埼玉県伊奈町に住む歩友からは、歩きに行った先から時々メールが送られてくる。
今日は、いぶすきから写真付きで届いた。
今日、明日と、鹿児島県指宿市では、第20回いぶすき菜の花マーチが開催されている。
私の好きな大会なので、これまで7回参加している。
いつも写真付きで送られてくるので、「おっ、がんばっているなぁっ」と思いながらも、
たまにしか返事をしていない。その時考えていることや、その人に関連する話題があると、
返信に添えて書き送る。
最近、歩きながら、「要約筆記サークル」の設立についてどう対応するか、考えているので、
それに触れたことを書いた。
彼の奥さんは、埼玉県で手話通訳をしている(資格の内容は詳しく聞いていない)そうだ。
彼は、韓国語が話せるので、言葉に絡んだ話題がときどき交わされる。
当会の聴覚障害者が9名になったことを伝えた。
会員総数が112名となったので、あと3人入会すると、
会員の約1割が聴覚に障害を持った会員となる。
現在は、下手なりに手話で例会の進行を伝えているが、
情報取得に障害のある人たちへの対応を、検討する必要があるのではないか。
会の中での位置づけの問題だ。つまり、役員を選出し、会の運営に関わってもらう。
聞こえる会員が中心の会の中で、聴覚障害者特有の課題もあるだろう。
役員として加わってもらうことで、提案してもらうことがあるのではないか。
というようなことを書いた。
役員会の中でのコミュニケーション保障の問題にどう対応するか。
役員会には手話通訳の派遣を依頼すれば、会議の情報伝達は何とかなりそうだ。
古河市では、手話通訳の派遣は市の公費負担で対応できる。
例会での対応は、毎回通訳を依頼するわけにもいかないので、
手話のできる会員を増やす。手話サークルの会員に加入を呼びかけても良い。
あとは、会員への手話学習の場を増やすこと。2009年1月に手話講座を実施したが、
その後はやっていない。代わりに、例会時手話単語をいくつか覚えてもらうことにした。
月に1回手話単語を学んでも、手話が使えるようになるわけではないが、
手話に触れるきっかけにはなる。垣根が少しでも低くなればということで実施している。
現在手話の使える会員が2名いるので、その会員を中心に、手話学習の機会を増やす。
片言の手話をきっかけにして、歩きながら、又は電車の中で、聞こえる会員が、
ろう者に手話を教えてもらう姿も散見されるようになった。
その意味では、雰囲気としては良くなったと思うが、ムード先行の気味がある。
現状は、まだ力及ばずで、何とか居場所が確保されているだけの段階だが、
役員として加わってもらえれば、会への所属がより実質化していくと思う。
日本ウオーキング協会には、聴覚障害者の公認指導員が3名いる。
当会の公認指導員等研修会受講費用補助規程を利用して、
資格を取得してもらってもいい。
そのほかにも課題を抱えた歩く会だが、いつまでもろう者を、
「お客さん」扱いにしておいてよいはずはないと思う。
<本日の歩行:12㎞>~61日目
自宅~十軒道路・関戸交差点~正定寺~ほどほど~女沼を経由して自宅12㎞
(12:25~15:45)
※役員会終了後、伊勢福にて昼食。関戸交差点から右折、
正定寺を経由してほどほどでコーヒーを飲み帰宅。
12月31日に「送電線が消える」を書いた。
その後、関連情報を気にしていたが、あまり話題になっていないようだ。
ホームページで検索すると、山関係の人たちが話題にしている程度。
送電線は、全国に張りめぐらされており、今いる場所の確定に役にたつ。
登山者は、送電線によって自分の位置を確認し、地図上にコースを辿ることができる。
下のような記号が送電線のあるところに引かれている。細い線だがよく見れば確認できる。
<国土地理院のサイト>での説明…上の画像は不正確
朝日新聞社のアスパラクラブでこの問題を扱っている。
電力各社では、対応が不明確だが、保安上の理由をあげている。
戦前ならともかく、自由に行き来できる今の日本で、
あれだけはっきり確認できる送電線を、地図から削除すべき理由があるのだろうか。
地下に埋設されて外から確認できない状況にある時、
あえて地形図上に明記しようとするのならば、議論にはなるかもしれないが。
このところの、原発に関わる電力会社の対応を見ると、隠そうとするだけではないか。
個人情報への過剰な対応も考え合わせると、秘密主義が社会といわず、
小さな組織、隣近所にまで蔓延すると、
過ごしにくい世間に取り囲まれるだけのような気がする。
<本日の歩行:10.2㎞>~60日目
①自宅~十軒道路~ほどほど~女沼を経由して自宅10.2㎞(16:25~18:35)
※
大学の卒業制作で撮った映画。自閉症の妹、母、時々監督である兄が登場する。
今朝、監督の赤崎氏がNHKラジオに出演していた。
その中で紹介された話。映画を見ての感想で、監督自身が、
良いなと思った言葉がある。
「主人公の特異な行動を見て、母親のような気分になり、
以後特別な目で見なくなった。」
この言葉を聞いて、知ってもらうことの大切さを再確認したとのこと。
監督は兄として、妹の障害を理解してもらうことの難しさから、
周囲に伝えないという行動をとってきたそうだ。
卒業制作にあたり、指導教官から妹を撮ることを提案され、
触れられたくないテーマを与えられたと感じたとのこと。
ひとは、自分の属している集団のルールは、すべてのひとが守るべきと、考える。
所属している集団。いろいろな属性によって区分できるが、学校であったり、
職業であったり、母親であったり、何らかの障害を持っていたり。
ルールは、所属している集団によって少しずつ違う。特異な集団であれば、
ルールも大きく違う場合がある。それぞれのルールには、それぞれの理由がある。
なぜそのようなルールを採用したのか、理解されにくいと、容易に差別に結びつく。
言葉によるコミュニケーションができないと、理解できない部分が発生しやすい。
なぜそのような行動をするのか、理解する道筋がつかみにくいからだ。
障害者の問題を美談に仕上げてドラマ化すると、真の理解に結びつかない。
可愛く、我慢して、一生懸命な障害者には共感しても、
主張し、要求する障害者は理解されにくい。なぜ主張し、要求するのか、
理解しようとすることはまれで、簡単に切って捨てられることが多い。
それでも、自閉症を扱った映画が共感を持って見られるようになったことは、
人間の大きな進歩だと思う。人口比からすれば圧倒的多数ではないかもしれないが、
1961(昭和36)年に公開された「名もなく貧しく美しく」の時代と比べれば、
確実に進歩していると思う。
ただ、自閉症への理解も、科学的な理解が進んだことも一因だ。
昔は、母親の育て方に原因があるという捉え方が主流だった。
現在は、脳の器質的な障害であるということが理解されるようになっている。
自閉症に限らず、障害そのものへの理解が進むことで、
障害を持ったひとへの理解も進む。
障害に限らず、隠さずおおっぴらに自分を表現できる社会になれば、
より住みやすい社会になるのだろう。
<本日の歩行:10.4㎞>~59日目
①自宅~宮戸橋往復10.4㎞(20:38~22:19)
※昨日と同じ道を歩く。足指先の痺れは同じようにあるが、
爪周囲を痛めることはなかったようだ。休憩なしで、時速は6㎞。
多少の疲れは出たが、腰のだるさも軽度。終始同じ速度で歩く。
昨日出席したつくば国際ウオーキング大会実行委員会の資料を整理する。
開催要項の表紙に利用する写真の利用についての問い合わせ、
インターネットによる大会参加申込の導入について、それぞれの会社にメールを送る。
そうこうしているうちに午後になる。
今日の歩きはどうしようか、考えながら夕食の時間となる。
昨日食べなかった豆腐が残っていたので、今日の豆腐と合わせて麻婆豆腐を作る。
これはもう何十回も作っているのに相も変わらずレシピに目をやる。
食後の8時32分、5㎞地点まで行くつもりで歩きに出る。
風もなく暖かい。15分もすると体が温まってきた。
途中で、開催要項の担当である利根町のTさんに電話をする。午前中のやり取りは、
Tさんの役割に関連しているので、結果報告と2、3のやりとりをした。
話が終わって気がつくと、かなり歩いていた。5㎞地点でタイムを取ると、時速6㎞超。
10分くらい話していたので、1㎞超移動している。景色も変わるはずだ。
このような経験はよくある。参加した自由歩行の大会で、
