こうして百姓の糠助は中途半端に信乃を助けようと犬を蟇六の屋敷の裏門に追い込んで計画したことは、犬を失うだけではなく、とばっちりが自分自身に関わっては困ると早く逃げ返ってしまった。
家の者に事情を話して、
「もし村長のところから人が来ても、いないと答えてくれ」
と言って、家の奥に隠れて着物を被って伏せてしまった。
起きても不安気な顔をしているので、家族の者が心配していると、果たして蟇六の召使いがやって来た。
「糠助さんはご在宅であるか。村長の奥方がお呼びですので、お急ぎ下さい」
と呼びに来たのであるが、何回か家にいないと家族が断ってくれたが、それも数度に及ぶと、今はもう逃げられないと観念した。
しかし蟇六ではなく亀篠からの使いというので、番作と信乃、与四郎のことではかもしれないと考えたが、足が向かず呼出しには応じなかった。今度は糠助の妻がさすがに怒り出し、とうとう召使いに引き立てられて、やむを得ず、村長の宅に行くことになった。
亀篠は小さな座敷にやって来た糠助を呼び入れた。
いつもと違ってにこやかで、糠助を近くに招いてまずは身体の調子を尋ねた。糠助は少し落ち着いて、蒼ざめていた顔色も平静に戻っていった。
しばらくしてから亀篠は、そばにいた召使いを遠ざけてから真面目な表情で声を低くして言った。
「急にそなたを招いたこと、覚えがあるでしょう。どうして番作の童を助けて、山犬を村長の屋敷に追込み、人を食べさせようと考えたのです。そなたと信乃が棒を持って、裏口から逃げて行くのを我が家の召使いが見ていました。言い訳はできないでしょう。それだけではなく、あの犬はこの小部屋に走って来て、これを見てみなさい」
亀篠は、破れた一通の書状を取り出して、開きながら突きつけた。
「あの犬はこんなひどいことをしてくれたのです。鎌倉の足利成氏殿、古河へ落ち延びあそばされた後、この地の陣代大石様も両管領に従うことになって、鎌倉においでになるそうです。兵糧のことなどを私の夫に命じられました。そなたもそれを良く知っているところ、改めて言う訳ではありませんが、この度また鎌倉から古河の城攻めがあるとのことで、ここにも兵糧の催促があったのです。この管領家の御教書に陣代の下知状を添えられて、今日飛脚が到着しました」
糠助の眼が真ん丸になった。
「我が夫はこの小部屋の塵を払って部屋を浄め、御教書を拝見しようとした折りも折り、あの犬が走って入って来て、四足で踏んでこの様に踏み裂きました。逃がしてやるものかと犬には槍をつけて、数か所の傷を負わせはしましたが、暴れたので殺せませんでした。板塀の下を突き破って、外へ逃げて行きましたが、途中で倒れたとは聞かなかったので、主人である弟の家に帰ったと思います」
亀篠は厳しい顔になった。
「御教書破却は謀反に等しいと聞きます。犬畜生はご法度を知らないといっても、飼い主は罪科を逃れられはすまい。もちろん犬を追い込んだそなたと信乃はどうなりますか。百回、大赦があっても、命を助けることができないのではありませんか。糠助さん、元から覚悟があってのことですか」
いよいよ舌鋒が鋭くなった。
「番作は日頃から仲が悪いので子供に言いつけて他愛もないことをしたとしても、そなたは何の恨みがあって、身を滅ぼすのを顧みず、どうしようもない弟に加担して村長を倒そうとするのです。そなたは憎い人」
恨み言を聞いて、糠助は驚き、恐れて、冷たい汗を流すことしかできない。今更ながら何も言うことができず、しばらくしてから顔を上げて、
「思いもがけない落ち度で私の命をお取りになること、逃げようもございません。例の犬のことにつきましては、村長に悪かろうとしてお屋敷に追い込んだのではありません。そうは申してもいろいろお詫びをしてもお許しいただけることではございませんが、大慈大悲を仰ぐのみでございます。願いはただお上に善政をお願いいたします様取り持っていただき、私ばかりはどうかお救い下さい。お助け下さい」
そう言う声も冬の枯野の虫の鳴く音より心細く、乞い願うものであった。
亀篠はそれを聞いてため息を吐き、
「村長は人の頭を務めるものだが、これほど世の中に辛いものはないのです。良きにつけ悪につけ、公の道を進むのであれば、憎むのは人の私心であり、人に恵むのであれば村長の職務に欠け、職務を立てれば邪険に似たことになってしまう。本来であれば、そなたは言うまでもなく番作親子をひしと絡め取り、鎌倉へ引き立てるべきですが、親の片意地で言葉を掛けさせないけれども、信乃は私の可愛い甥なのです。憎いと思っても番作はこの世では弟なのです。それを一朝に罪はなく、快良く許すのことはなかなか簡単にできることではありません」
