悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

マスクの社会的影響

2012-01-06 22:54:21 | 

中央運動公園からの帰り道、4号国道付近で、前から来る自転車の女性と目が合った。
マスクをしており、以前手話サークルに居た女性かと、一瞬思ったが、違ったようだ。
近所に住んでいるらしいので、会えば挨拶くらいはするので、違うと判断した。
最近は、こういうことが多くなった。一時ほどではないが、マスクをする人が多い。
知っている人でも、確認に手間取って困ることが増えた。
目だけで瞬時に相手を識別するのは難しい。

ドラマで、変装のため眼鏡をかける場面がある。帽子をかぶったり、
普段と違う服装をしたりすることもある。
私など、帽子をかぶって知り合いに挨拶すると、キョトンとされることがある。
すかさず帽子を取ると、「あぁ、○○さん」と応えてくれる。
最近は、相手に余計な負担をかけないように、
先に帽子を取って挨拶することが習い性になった。私の変装道具は、帽子が一番だ。

これはこれで困ったことでもあるのだが、特殊な例なので、たいした問題ではない。
問題は、多くの日本人がマスクをしているため、外で会ったとき、
誰それの判別に時間がかかったり、わからずに失礼してしまうことがある。
マスクをしていたからわからなかった、というのはお互い様なので、
失礼には当たらないだろうが、面倒であることは確かだ。

私は、自分が風邪をひいて咳をしているとき、室内ではマスクをすることがあるが、
それ以外ではマスクはしない。単純に面倒だからだ。冷たい風の中を歩くとき、
一度だけしたことがある。そんなときは寒さを避けられるので良い。

この面倒くささが、これだけ大量のマスク人口になると、社会現象というか、
いろいろなレベルでの挨拶、人の認知、他人との交流などなどで、
これまでと違った関わり方を醸し出すのではないだろうか。

イスラムの女性が、ベールで顔や体を隠す服装をする。
地域や時代によって、さまざまに変化があるが、
人の目から個人(人格)を隠すという働きをしている。
これは、宗教的な意味合いからだが、マスクの場合も、
人の識別が容易にできないという意味で、図らずも個人を隠す働きをしてしまう。

マスクは、インフルエンザや花粉症などから身を守るためという場合が大半だが、
これだけ多くの人が顔を隠して生活をする社会が長く続くと、
人間関係に何らかの影響をもたらすのではないかと思えてならない。

<本日の歩行:9.5㎞+2.6㎞=12.1㎞>~46日目
①自宅~中央運動公園~自宅9.5㎞(13:17~15:10)

②自宅~林整形~イオン~自宅2.6㎞(16:10~17:20)