レンキン

外国の写真と
それとは関係ないぼそぼそ

長いトンネル(34)

2007年03月21日 | 昔の話
 ある日K君はOに「他の人が好きになった」と話し、
Oは次の日にその事を私に話してくれた。
Oがどこまで理解しているか分からなかったけど
Oの口調は元彼女というよりは
K君のお母さんみたいだった。
しょうがない子だよね、と。

そんな告白以降もOの態度は以前と変わらず
というか以前よりもよくK君に話しかけていた。
話の内容は他愛のないものだったけど
相手がK君でなくてもいい話がほとんどだった。
私も、周囲の人も、何よりK君が
…Oは話の内容を
よく分かっていなかったのかな、と思った。



私の最後の出社日はごくごく普通に過ぎていった。
仕事がとても忙しく、最後の最後まで駆け回っていた。
皆に早く帰れと言われて照れ笑いしながら帰った。
適当に就職先を選んだ日から随分経ち
色々あって退職の日を迎えた訳だが
それは思い描いていたような日ではなかった。
花をもらい、涙声で挨拶するような
それっぽい儀式は全くなく
会社に増えた私物をまとめるのに精一杯だった。
小学校の卒業式どころか学期末に近い。
皆に貰った寄せ書きと私物を持ってよろよろと帰った。



*****


会社を辞めてしばらく経った頃、
私の元へOから手紙が届いた。
何度目かの治療が終わったという報告だった。
多分Oのお母さんが、手紙を書きなさい
●ちゃんに報告なさいと言って
書かせたものだと思うけど
鉛筆の下書き跡が濃く残った便箋に
事故前と同じような、几帳面そうな字が並んでいた。

字は事故前と変わらなかったけど
内容は子供が書いた感想文みたいにたどたどしかった。
犬の近況報告も添えられていて
相変わらずだなあと笑って読んでいたけど
ある一節に差し掛かってどきっとした。

「辛くて、死にたいと思った事もありました」

…お母さんの前でこれが書けるだろうか。
私は一字一句お母さんが添削して書いた手紙だと思っていたけど
そうではなかったかもしれない。
Oは色々な事を全て理解していたのかもしれない。
私の話をまるで聞いていないように見えていた時も
何にも興味がないように見えた時も
もしかしたら全部分かっていたのかもしれない。


あの時、全部理解した上で
それでもK君と以前のように話がしたかったのだ。