亀篠は泣く真似をしてみせた。
「痛ましく、また悲しく、怒る夫のたもとにすがりつき、泣きついて詫びて、どうにか今日一日、追捕のお沙汰を止めました。しかしそれだけではその罪を逃れることはできないのです。何とかして救えないかと人知れず胸を苦しめ、浅はかな女子の知恵では及ばないことことですが、よくよく考えてどうにか思いついたのです。助ける方法を」
いよいよ本題に入った様だが、それは糠助にはまだ分からなかった。
「番作が大切に持っている村雨という刀は、足利持氏殿の佩刀であり、春王君へ譲られなさった源家数代の秘宝、管領の方々も良くご存じで、手に入れたいとお考えの旨、かねてから噂がございます。今この刀を鎌倉へ献上し、今回の罪をお詫びすれば、そなたの身には問題もなく、きっと番作親子も許されるでしょう。或いは弟が我がままをやめて蟇六殿に詫びなければ、誰がこのことを鎌倉に申上げるでしょうか」
亀篠はこれが言いたかったのだ。
「ここまで考えた私の誠をまだ僻んだ心で疑い、自滅しようというのであれば、もう他に手段はありません。そなたもお覚悟なさるがよい。密かにお呼びしたのは、これをお伝えしたかったからなのです」
まことしやかに話せば、驚きのあまり魂が抜けていた糠助は我に返って、思わず大きな息を吐き、
「お言葉承りました。不幸に際して、他人は食物にありつくために寄り集まるが、身内の者は心から悲しんで集まってくれる、ということわざが世の中にあります。日頃は仲がお悪いご様子ではございますが、姉であればこそ弟であればこそ、どなたがこの危機を救うのでしょうか。君を思うことは我が身を思うこと、かくなる上は糠助は舌の根のある限り、釈迦の弟子の富楼那(ふるな)の様に弁舌を持って、犬塚殿の心を和らげ、事態を整えてみましょう。成功した時には第一番に私をお許し下さい。善は急げと言います、今から行って参ります」
と立ち上がる糠助は、亀篠はしばらくの間引き留めて、
「言うまでもないけれども、期限は今日一日ですよ。説得に長い時間を掛けてしまって、夜が明けても後悔なさらないで下さい」
と言うと糠助は何回もうなずいて、
「それはもちろん分かっています、心得ています」
返事をしながら、障子を逆手に持って急に引き開けようとして、押し倒してしまった。そして倒れた障子も見ずに、そのまま出て行った。
亀篠は驚きながらも身を起こして、倒れた障子を受けとめた。
「そそっかしい人」
呟いて立つと、隣の部屋で立ち聞きしていた蟇六が戸を開けて現れた。夫婦は眼と眼を合わせつつ、にっこりと笑った。
「亀篠か、良くやった」
「あなた、良く聞きましたか。思ったより首尾よく話すことができました」
その時、石臼を引き出す音が聞こえ始めた。茶道具の向こうでうとうととしながら茶の葉を挽いていた額蔵が、夫婦の会話で眼を覚ましたのだ。
石臼の音に驚いた夫婦は、旅人が雨の中雷の音を聞いた様に慌てて囁きの会話をやめて、屋敷の奥に隠れる様に入って行った。
糠助の踏む足音は地に着かなかった。慌てふためいたまま犬塚番作の家に行き、亀篠が話したことをすべて話し、
「子供の言い出した知恵に釣られてしまい、愚かなことをしてしまいました。私を大人気ないとお叱り下さい、謝罪いたします。でも詫びても許されないのは、御教書の破損です。とにかくことわざに地獄にも知る人あれ、と言うのは真にこのことです。性根の良くないと思っていましたが、あなた様の姉君の菩薩心、甥を可愛いと思う誠の心に私は打たれました。身内の方の心配こそ尊いのですよ。私も良い日にその場にいたものです、財宝は持っていれば急場に持ち主の身を救うものになると言います。それこそ宝刀です」
糠助は善良な男なのだ、と思いながら犬塚番作は聞いている。
「村長に頭を下げてたとしても、いささかも恥ではありません。姉に従うことは順当なことです。あなた様のお子に取っても当然のことです。何ごともご子息のことを考えて、このこと、村長に折れなされ、姉君の言うことに承服なされ」
糠助は手を合わし、言葉を尽くして犬塚番作に勧めるが、彼はずっと静かに糠助の言い分を聞くだけだった。やがておもむろに口を開いて、