知り合いと話ながら歩いていると、40㎞、50㎞も短く感じる。←6年前のスリーデー
佐世保の105も、知り合いと一緒に歩いた。最後の20㎞くらいはおいて行かれたが、
15時間は快適に経過した。残りの4時間が眠くて辛かったが、
島原城までの全19時間を完歩することができた。
そんな経験から得られるのは、ウォーキングは基本的に自由歩行の方が望ましい。
自分のペースで歩けるし、自分の歩きを確認しながら、いろいろな歩き方を試せる。
団体歩行は、自由が制限されるので、歩きの楽しさが損なわれる側面がある。
そういうわけで、会の行事運営は難しい。将来的には、自由歩行できる会員を育成し、
自分の歩きを発見できるようにお手伝いをすることが大切だ。
簡単な歩きとはいえ、基本的な技術がある。それらをきちんと伝達し、安全で、
楽しい例会にしなければならない。楽をして楽しめる会であるだけでもいけない。
ウォーキングクラブに求められるものは、会活動を通してウォーキングの基本を体得し、
自由歩行の世界に飛び立てる会員を育てることではないだろうか。
<本日の歩行:10.4㎞>~58日目
①自宅~宮戸橋往復10.4㎞(20:32~22:15)
今日は朝から足の親指に違和感があるので、歩かないことにした。
たいして痛みがあるわけではないが、痺れのある指先を連続して歩き、
痛めてしまったようなので、大事をとって休むことにした。
煙草、酒は、適度にたしなむということができないので、
禁酒、禁煙とせざるを得なかった。
ブログは、少々息切れしてきたところもあるが、文章の練習にもなるし、
ウォーキング絡みの話題を提供する役割も果たせるので、続けている。
自分の生き方は、意地とか、勢いなどの力を借りて、自分の行動を制御、
後押ししているところがある。
自然体で生きたいと思うが、難しい。今、耳順の年齢だが、とんでもない。
四十にして惑わずは、死んでも達成されそうにない。
七十の、思うままに振る舞って道を外れることがない、というのが、
自然体で生きることだろうか。いずれも自分には難しい。
先人の知恵を参考にして、他人の手助けを上手に受けて、
与えられた役割をこなしていければ上々だ。
しかし、他人(ひと)の手助けを上手に受けるのは、難しい。
自我が強く出過ぎたり、自分の考えとの調和をとることがうまくできず、
ひとの力が生かし切れない。
よい仕事をするひとは、自分の力と、他人の力をうまく調和させ、
結果をだせるひとなのだろう。
今日は、つくば市で、「第6回つくば国際ウオーキング大会」の実行委員会。
10時過ぎに帰ってきた。足指の痛みはほとんどなくなっていたので、
連続歩行日数を延ばすために歩きたくなったが、抑えた。
これで、2度休んでいる。連続というわけにいかないので、
今後は、「ほぼ連続歩行」ということにしよう。
つまらないところにこだわるのも私の特性だ。
<本日の歩行: ㎞>~なし
母が訪問リハビリをしている間、1時間以内に帰る予定で散歩に出た。
=飛梅天満宮=
駅構内を通り抜けて西口にある西光寺へ。ここには、「飛梅天満宮」がある。
ご存知、菅原道真の「飛梅伝説」に関わりがあるらしい。
「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」で有名だ。
前にここの人に聞いたが、はっきりしなかった。
後ろのボックスは、「まくらがの里散歩道・江戸文化コース」、「寺子屋と飛び梅天神の寺」
としてスタンプが置いてある。画像は、寺子屋の子どもと梅の木が配されていた。
=西光寺のスタンプ=
押印する紙がなかったので、“ほどほど”のサービス券を2枚並べて押印した。
=ロウバイと西光寺本堂=
庭の一角にはロウバイが咲いていた。嗅覚が利かないので近づいて匂いを嗅ぐ。
本堂の前には大仏があり、大仏の寺として知られている。よく見ると写っている。
曲の手通りに出て、ジョイパティオ前には、本陣址がある。
その当時に思いを馳せると、タイムマシンで行ってみたくなる。
=古河城下本陣址=
その向かい側、以前警察署があったところには「高札場址」がある。
=古河城下高札場址=
ここから、駅西口に向かって歩く。この景色は、よく写される場面だ。
=古河駅西口=
家に帰ってくると、玄関前に水仙が一輪咲いていた。この時期、フリージアと共に、
