震災の日。
by |2010-01-18 00:08:39|
1995年1月17日、午前5時46分。
目覚めは、母からの電話でした。
僕は当時東京の大学に通っており、その日阪神淡路地区を襲った地震のことなど知る由もありませんでした。
「地震、地震や」と珍しく昂ぶった声で繰り返す母でしたが、状況を知らない僕としては
「たかが地震くらいで朝っぱらからいちいち電話してくるなよ」という思いが強く、
半分寝惚けていたこともあって「はいはい、そんじゃ」とか何とか言いながら有無を言わせぬ勢いで受話器を置き、すぐさま眠りの世界に舞い戻ったものでした。
再び目覚めたのはそれから数時間ののちのことです。
何の気なしにつけたテレビのスクリーンは、俄かには信じ難い光景を映し出していました。
倒壊した建築物、至るところであがる炎と煙。
都市は一瞬にして廃墟と化し、それはかつてフィルムで観たような、まるで戦場のような、凄惨な世界でした。
歯を磨きながらテレビを観ている自分とスクリーンの中の世界、母からの電話。
それら出鱈目なパズルの断片たちが、日常という穏やかな枠のなかにどうしたら収まってくれるのか、僕には想像もつきませんでした。
嘘やん・・・・・。
今度は僕の方から、豊中にある実家に電話を掛けました。
ところが回線がパンクしているらしく、何度リダイヤルしても一向に繋がる気配を見せません。
朝の電話の声から、家族が一応無事なんだろうということは推察できていたものの、夕方になってようやく電話が繋がるまでは気が気ではありませんでした。
幸い飼っていた犬のロッキーも含めて僕の家族は皆無事でしたが、阪神地区ではたくさんの尊い命が奪われました。
加登の霊園にも、阪神大震災で亡くなった方々のお墓があります。
戦争や事故とは違って誰を責めることも出来ないのでしょうが、
それでもやはり、来るはずの明日が突然なくなってしまった方々のことを思うと胸が痛いです。
心からご冥福をお祈りするとともに、縁あってこの世に生かして頂いている有難さを日々感じながら生きていくことを誓いたいと思います。
ハイチでも大地震があったようですね。
我々も地震国に住む人間として、何か出来ることをしてあげなきゃいけません。
まずは一刻も早い復旧を願いつつ、今日一日を無事過ごせたことに感謝します。
ありがとうございました。
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