「御教書のことが本当であれば、驚かれるのも当然だ。お前様は御教書そのものを見て、その様に言われるのか」
と尋ねた。
聞かれた糠助は頭を掻き、
「いえ、あなた様もご存じの様に、私は字が読めないのです。御教書とはお聞きしましたが」
と返答をすれば、犬塚番作は苦笑して、
「さればさ、人の心というものは様々で図りがたいものなのだ。微笑の中に刃を隠す、とは中国の兵法書にもある言葉だが、今、戦国の習いだ。親族であるからといって心を許すと、後で必ずほぞを噛む様な悔いがあるだろう。日頃は仇の様な関係になっている姉夫婦が俄かに弟に優しく接し、甥を愛するなどありえない」
犬塚番作は断言した。
「もしそれが本当だとしても、村雨の刀を差し出せば問題ないとは誰が決めたことなのだ。関東管領家のご沙汰でなければ、お上は何を言ってるのだ。当てにならない。果たして、もし許されずに鎌倉に連行されたとしても、後に宝剣を差し出せば遅くはない」
糠助の眼を覗き込んだ。
「お前様の身の上は心苦しく思うが、女々しく我が子のことに取り乱して、不覚を取れば武士の恥。そのことには従えない」
糠助は膝を叩いて激昂した。
「違う違う、それは片意地というものです。疑って今日を過ごしてしまえば、後悔はそこに立ちがたい。親子と言いながら三人の命は、ただ一振りの太刀を出して救えるものであれば、半刻(約1時間)でも早い方が良い。縄目の恥に妻子を泣かし、あちこちの人に指を差され、仮に助かったとしても、あたら武士の名前に傷つくというもの
。どうか思い返して承諾なさって下さい。おう、という一声を聞かなければ家に帰ることができません。手を合わせて拝んでいるのが見えませんか、強情でございますな」
と説得し、議論は終わりそうもないので、犬塚番作はほとほと持てあまし、
「我が子一人のことであれば、八つ裂きにされるとも他人の意見を聞くまでもない。しかしここまで言っても分かってくれないお前様の周章狼狽、分かってもらうには良い思案が今はない。しばらく考えてから返答しよう、日が暮れてから、再び来てくれるか」
と言う。
糠助は外を見て、
「裏口の柳に夕日が落ちれば、間もなく日も暮れるでしょう。夕飯を食べたらまた来ます。物事を知る人は、他人を謀って、自分自身がどうなるか分からないことが多い。あまりに人を疑いなさって、この糠助さえも殺そうとなさいますな。今はまず一旦帰ります」
ようやく片膝を立てて身を起こした糠助は、足の痺れをさすりながら、片方の草履だけを履いた。片方は裸足のまま、まるで鞍を置かない馬の様である。糠助の憂いは重い荷物が融けた様でもあり、びっこを曳いて帰って行く。
三月の空も冴える秩父おろしの夕風は寒く、父にもう一枚着せようと思った信乃は手習いの机を片づけて、薄青色の羽織を後ろから父の肩に掛けてやった。
行燈が灯す明かりは四方八方すべてを照らすことはできない。しかし庭からは明るい夕方の月の光が差込み、まだ生きている与四郎をおぼつかなげに照らしている。
信乃は雨戸を一枚閉めて、父のそばに火桶を寄せた。
「風が変わって急に寒くなってきました。昼間が長かったので、早くお出ししました夕食の雑炊も多くは召し上がりませんでしたが、まだお食べになられませんか」
と問えば、犬塚番作は首を振り、
「身体を動かさないのに三度の食事時意外に何を食べると言うのだ。宵越しの雑炊はどうしようもないものだ。余りがあるなら後でまだ出してくれ。冷えておれば良くない、温めておきなさい」
と言いつつ火桶を引き寄せて、火を掻き起す。
「いえ、余りはありません、与四郎にも与えましたが食べられません。無益なことでしたが、犬を救おうとしてこんな大変なことになったこと、すべて私のせいです。悔やんでも仕方のないことですが、今、糠助さんがお話されたことも父上のお答えも、こちらで詳しく聞いておりました。御教書のことが本当であれば、災いは間もなくやって来ます。元から父上は初めからご存じのことではありませんので、何度も説明すれば私だけが罰されることはもちろんでしょう。そう覚悟はしておりますが」
信乃は悔しそうな顔になった。
「お足元も不自由で、最近は病気がちな父に明日から誰がお仕えできましょうか。悔しいことに、日に日にきっと病いが重くなり、かなわないでしょう。看病できないのは、不幸の罪でございます。これを思いますと、来世に生まれ変わったとしても、罪を贖うことはできません。そもそも父上もお爺様も忠義は余人より優れておりますのに、武士道の花も実も埋もれてしまって、月も日も照らして下さらないのは一体どうしてなのでしょう。親のことを思うと決して惜しくはない露の様な命でございますが、さすがに惜しくございます」
