馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

岡崎城に登ってきました

2023-01-21 22:21:42 | 城攻め

2023年1月21日、100名城45番目の岡崎城に登ってきました。通算3回目位かな?

名鉄電車に乗って東岡崎駅下車。お腹が空いたので駅前の四川園さんで台湾ラーメンと炒飯セット。

四川園さんはこちら。

 

四川園 (東岡崎/中華料理)

★★★☆☆3.25 ■予算(昼):~¥999

食べログ

 

……「四川」園さんで台湾ラーメンですいません。担々麺にすればよかったかな、と思う間もなく料理が来ました。

台湾ラーメン辛っ! でも(゚д゚)ウマー、炒飯も美味しいです。880円です。

お腹いっぱいになったところで歩きます。

乙川という川が見えてきました。明代橋を越えて、西に向かいます。

途中、公園がありまして、徳川四天王像がありました。

家康に過ぎたるもの本田忠勝像。蜻蛉切がかっこいいですね。

伝説の太鼓酒井忠次像。

伝説の太鼓とは、三方ヶ原の戦いで大敗した家康が浜松城に逃込む時に、酒井忠次が太鼓をどんどん叩いて、

追いすがる武田軍を何か徳川方に策があるのでは、と惑わせた逸話のことだそうで。

私は初めて知りました。

ドーンドーン!!鬼気迫る酒井忠次です。

詳しくはこちら。

中遠昔ばなし 酒井の太鼓(磐田市)

 

「酒井の太鼓」の記述 鶴岡市に保管された家臣の日記から発見|NHK 山形県のニュース

徳川家康が大敗した武田軍との戦いで、重臣の酒井忠次が太鼓を打ち鳴らし敵を撤退させたという逸話について、鶴岡市に保管されてきた酒井家の家臣の…

NHK NEWS WEB

 

あれ、他の2人は?榊原康政、井伊直政が見当たりません、これからでしょうかね。←国道1号の向こう側にある様です。

また歩き出します。大きな橋、殿橋を越えて竹千代通りという川沿いを歩くと、右手に大きなホテル、

岡崎ニューグランドホテルさんが見えてきました。

そのホテルの前の地面に、ありました。岡崎城と花火と桜のマンホールです、綺麗ですね。

岡崎公園が見えてきました。お茶屋やお城も見えていますが、我慢してまだ竹千代通りをまっすぐに。

赤い神橋を渡りましょう。

内堀を渡って振り返ります。

進むと石垣にぶち当たりました。

石段を登ると、ジャーン! 岡崎城です。

すいません、松が邪魔だと思ってしまいました。

龍城神社側に移動してパシャリ。

いやあ、大変な賑わいです。大河ドラマ効果とお城改装が前日の1月20日に終わったせいでしょうか。

プロジェクションマッピングの準備もされていましたよ。

さてお城はかつて入ったこともあり、100名城スタンプも御城印も貰っていますので、お城カードが欲しいのですが、どこで販売しているのでしょう?

ボランティアの女性に聞いてみましたが、北側のお土産物屋さんではないかということでした。

行ってみましたがお土産物屋さんは大混雑。探してみましたがありません。

向かいのボランティア詰め所でお聞きしましたが、お城カードのこと、ご存じありませんでした。( ;∀;)

お城カードくん、もっとメジャーになって欲しい。

せっかくですので、北側の大手門を外から撮りました。

その傍らには、是より東、岡崎領とあります。

気を取り直して公園内北側を散策します。人気者本多平八郎忠勝の像。座って蜻蛉切。

しかみ像の徳川家康。武田に負けた反省から描かせた絵がモデルとか。

二の丸能楽堂。

どうする家康大河ドラマ館。元の三河武士のやかたですね、入場料は800円!

徳川家康の銅像。

うーん、お城カードの情報がないので城内入り口に向かいます。

北側から見た岡崎城。

青海掘。昔の岡崎城のお堀ですね。

かつてここに降りたことがあります。

その時はヘルメット着用でしたよ。安全第一。

さて戻って進むと坂道がありました。その途中にあるのが、隠居郭。

坂道を登って、本丸御門跡から一枚。

お城まで戻りました。空いていたので受付係さんに伺うと、城内で販売しているそうです。

お城カードゲットです。反射して見にくいですね、すいません。

呆気なく入手できたので、埋門跡を降りてお城の西側にいってみます。

東照公えな塚。へその緒を埋めたそうです。

もし掘って出てきたら、家康のDNAが分かるかも。

西側から見上げると、天守が見えました。

先ほどの青海堀の反対側ですね。廊下橋です。

東照公産湯の井戸。

奥には水が注がれているところがありましたが、飲んではいけないと書かれています。

あれ?家康の産湯?どこかで見た気がしますねえ。

そうだ、松平東照宮です。

(上記3枚は松平東照宮)

でもきちんと但し書きに書いてありました。松平郷からも産湯が届けられた、と。

いわゆる諸説ありますですね。

産湯のそばを登ると、能楽堂近くに出ました。大体一周した感じです。

帰りに殿橋から岡崎城を眺めます。

それではまた。

 

2023年3月11日岡崎に行きました。

残る四天王のうち、2人の像を撮影してきました。

書の巧みな榊原康政。右手に筆を持っていますね。

手にした札にはこう書かれています。

「それ羽柴秀吉は野人の子、もともと馬前の走卒に過ぎず。
しかるに、信長公の寵遇を受けて将帥にあげられると。その大恩を忘却して、子の信孝公を、

その生母や娘とともに虐殺し、今また信雄公に兵を向ける。
その言語に絶した大逆無道 黙視するあたわず。
わが主君 源家康は、信長公との旧交を思い。信義を重んじて信雄公の微弱を助けんとして蹶起せり。」

小牧長久手の戦いの挑発戦の中の有名な一幕。

図星を刺された秀吉は激怒したとか(笑)

井伊の赤鬼井伊直正像。これで四天王が揃いました。

本名忠勝もそうですが、馬の全身も欲しいところですね。

JR岡崎駅に寄ったら、そこには御大将の松平元康像がありました。

何が何でも、厭離穢土欣求浄土なんですね。

ミスがあったので修正しました。

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刈谷城に登ってきました

2023-01-15 20:33:13 | 城攻め

2022年1月15日刈谷城に行ってきました。

例のごとく下調べ。

徳川家康の実母於大の方の父親の水野忠政によって、築城されたそうです。

水野忠政の死後、水野家は次男水野信元が継承して、織田家と松平家の間に立って、いろいろと駆引きがあったようです。ただし、その信元も信長の指示で、1576年天正4年にあの大樹寺で誅殺されてしまいます。

信元の弟、忠重が刈谷城主になりますが、この人も最期は酒宴の最中に殺されてしまいました。

ちなみにその忠重の不良息子が傾奇者として有名な水野勝成で、勘当されたり諸国を放浪したりして、後に安芸の福山城主になったりします。

更に勝成さんの孫が、暴れん坊として有名な旗本の水野十郎左衛門成之。この人は幡随院長兵衛という町民を殺して後、幕府に反抗的という理由で切腹します。

この水野一族は乱暴者というか傾奇者が多くて、調べるとちょっと面白いです。

刈谷城から離れてしまいました、閑話休題。

車で約1時間でした。亀城公園という名前の通り、ほぼ公園と体育館と、球場になっています。

球場が見えます。

辺りを散策してみましょう。

再整備事業として、櫓を立てる計画がある様ですね、これには期待します。

お~ありました、城址にはこの石碑がないとね。

亀城小学校に向けて歩くと三の丸跡がありました。

不審者として通報されそうですので、早々に去ります。(笑)

刈谷藩の藩校、文礼館の跡地ですって。

うーん、これくらいかな。公園に戻ります。

あったあった、本丸跡です。

後は家族向けの公園になっていますので、隣接した刈谷市歴史博物館を覗いてみます。

入り口は秘密基地感満載。

中は黒で統一されており、こんなにスタイリッシュ。しかも入場料無料です!!

中の展示物はこちらを見て下さい。

 

刈谷市歴史博物館|刈谷市ホームページ

刈谷市ホームページ

刈谷市ホームページ

 

特筆すべきは……こちらのジオラマ。凄い良い出来です。

撮影許可をいただきました。

在りし日の刈谷城です。

本丸付近。

どうやら天守はないようですね。

こちらがいただいた御城印。

では、引き返します、また。

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イエローマジックオーケストラの高橋幸宏さん、お亡くなりに

2023-01-15 19:01:24 | 日記

高橋幸宏さんが70歳の若さで旅立ってしまいました。

哀しいな。

衝撃でしたもんね、YMOは。

トッツクククク(うまく表現できないや)から始まるライディーン、大好きでした。

3人とも超カッコいいです!

今見ても(聞いても)痺れてしまう。

さらば、ユキヒロさん。

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またまた岐阜城に登ってきました

2023-01-09 19:00:07 | 城攻め

2023年1月9日、またまた岐阜城を歩いて登ってきました。

どんだけ行くのでしょうか、私。まあ目的は、お城カードを入手するためなんですけれど。

いつものバスから降りるとこちら。

お手洗いをお借りしたら、休憩所に模型がありました。

麓から結構ありますね。

さていつもの噴水です、これに向かって右折します。

七曲り登山道を登った時と同じ方向へ進みますが、今回は百曲がり登山道に行きたいのです。

地図です。

水手道(めい想の小径)、七曲り登山道と来て、百曲がり登山道の3つめを目指します。

百曲り登山道は七曲りの手前にあります。

他の2つと比べていきなり険しそうです。

視界が遮られてしまいます。

岩肌が結構露出していますね。

うん?上からお姉さんの声が聞こえてきましたよ。

「いるいる、あ~カワイイ」

私のことかなと思って照れていたら、どうも違いました( ;∀;)

リス君、野生のリス君がいたのです、パシャリ!