匂いもよく好きな花。ロウバイも匂いがいい。
花に鼻を近づけて香りを嗅いでいると、理学療法士のTさんが、玄関から出てきた。
=庭の水仙=
<本日の歩行:2.6㎞+2.2㎞+5.4㎞=10.2㎞>~57日目
①自宅~西光寺~ジョイパティオのタブの木~古河駅~自宅
2.6㎞(10:40~11:45)
※飛び梅の西光寺、本陣跡などを訪ねる
②自宅~前沢内科~ヨーカ堂~自宅2.2㎞(15:00~16:20)
③自宅~十軒道路新幹線下往復5.4㎞(21:36~22:50)
「ウオーキング指導者活動実績書2011年」を作成している。
日本ウオーキング協会の公認指導員として、年に1回実績報告をする。
報告事項は、歩行日数、距離、例大会への参加回数、表彰・達成記録、
指導者活動記録と、その内容などを報告する。
昨年11月20日からまじめに歩いているので、堂々と報告できる。
しかし、それ以前は、例会を中心に月に2~5回くらいしか歩いていない。
指導員の活動は、個人、団体などにウォーキングの基礎、実技などを指導したり、
例会でのスタッフ活動、下見などがある。今のところ例会での活動しかない。
当会には主任指導員が1名、公認指導員が4名、歩育コーチが1名、
ウオーキング指導員が2名いる。
資格取得にあたっては、費用補助制度を設けている。1年以上の在籍と、
例会参加率に一定の基準(過去1年間の例会回数が60%以上)を設けている。
ほぼ連続歩行日数が間もなく2ヶ月となる。通常、筋トレなどの効果は、
3ヶ月以上といわれることが多い。
あと1ヶ月続ければ、自覚できるほどの効果がでるだろうか。
だが、連続歩行を長期間続ける自信はない。ちょっとしたきっかけで、
すぐにでも止めてしまいそうだ。毎日10㎞以上のノルマは、けっこうきつい。
文中、「ウォーキング」と「ウオーキング」を混在させている。
他者が使っているものは、その使い方に従っているが、
自分の表現はすべて「ウォーキング」としている。
<本日の歩行:9.7㎞+2.6㎞=12.3㎞>~56日目…日数訂正
①自宅~「ほどほど」往復9.7㎞(14:20~16:35)
※左足親指に痛みあり、歩くのを止めようと思ったが、午後から収まったので、
「ほどほど」まで、一直線に歩く。10㎞はなかった。帰路後半、足親指に痛みあり。
②自宅~古河市古河体育館往復2.6㎞(21:53~23:00)
※日中の不足分を歩く
日数訂正は、日数のカウントを間違えたため。
昨年の末に悠歩の会の忘年会を行なった。約40名の参加、内4名がろう者の会員。
会長挨拶、司会進行などは手話で伝えたが、途中からカラオケ大会となった。
カラオケの好きな役員が幹事であったので、そのような進行となった。
私の対応策は、ろう者の向に筆談や手真似で対応できそうな会員を配置しただけ。
後日、その内の1人の会員から、「カラオケばかりで、つまらなかっただろうね」
との話があった。手話サークルなどでは、ろう者が参加できるゲームや、
手話コーラスなどを行ない、参加できる場をそれなりに設定する。
手話の歌などは「聞こえないから好きではない」というろう者もいるが、
ろう者が参加できる場を工夫、配慮すべきだと思った。
会員の中に聴覚障害者がいたら、どう対応したらよいか。
ろう者の参加意識を高めるために、何かできなかったか。
仲間内に聴覚障害者がいることに意識を向けることができるよう、
働きかける取り組みを提案すべきだった。
会員の中で、何とか手話でやり取りのできるのは2名だけ。
筆談をすれば、たいていのことは伝えられると、折に触れ会員に向けて伝えている。
しかし、手話のできるスタッフに任せておけばいい、という雰囲気があるのも事実だ。
4月にはろう者が1名入会し、総勢10名となる予定。
出発式の通訳や、途中の休憩時間などを手話で伝えるほか、昼食後の時間、
手話単語に触れる時間をもうけているが、
もっと参加意識を高めるような取り組みができないか。
聞こえる会員の場合、ただ一緒に歩ければよい、連れて行ってもらえればよい、
という会員も少なくない。
そういう意味では、ろう者の参加に当たって、必要なことを手話で伝え、
安全に楽しみをもって参加できればそれでよい、というろう者もいるかもしれない。