と言って涙声で鼻をかんだ。
犬塚番作は灰を掻きならす火箸を持ちながら、ため息を吐いた。
「禍福は時であり、天であり、運命である。恨んではいけない、悲しんではならない。信乃よ、私が糠助に諭したことを、お前は良く聞いていなかったのか。御教書のことは、おぞましくも謀ろうとするあの人たちの嘘なのだ。たったあれだけの口車で、子供は欺けても、この番作を欺くことはできはしまい。これは蟇六が姉に悪知恵を授けて、糠助を騙しながら、宝刀を騙し取ろうとするためだ。浅はかな所業ではないか」
犬塚番作はとうとうと語り出す。
「そもそもこの二十年間この方、蟇六はいろいろ手段を尽くして、村雨の宝刀を奪い取ろうとしたことは何回もあったのだぞ。或いは人を語らって利を誘いながら、値段を高く村雨を買おうと言わせたり、或いは夜更けに寝静まった晩を狙って根を越え、戸締りを狙って、盗み取ろうとした夜もあった。奴らが百計を考えれば私もまた百の備えで応じたのだ。蟇六の悪念、今に至るまで果たされることはなく、ずっと口惜しく思っていたのだろう。だから今日図らずも、奴が与四郎を傷つけて、鬱憤を晴らそうとして、またここに悪だくみを考えたのだな。御教書破損にかこつけて、宝刀を奪おうという奸計は、鏡に映して見るがごとく明らかだ」
ふうとため息を吐いた。
「そもそも蟇六が宝刀に望みを掛けていることは、私もその本心を見抜いている。奴は我が父の跡目と自称して、村長になってはいるけれど、代々受け継いだ記録はない。もし私がこの太刀を持って家督を争うとすれば、困ったことになるのだ。これがまず一つ」
信乃は黙って聞いている。
「足利成氏殿が没落されて古河に出奔の後、大塚のこの地はすでに鎌倉の両管領、扇谷上杉定正殿と山内上杉顕定殿のご決裁に従っている。それは即ち、蟇六は管領側の、つまり敵方の家臣の相続人であり、鎌倉公方様に対する旧功や旧恩がないのだ。新たに管領側に忠義を少しでも見せなくては、大塚村の村長の地位と荘園を長く保つことができない。これが彼が恐れる二つ目」
犬塚番作は水を飲みながら説明を続けた。
従って蟇六の目的は、村雨の宝刀を鎌倉の管領に献上し、公私の心配と災いを祓って安心するためである。
姉のために、村長の座と荘園をもう争うことはしない。
そのために一振りの太刀を惜しんだりもしないが、あの宝刀は幼君の形見でもあり、亡父の遺命は重く、この身が共に滅ぼうとも、姉婿には絶対に渡すことはできない。
また当初、村雨を足利成氏殿へ献上しなかったのは、姉を思っただけではない。春王、安王、永寿王、永寿王はかつての成氏殿の幼名だが、皆先代の足利持氏殿のお子ではあるけれど、父の大塚匠作は、春王、安王の両若君のお世話をしていた。
両若君が美濃で討たれなさったので、宝刀は両若君と父の形見として菩提を弔えと遺訓を受けたが、生き残られた永寿王こと足利成氏殿に捧げよ、と言われたことはない。
永寿王は結城合戦には関わることなく、信濃で育てられたのである。
しかし主君と亡父の義に寄ってはいたが、犬塚番作は考え直した。信乃の元服後、宝刀村雨を左兵衛督足利成氏に献上して身を立てさせようと。だからこそたくさん賊がやってきたが、何度も防いで秘蔵していたのだ。
「今宵、お前に譲ることにする。見なさい」
少しの沈黙の後、犬塚番作は口を開いてそう言った。
犬塚番作は硯箱にある小刀を取って、家の柱に釣ってあった大きな竹の筒を打ち、更に釣り縄を切断した。竹の筒はそのまま落ちて、二つに割れて中から、村雨の宝刀が現れた。
錦の袋の紐を急いで解いた犬塚番作は、刀の鞘をうやうやしく額に押し当てて、何ごとかを念じてから刀身を抜き放った。
信乃は間近でそれを見た。鍔元から切っ先まで瞬きもせずに見つめた。
煌々と光り輝く北斗七星の紋、それは冷たく光り、刀身は三尺(約90センチ)の氷の刃であった。露を結び、霜が固まって、まるで半月の様に見える。
それは邪悪を退け、妖を鎮めて、千年の宝剣にも見える。古代中国の太阿、龍泉、我が国の平忠盛の抜丸、蒔鳩、平氏の重宝の小烏、源頼光の鬼丸といった名剣にも、勝るとも劣るまい。
【犬塚番作遺訓して、夜その子に村雨の太刀を譲る】
竹の中から村雨発現!!
