空間だった。
②自宅~十軒道路結城信用金庫往復4.6㎞(21:40~22:30)
※風が冷たく、歩き始めは少し辛かったが、15分ほど歩くと体が暖まってきた。
この寒さで雨が降ったら辛いだろうな。