意見を言える場面を例会の中に設定してみようか。
弁当を囲む輪に一般会員を入れても良い。
私に、ろう者は参加しているだけで満足している、という思いこみがあったので、
今回のようなずさんな対応をしてしまったのではないか。
いずれにしても、当事者の意見をまず聞いてみよう。
<本日の歩行:11㎞>~54日目
自宅~中央運動公園往復11㎞(11:40~15:00)
私の家の部屋はとにかく片付かない。
写真を撮って掲載してやろうかと思うくらいだが、さすがに恥ずかしいのでできない。
原因は、整理整頓を後回しにすることにあると、気がついている。
常に、どうでも良いことを先にして、すべきことを後に回し、目の前に広げておいたり、
積み重ねたりする。これを、時々来る娘が、片付けと称して置き場所を移動する。
結果は、テーブルの上に多少の空間ができるだけなのだが、
娘は困った親だという顔をして、しまい忘れの原因を作って帰っていく。
中学生の頃、数十冊の本が書棚に並んでいたが、何冊か読んでいないものがあり、
これからも読まない本が増えていったら、将来どうなるんだろうと、
当時不安に思ったことを覚えている。
覚えているというより、本が増える度に繰り返し思っていたので、
最初に思ったことがそのまま生き残って、「温存されてきた」という感じだ。
これは、整理整頓とは少し違うのだが、読み切らないうちに次に必要な本が出てきて、
買ってしまう。この繰り返しが50年続いたのだから、推して知るべしだ。
『「超」整理法』による「押出しファイリング」、『机の上はいらないモノが95%』、
『断捨離』など、思考整理のための本を読んでも、実地に生かすのはなかなか難しい。
「押出しファイリング」は、意識して利用しているが、広い保管場所がないと生かせない。
あちこちにファイルが並べられるだけに終わってしまうのが現状だ。
どちらにしても、一気に整理することは難しい。その日その時の資料、文書を、
その日の内にファイリングすること、これを徹底していくことから始めよう。
そうしていく内に、整理整頓が少しずつ進み、さっぱりとした室内空間ができるだろう。
その副産物として、頭の中も整理されていくことを、今年一年の課題にしていこう。
<本日の歩行:10㎞>~53日目
①自宅~十軒道路5㎞地点往復10㎞(20:20~22:06)
上の画像は、携帯型筆談用メモボード(210×148)。定価1,000円。
聴覚障害者との会話には、主に手話を使うが、手話を読み取れなかったり、
手話がなかったりと、書いて伝えあうこともよくある。
これは最近まで知らなかったが、要約筆記入門講座に参加して、存在を知った。
これまでよく使っていたのは、メモ用紙。知り合いのろう者はたいてい持っている。
難聴者、中途失聴者は書いて伝えあうことが多く、要約筆記を使うこともあって、
このような筆記具を考案したのだろう。
ホワイトボードは、薄手で自由に切って使うものが売られているので、
自作することもできる。要約筆記ボランティアの方は自作して持っていた。
私はこれを買ってしまったが、1,000円は高い。
発売元でなかったので、1,700円(送料込み)だった(>_<)。
これは、今日、百円ショップで見つけたもの。ノート形式(159×115) になっており、
横罫、縦罫、無地が綴じられている。開くと、WiWi Boardとほぼ同じサイズ。
これが100円。けっこう使えそうだ。例会にはいつも携帯していこうと思う。
WiWi Boardの方は、開くとA4サイズになるので、大勢に伝達する際にも使える。
たとえばこんな風に↓
狭い道路を歩くとき、スタッフが掲げて参加者に伝えるときに使う。
これは、A4横の大きさがあるので、便利に使える。
明日は、午後から、要約筆記サークル立ち上げ準備会がある。
会に加わっても、活動は無理だと思う。ちょっと悩ましい。
<本日の歩行:2.4㎞+2㎞+5.9㎞=10.3㎞>~52日目
①自宅~平成園~100円ショップ~自宅2.4㎞(10:05~11:05)
②自宅~近長~駅ビル~自宅2.0㎞(15:00~16:07)
③自宅~十軒道路自動車学校入り口セブンイレブン往復5.9㎞(22:10~23:25)