病の番作さん、顔色悪し。
しばらくして犬塚番作は刃を鞘に納め、
「信乃よ、この宝剣の奇跡を知っているか。殺気を持って刀を抜けば、切っ先から露が滴る。敵を切り、刃が血塗れば、水がますますほとばしって、手の動きに呼応して水を散らす。例えるなら、ひとしきり激しく降っては止む雨が木の梢を払う様だ。即ち、村雨から名づけられた。これをお前に譲るが、その様では相応しくないな。髻を短くして、今から犬塚信乃戌孝(もりたか)と名乗りなさい」
犬塚番作は息子に語り掛け続けた。
「かねてから二八の十六歳の春を待ってから元服させようと思ってはいたが、私は宿病に苦しめられ、長く生きることはできないだろう。今日死ななければ、明日は死ぬだろうと思っていた。もし死なないとしても、今年の寒さと暑さは厳しく越えられそうもない。ただ残念に思うのは、お前はわずかに十一歳、孤児となることだ」
と言って深くため息を吐く。
信乃は思わず親の顔を見上げて、
「何ごとをおっしゃるのですか。例え多病といっても、父のお年は五十にもなっておりません。どうしてそんなことを言うのですか。今日、明日などと良からぬことを急がせるのです。御教書のことは、実は本当で追手が来るのであれば、父上が取り手を引き受けて、私をお救い下さるとのおつもりでしょうか。そんなことはおやめ下さい」
と言う間もなく、犬塚番作はからからと笑い、
「御教書のことは嘘偽りだから、捕まることもない。しかし、我が姉の謀りであっても、糠助がもう一度来る時にお前のことを良く頼むつもりだから良かったのかもしれない。死期が近い親の痩せ腹、今目の当たりにかき切って、お前を姉に託すことにした」
と言うから信乃はいよいよ呆れ果てて、
「父上のお言葉とも思えません。親類ではありますが、あの人たちはひとかどならぬ、言わば仇敵です。父上を喪ったからと言って、理由もなく仇敵に子供を託すとは、訳が分かりません」
と詰った。
父はうなづいて、
「その疑いはもっともだ。これは我が遠謀、村雨の太刀も奪われずに、今から姉の手を借りて、お前を一人前にするのみ。とても長生きできそうもない、親の自殺は子を肥やす苦肉の一計であると知るが良い。我が姉夫婦は利に耽り恩義を知らない性だが、この番作の自決を聞けば、大塚村の人々はいよいよ村長を憎む様になる。集まっては姉夫婦の非を管領に訴えることもあるかもと心配するはずだ。であればお前を引き取って誠実に養い、里の者たちの憤りを和らげると考えるだろう」
犬塚番作は刀を取って、
「またこの宝刀は姉夫婦がいろんな手立てで奪おうとも、元から親の遺命があるとするのだ。そして元服の後、古河に参上して、左兵衛督足利成氏にこそ献上すると言え。このことだけは譲れないと固く拒んで、寝る時も起きている時も常にそばに置き、盗まれない様にしなさい。宝刀が手に入らないとしても、蟇六は家に刀があるのであればいつかは奪うのが容易であると思って心を許して、急に迫ってはこないと思う。それを防ぐのは、お前の知力に掛かっている。なまじ宝刀を隠してしまうと奪おうとする気持ちは決して揺るがず、防いでいても遂には奪われてしまう」
古代中国、後漢の黄叔度こと黄憲が琴を鳴らして、盗賊を追い返したという計略と同じだよ、と言った。
少ない兵士数で守れないところだったが、敵同士に疑心暗鬼を起こさせ、危機一髪のところではあったが、九死に一生をを得た逸話である。
賢い知恵さえあれば、機に臨んで変に応じ、何ごとがあっても防ぐことができるだろう。肝に銘じてそれを忘れてはいけないよ、父は続けた。
しかし、と言う。
「しかし我が姉夫婦が万一にも気持ちを改めて、本当にお前を憐れんで接するのであれば、お前もまた真心を持って姉夫婦に仕えて、養育の恩義に報いなさい。また宝刀を奪うことを諦めないのならば」
