人形町を過ぎ、鴻巣宿の石碑を見送ると左側に勝願寺の参道(?)があり山門を見ることができる。参道は古い昭和の面影が感じられます。
境内に入ると桜の木が並び右側に伊奈家の墓所があります。入り口の門扉がやや草臥れているのが気になります。
その奥の並びに仁王門があり、なