画像追加。 @なかでらまち霊園
by |2007-12-22 14:27:59|
10月27日に行われたなかでらまち霊園でのJAZZライブイベント「お寺でJAZZ」の写真を新たに頂きました。
その中から、メインゲストである'Tommy New Quintet'の、躍動感あふれる演奏の光景をアップしたいと思います。
開演を待つ人々。ロウソクの灯が静かに揺れる。
Tommy(トロンボーン)
中嶋明彦(ベース)
神吉信一(ドラムス)
笹井真紀子(ピアノ)
井上弘道(テナーサックス)
終演直後のステージ。横たわる2本のスティックが、束の間の熱狂の余韻を伝える。
すっかり夜。人々は三々五々帰途に就く。
今回は本堂がステージとなったのですが、屋内に収まりきらないほどのオーディエンスが集まったということです。
来年のイベントもきっと盛り上がるに違いありませんね。
それにしても、お寺という空間で聴く音楽というのは、たとえ同じ人の同じ曲であったとしても、より深く心に沁み入るのではないでしょうか。
その昔、ロシアの旧都サンクトペテルブルグを旅行中に、ふらっと小さな教会を訪れたことがあります。
偶然にもそこではささやかな結婚式が執り行われていました。
出席しているのは新郎新婦とそれぞれの家族、親しい友人が数名ずつといったところでしょうか。
不意に現れた闖入者には目もくれず、永遠の愛を神に誓う夫婦の神妙な面持ち。
これまたささやかな聖歌隊の歌声は、天空を目指しどこまでも高く舞い上がっていく。それは決定的なまでの確信とともに、東洋から迷い込んだ学生たちの、存在の違和とでも言うべきちぐはぐさを、崇高な光で包み込むかのようでした。
クリスチャンではない僕の目にも、神の姿が映じているような気がして。
どんなに素晴らしい録音もかなわないくらいの、それこそ鳥肌が立つような美しさ。
仏教とキリスト教という違いはあれど、その国の文化の基底を形作っているという意味で、西欧世界における教会もやはり人々の心の拠り所なんでしょうね。
そうした特別な「場」の持つ磁力が人を惹きつけ、音楽という表現をより豊饒にするのかもしれません。
その意味でも、今回の「お寺でJAZZ」を体験された方は、幸せですよね。
その中から、メインゲストである'Tommy New Quintet'の、躍動感あふれる演奏の光景をアップしたいと思います。
開演を待つ人々。ロウソクの灯が静かに揺れる。
Tommy(トロンボーン)
中嶋明彦(ベース)
神吉信一(ドラムス)
笹井真紀子(ピアノ)
井上弘道(テナーサックス)
終演直後のステージ。横たわる2本のスティックが、束の間の熱狂の余韻を伝える。
すっかり夜。人々は三々五々帰途に就く。
今回は本堂がステージとなったのですが、屋内に収まりきらないほどのオーディエンスが集まったということです。
来年のイベントもきっと盛り上がるに違いありませんね。
それにしても、お寺という空間で聴く音楽というのは、たとえ同じ人の同じ曲であったとしても、より深く心に沁み入るのではないでしょうか。
その昔、ロシアの旧都サンクトペテルブルグを旅行中に、ふらっと小さな教会を訪れたことがあります。
偶然にもそこではささやかな結婚式が執り行われていました。
出席しているのは新郎新婦とそれぞれの家族、親しい友人が数名ずつといったところでしょうか。
不意に現れた闖入者には目もくれず、永遠の愛を神に誓う夫婦の神妙な面持ち。
これまたささやかな聖歌隊の歌声は、天空を目指しどこまでも高く舞い上がっていく。それは決定的なまでの確信とともに、東洋から迷い込んだ学生たちの、存在の違和とでも言うべきちぐはぐさを、崇高な光で包み込むかのようでした。
クリスチャンではない僕の目にも、神の姿が映じているような気がして。
どんなに素晴らしい録音もかなわないくらいの、それこそ鳥肌が立つような美しさ。
仏教とキリスト教という違いはあれど、その国の文化の基底を形作っているという意味で、西欧世界における教会もやはり人々の心の拠り所なんでしょうね。
そうした特別な「場」の持つ磁力が人を惹きつけ、音楽という表現をより豊饒にするのかもしれません。
その意味でも、今回の「お寺でJAZZ」を体験された方は、幸せですよね。