犬塚番作は続けた。
「村雨を抱いて早く去りなさい。五年や七年、養われたとしても、お前は大塚氏の嫡孫だ。言ってしまうのは何だが、蟇六の職と禄は、お前の祖父の賜物。その禄で元服したとしても、伯母婿である蟇六の恩ではない。例え宝刀を持って村を去ったとしても、それは不義ではない。この理をわきまえていきなさい」
一杯水をまた飲んでから父はにやりと笑った。
「私の計略はこんなところだ。長くもない余命を貪り、この時を逃して後で病床で息絶えるのであれば、伯母もお前を養わず、宝刀も悪人の手に落ちて、私の計略も絵に描いた餅になってしまう。この刀は君父の形見だ」
私は古代中国の伯夷、叔斉兄弟の様に首陽山に入って蕨などの山菜を取ったりはしないが、二君には仕えたりはしない。しかし最期に村雨の力を借りて、奇跡を見せようと言った。
村雨の宝刀を再び取って抜こうとする父の拳に、信乃は慌てて取りすがった。
「父上が後々のことまでお考えになった計略は良く分かりました。あくまで私のことを思ってのご自害、父上の慈しみを分からずにお止めする訳ではございません。例え、私の手には負えない難病であっても良薬良医を求めて、父上を看病し、お近くでお仕えします。届かずに病気が治らないとしても、私がおそばにおります。きちんと見定めることなくお腹を召されれば、人はただ狂死したと言うでしょう。ご自害など、今宵に限ってなさることではありません」
と信乃は必死になって止めるが、犬塚番作は声を激しくして、
「愚かなことを言う。死すべき時に死ななければ、他に死ぬ時に恥が多くなるだけだ。嘉吉の昔、結城にて死ねなかったのは君父のため、足が悪くなって筑摩に三年の間旅住まいし、母の今際に遭えなかったのは生きていく甲斐のない後悔であった。それから二十年余り、なすすべもなく何もせずに過ごして露命を貪り生きてきた。今、また子供の身の上思わずに、いつまで生きていよう。千曳の石は転がることはあっても、私の心は転ばない。止めるのは不孝であるぞ。今にも糠助が来てしまえば、邪魔をするに違いない。そこをどけ」
荒々しく左手を伸ばして、捻じ伏せ様とする。
信乃の髻はちぎれ、髪は乱れて転ぶものの、右の拳は父を離しはしなかった。
「お叱りを蒙るとも、ご自害のことだけは逆らってもお止めいたします。お許し下さい」
しがみつき、刃を奪い取ろうと焦ったが、子供の力は大人にはなかなか及ばない。放せ放せと怒りの声、子は尚も一生懸命に絡みつく。
果てしない争いと思われたが、とうとう犬塚番作は我が子をしっかと伏せて、その背中の上に座り込んだ。病み衰えていても、父は勇士であり、どうやっても動かせない。
信乃は哀しく悶えて、何度も跳ね返そうとしたが、枷も鉄輪も着けられた様に動けはしない。
その間に犬塚番作は、襟を掻き分けて上半身を剝き出しにした。そして刃を引き抜いて、右の袂を巻き添えて、氷の様な切っ先を腹にぐさと突立て、心静かに引いた。
ほとばしった血潮の下に浴びる子は血の涙に瞳を濡らし、親は刃を持ち換えてさすがに弱った右の手に左手を添えて、咽喉を刺そうとした。
「ん、ん」
何度か外した後、ようやく刃は咽喉を貫いた。倒れる犬塚番作と身を起こす信乃は、半身を深紅に染めている。
父の亡骸に抱きつき信乃は号泣する。秋風は寒く、紅葉の様な信乃の手は血に濡れて、枯れた巨木を抱きしめている様だった。
そこへ糠助がやって来た。犬塚番作の回答を聞こうとして、日が暮れてからやって来たのだが、近づくと信乃の泣き声が聞こえる。
何ごとが起きたと抜き足差し足で近づくと、思いがけずも犬塚家の主の自害である。糠助は驚き、恐れて、舌を巻き、身の毛が立ち、歯の根ががたがた震えて合わなかった。
