三遊亭圓生による「高瀬舟」、森鷗外の原作に沿って話しているのだが、落語でもない。
圓生の、あの落語の語り口による演出が加わり、迫力もあるので、なかなかに聞かせる。
この短編小説は、かなり前に1度読んだ記憶がある。が、読み飛ばしたようであった。
尊属殺人か、自殺幇助か、あるいは、果たして殺人といえるのかという問題提起である。
2人暮らしの貧しい生活の中で病を得、1人働く兄に苦労をかけまいと、自殺を図った弟。
兄は、死にきれず苦しむ弟の求めにて応じ、仕方なくカミソリを抜いてやり、死なせる。
自殺を完遂させようという意識は、多少あったであろう。とすれば、自殺幇助となるか。
高瀬舟で護送する役人は、貧の内に弟殺しとされた男の話を聞き、罪科に疑問をもつが、
自分を納得させることもできないまま、上の者(奉行)の判断に任せて疑問を飲み込む。
世に行なわれ、眼前に現れることがらの多くは、たいてい多様な側面を併せ持っている。
だが、どちらかの立場をとらざるを得ない場合が圧倒的に多い。
私は、ドラマは勧善懲悪ものが好みであるが、信じるところに従って法を破る主人公の、
波瀾万丈の物語にも惹かれる。
ひと(他人)には多様なあり方を認めながらも、自分の信じるところは貫いて生きたい。
そうありたいと思うが、なかなか難しいのが現実である。
70(従心)を前にして、40(不惑)にも到達していないことを自覚する、今日この頃。
今日は歩かず