(﹡ˆ ˆ﹡)みんなおは…よ
というワケで川っぺりに到着してものの十分もしない内に雨に降られていました。
通り雨だと思ってしばらく木陰で雨宿りをしていましたけれど、どうも止む気配がなく今朝は早々に撤収であります。
そういえば一月があっという間に過ぎ去って、二月も早九日を数えております。
今日はこれ幸いという方向で、遅れに遅れていた「一月のまとめ」を編集することにしました。
一月を振り返って、やはり極端なお天気についていろいろ思うところもありますけれども…やはり私にとって最も感慨深かったのは1/24のアノことになります。
1/23
一羽のイーグレット様(ダイサギ、通称シラサギ)が一羽の猛禽様に喰われました。
そしてその翌日。
故イーグレット様が亡くなったその現場に整列するかのように、いつから集っていたものか…私が来た時は既に七羽のアオサギ様と二羽のイーグレット様が集まっていました。
割と温暖なこちら西日本側であっても冬場の鷺達は、より南方向に「渡る」ようでして、この時期にこのように九羽もの鷺達が一カ所に集まること自体が本当に希なことなのです。
この時、私の頭の中では…
「(偶然、偶然…たまたまだよ、タマタマ…)」
とのおしゃべりが延々と垂れ流されていましたけれども…妄想だとは承知していますけれど、それでも…やはり。
故イーグレット様と生前に縁の有った皆様が、噂を聞き及んだものか、直接見たかして、こうしてこのように夜明け前から自発的に弔いに集ったように思えてなりませんでした。
そして空が虹色の彩りを纏い始めた頃…
イーグレット様はお空の雲になっていました。
もしかしたらこの雲の形が鷺の形に見えるのは、私だけなのかもしれません。
しかしこの雲を見つけてからの私の頭の中のおしゃべりは…
「(グーゼン、グーゼン…タマタマタマタマ…)」
と、ずいぶんか細いものになっていました(笑)。
巷では誰かが亡くなったことを子供達に説明する時などに…
「◯◯さんはね、お空のお星さまになったんだよ」
などと言う方便を、私自身も幾度か聞いたことがあります。
しかし、残念ながら私は誰かが亡くなって出来たというお星さまなどは未だに一度も見たことがありません。
確かなことは、私たちは…生きとし生けるもの全ては、やがて必ず死を迎えます。
それは確かなことなのですが、如何せん今生きている私たちはまだ誰一人として死んだことが無いという事実があります(笑)。
故に私たちは自分自身の死という現実について何ひとつ理解などしていないにも拘わらず、なんだかんだと知らない筈の死について一端の意見と感情を持っています。
特に程度の低い輩共などは実際には何も「分からない」ことをいいことに…
神の名の下に人間を殺しまくる宗教家や、悪霊だの天使だの守護霊やら果ては宇宙人にまでに責任を転換させて利益を貪るスピリチュアル等、等、等…と、無責任な死後の世界を騙り、怒りと欲を撒き散らす不逞の輩が後を絶ちません。
そんな愚かな…最早まともに相手をすることが馬鹿らしくなるほどの言いたい放題やりたい放題が、今この時代をもってしても私たちの世界では依然としてまかり通っています。
また話が大きく逸れてしまいそうなところでしたが…
いわゆる無知とは、私たちの理解を越えて、どれだけ知りたくとも知りようが無いこと全般をも指しています。
こうした死を始めとして生きる上に数多ある「分からないこと」に対して…
安易で、受け取り易く、ついでに慰めになるような耳障りの良い解釈とは昔からとても人気があるのですが。
そのような人気とは多数派の人たちにとって都合がよく、耳目に美しいものに集まっただけで、実際のところそんなものは事実と何の関係も無いただの嘘に過ぎません。
「◯◯はね、お星さまになったの」
これもまた美しく、慰めになる、そしてただそれだけの単なる嘘だと…今までの私は考えていましたけれど…
この日こうして私たちの前に現れた雲を見てしまった私は…
柄にもなく、目ん玉の端っこから何やらぬるい水滴がポロリと頬を伝った夜明けなのでありました(笑)。
よい一日を。
230 拝