Oはその後何度も手術をした。
手術をするたびに命の危機から遠ざかるのは分かったけど
命の危機から遠ざかって、それから?
その日も何かの手術の日で、夕方には終わるからと
私は後輩のKちゃんと一緒に見舞いに行った。
そろそろ麻酔が覚めてる頃だと思いますよ、と
看護婦さんに言われて部屋に行くと
手術後の控え室にはO一人で
Oは完全に覚醒しており、側に下がっている点滴の袋を
足で蹴り落とそうとしていた。
どの部分を手術したかは知らないけど、
どこだってこんなに動き回ってはいけないはずだ。
ほとんど逆立ちのようになって
袋につま先を伸ばすOを慌てて宥め、
点滴を遠ざけようとしたらOは
「お水を下さい」と繰り返した。
私達の顔は見ずに、点滴の袋だけに狙いを定めながら
はっきりした口調でそう繰り返した。
その後も暴れ続けるOを看護婦さんに任せ
私達は逃げるように病院を出た。
帰りの電車の中では何も話せなかった。
ただ一言、元気そうだったね、と
初めて見舞いに行った時と同じ事を言った。
私はこんな結果を予想してはいなかった。
治るか治らないか、生きるか死ぬか。
奇跡が起きるか起きないか。
当時の私に理解できるのはその二つの道だけだった。
しかし本当の道はそう分かりやすく開けている訳ではない。
危険な場所にはそうと知らせる立て札が立っている訳でもないし
入っていけない場所はガードレールで守られている訳でもない。
そして人は誰も、悲しみから特別な力で
守られているわけではないのだ。
Oは三ヶ月入院して退院した。
完治という言葉が完全に治るという意味ではなく
治療が終わったという意味でも使う事を私は知った。