足も震えて止まらなかった。膝を押さえるのが精一杯で、犬塚邸の中には入れなかった。戻ろうと思ってもいつにもなく足は重く、誰かが腰を引き留めているかの様だ。
糠助は思う様に動けないが、やっとの思いで外に出て、ため息を吐いた。まずは起こったことを村長に告げようと裾を端折って、どうにか走り出した。
糠助が来たことも知らずに、信乃は涙の滝の糸に暮れていた。むせ返り、嘆いているうちに、ようやくわずかながらも理性を取り戻して、顔を上げ、
「悔しい、私の年がもう四つ五つ上であれば、刃を持った父上の尻に敷かれて、父を死なせはしなかったのに。声を限りに泣いても、来る夜と一緒に口説いたとしても、無駄なのだ。もう父のおためにもならない」
信乃は自嘲気味であった。
「父の遺言の趣きは耳に残り、はらわたに染み渡った。露ばかりも背こうとは思わないが、錦の袋に毒を詰め込んだ伯母と伯母婿に養われるなど御免だ。それだけではない、謀られて宝刀を奪い取られれば、この身の不覚、亡き両親に申上げる言葉もない。戦場では父子もろともに討ち死にすることも多い。頼みにもならない伯母を宛てにして、ぼんやりと生きて行くのは却って父やご先祖の名を恥ずかしめてしまう。父上がおいでであったからこそ、辛いことにも堪えられた。今日から誰のために、数多くの艱難辛苦を忍んでいこうというのだ」
信乃は決意した。
「ご遺言には反するが。足元の弱い父に追いついてその手を引き、一緒に死出の山路を越えて、母に逢おう、そうしよう」
と独り言を言い、父の手を放して村雨の太刀を取り上げた。明かりに刀身を寄せて表も裏も見返して、
「珍しい。血潮が水で洗い流した様になっている。親には及ばないが、この刀で信乃の自害もさせていただくことは、申し訳ない」
と額に押し頂いた。
その時、軒先から犬の鳴く声が聞こえた。藁の上で伏せていた犬が、深手の苦痛に我慢できずに弱々しく吠えたのだ。
信乃は見返して、
「ああ、与四郎はまだ生きていたか。あの犬を得て私は生まれ、その犬によって父を喪うことになった。ことの始めを聞き、ことの終わりを思えば、愛してもいるし憎んでもいる。だがこのままこの犬を捨てておけば可哀想だ。このまま生きていくのが厳しいと思われる傷、一晩中苦痛に悩まされるより、速やかに我が手に掛かれ。犬畜生の死を促すのにこの宝刀を汚すのは、大変恐れ多いことではあるが、血潮に染まらなかった刃の奇跡を起こそう、誰がためにも惜しくはない。さあ、痛みから助けてやろう、聞こえたか、与四郎」
と問うて、信乃は太刀を引っ提げて縁側からひらりと降りて、村雨を振り上げた。
与四郎は刃を恐れず、前足を突き立ててうなじを伸ばした。ここを切れと言わんばかりの健気さである。
自分より一歳上の言わば幼馴染みでもあり、両親も可愛がって養い、自分には馴れも懐きもあるこの犬をどうやって斬ればいいのだ、と思い、思わず躊躇して太刀を振りかぶった手も降ろせなかった。
「しかしこの犬はこのままにしておいても、明日死んでしまうかもしれない。また伯母夫婦の手に掛かって死ぬかもしれない。心を弱く思うな。与四郎、如是畜生、発菩提心」
刃が閃いて、犬の頭がはたと落ちる。さっとほとばしる鮮血の勢いは、五尺(約150センチ)の紅の絹を掛けた様に勢い良く、そして激しい音で立ち昇った。
その中で何か煌くものがあり、信乃は左手を伸ばして掴むことができた。鮮血の勢いはすぐに衰えた。
【自殺を決めて信乃、与四郎を切る】
与四郎君が哀れ過ぎて、私も感涙です。後ろでは番作さんが伏しております(涙)
亀篠と蟇六が覗き見していますね。
おっと珠が浮いてる?!