尻尾が大きいです、分かるかな?

えーコホン!始まったばかりですので進みます。

木製の橋もあります。

岩の連続です。

ふうふう、キツいです。

おや、残り900メートル?まだまだありますねえ。やれやれ。

岩だらけ。

道というより岩を登ってる感じです。

あれ、屏みたいなものが見えます。

ロープウェイの発着音も聞こえますよ、着いたのかな?

階段を登ると、

リス村でした。あの屏はリス村の屏でした!

リス村大繁盛です、そのせいで案内のお姉さんがリスは餌を食べないかもしれませんと必死に説明していました。

ふう、やっぱり約1時間掛かりました。疲れましたので、みたらし団子をいただきます。

ちなみに私はJAVA TEAが大好きです、大塚食品さーん、見てますか(笑)

お団子を食べた後、展望レストラン方面に上がりますが、こちらも列が長くなっています。

その脇からお城方面に向かいますと、唐橋がありました。

進みますとその先には、岐阜城。やっぱりここからの眺めは美しいですね。

リス村のところまで引き返します。ここを下ります。

下りはおよそ30分でしたか。ロープウェイ乗り場の売店でお城カードをゲットです。

でわ、また。

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松平東照宮と松平城に行ってきました

2023-01-09 02:00:24 | 城攻め

2023年1月8日大給城を経て、御城印をいただくために松平東照宮に向かいました。

大給城からざっと5キロくらいです。歩くには大変ですので、引き続き車で向かいます。

でも山道ですので急カーブが続いたりします。

松平東照宮、正確には松平郷のHPはこちら。

松平郷

大河ドラマどうする家康も始まることですし気合い入ってますね!\(^o^)/

さて国道301号を東に走り、松平東照宮の表示が出たので左に曲がります。

駐車場は意外と多いのですが、参拝者も結構たくさんです。これからしばらくは増えるかもしれませんね。

郷の地図。赤いところが現在地ですが、すぐ神社、しばらく行くと高月院というお寺がある様です。

入り口には松平城に行く道がありますが、後にします。

松平氏の家系図です。大給松平の乗元さんが見えますね。

東照宮に近づきます。立派な石垣とお堀ですね。

東照宮です。

鳥居です、一礼して潜ります。

お社です。

お参りして大給城と松平城の御城印をGETします。

うん?産湯の井戸があるそうです、行ってみましょう。

奥まったところにある様ですね。

産湯の由来書きがありました。

石灯籠に嵐がマーキングしています。

井戸はどこかな?

あれ?分からない( ;∀;)

とりあえずまたお参りします。

ああ、これだ、右の赤い扉で守られているところでしょう。

戻ると社に当たります。松平親氏公600年祭だそうで。

あらま、祈禱しなくてもお社に入れるそうです。200円賽銭箱に入れて入らせてもらいました。

天井絵を鑑賞して下さいって書いてます。

天井絵?

はえーこれは美しいです。

宮司さんが出ていらしました。御祈祷されるようですので退散。

東照宮を出ます。

松平東照宮と大給城の位置関係はこれを見て下さい。さて高月院を目指します。

あ、松平親氏さんの銅像です。ワイルドですね。

新田源氏の子孫で諸国を放浪して坊主徳阿弥となり、三河国松平郷に流れ着き、ある後家さんを娶ったのが、松平氏の始まりだとか。

室町塀だそうです、室町期のものでしょうか。

途中の茶店にありました。天下もちを是非食べたかったのですが、14時過ぎにもう閉店です、哀しい。

高月院です。

中に入ると本堂が見えました。

葵の紋はありますが、大樹寺にあった厭離穢土欣求浄土は見当たりません。

親氏さんの墓所があります。

遠くから失礼します。

家康さんお手植えの桜???本当かな?

松平城に向かいます。

歩きながら昔読んだ司馬遼太郎さんの本、中学生の時に読んだ「覇王の家」を思い出しました。

徳川家康を描いた作品ですが、三河に生まれてから小牧長久手の戦いまでが描かれています。その中に松平氏のことが書かれていました。

松平郷は山地であり、米が多く収穫できない。海側の平坦部を目指すのが理である。

うろ覚えですがこの様なことが書いてありました。

奥三河は木曽路程の険しい山ではありません。が、山の中なのです。

やはり美田を求めて山賊の様に押し出していくのも、分かる様な気がしました。

閑話休題。

国道301号沿いの駐車場に移って、下の表示図に従って進みます。

坂道を登っていきます、(*´Д`)はあはあ。一般の住宅もあるんですよ、不思議な感じです。

突然、標識が出ました。

さあ、最後に頑張りますよ。

主郭を目指すのみ!

登ります。

曲輪2です。

もうすぐかな。

あら5分位で到着してしまいました。

始まりの城(?)、松平城です。

東照宮でいただいた御城印。

では戻ります。

上郷SAで買った猫パンメロン味。明日の朝食にします。

でわ。

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