信乃は滴る刃の露と水を袖で拭い、急いで鞘に納めて腰に帯び、左手を見た。犬の首の切り口から出たものを血を洗いながら覗き込むと、それは一つの白玉である。大きさは豆の倍ほどであり、紐を通す穴さえあった。見た感じではこれは数珠の珠に違いない。
思い掛けないものだったので、信乃はとても不審に思った。明るい月の光にかざしてまた見つめると、珠の中に一つの文字がある様だ。正に孝の一文字である。
削られたものでもなく、書かれたものでもないと思われた。ただ自然に加われた様で、信乃はひどく感動を覚えた。
「この不思議な珠、不思議な文字。私は良くは知らないが、思い出すと母が子宝を祈って滝野川から帰る時に、途中でこの犬を見て、可愛がって見過ごすことができず仕方なく連れ帰った。家路に急ぐ途中で、夢か現か神女を目撃し、一個の珠が授けられたのになくしてしまい、犬の近くで転がったのを見失った。探したのにとうとう見つからなかったと言う」
確かそのころから母は身籠って、次の年の秋の始めに信乃を出産したと教えてくれた。
その後、母は長く病気になり、神仏にいろいろ祈ったがその甲斐なく、珠も見つからないせいか病気は重くなった。そしてとうとう重篤になってしまった。
この珠さえ見つかれば母の病気も快方に向かうはずだと望みを掛けて探したが、見たこともない珠はとうとう見つからずに、母はその冬に亡くなってしまった。
三年後のこの秋、今宵、父上は自決し、信乃自身もも冥土の道連れにと、満身創痍の与四郎を手に掛けた。
切った犬の傷口から不思議に現れた珠に、両親を失い、信乃自身も覚悟の今際に及んで、自分の名を示す孝の一字(信乃の名乗りは戌孝である)が確かに見えても、これではまるで六日の菖蒲で十日の菊、必要とする時に間に合わず、手遅れとしか言い様がない。
この珠、どうしてやろうか。
と腹が今更ながらに立って、投げ捨てたが、珠はそのまま跳ね返って、懐に入って来る。気味が悪いとまた投げるが飛び返り、また投げても飛び返ってきた。三回同じことが起きたので、半ば呆れて珠を見ながら手をこまねいた。
しばらくの間考えてはいたが、うなづいて、
「この珠は本当に霊力があるものなのだ。母が落とした時に犬が飲み込んでしまったからこそ、十二年の今に至って、歯は堅固で、毛並みは良く、血気はいつも盛んだったのは、与四郎の腹にこの珠があったからなのだろう。これはこの世に二つとない宝かもしれない」
例えこの珠が古代中国の有名な随候珠や趙璧であっても、この命は惜しくなどない。
孝の珠が宝だとしても、迷って死を恐れたりはしない。
「貴人の亡骸に珠を一緒に埋める例はあるが、無益なことだ。宝刀村雨も私が死んだ後、欲しければ誰かが取れば良い。いざ、それでは父上に追いつこう。大分時間が立ってしまった」
と呟いて、父の亡骸の横に並んで、最期の覚悟を決めて、宝刀を三度戴き、上半身を露わにした。ふと見ると、左腕に大きな痣がいつの間にか出来ており、形が牡丹の花びらに似ていることに気づいた。
何だろうと肘を曲げて良く見てみた。触ってみても手習いの墨などとは違う様だが、色は黒かった。
腕を叩いて、
「昨日や今朝までこの痣はなかった。先ほど珠が飛び返って懐に入った際に、左腕に当たって少し痛かったが、痣が出来るほどではなかった。国が危うくなる時に様々な妖異があり、人が死のうとする時にまた妖怪を見ると言う。両親の教えてもらったり、漢籍にもそう載っていた。すべてこれは私自身の惑いなのだ。死んでしまえば土になるというのに、痣もほくろも嫌がってもどうなるものでもない」
信乃は再び決意した。ある意味、勇気が弛まず世にも稀な孝子であり神童でもある。古人である秦の甘羅(かんら)、後漢の孔融、北宋の趙幼悟(ちょうようご)の才能にも負けず、今またこの子供、信乃も大したものである。
春の夜は短くて、早やくも宵の口(午後8時ごろ)を告げる寺の鐘も無常の音に聞こえた。
信乃は額の乱れ髪を掻き分けて、宝刀を手に取った。
「ああ、我ながら父に大分遅れを取った。父上、母上、一蓮托生でございます、南無阿弥陀仏」
と唱えつつ、刃をきらりと引き抜いて腹を切ろうとしたその刹那、たちまち庭の木陰から、
「待て待て、信乃、待ちなさい」
と大きな声で急いで呼び掛ける男女三人が現れて、飛ぶがごとくに縁側から等しく入って来るのだった。
(続く……かも)
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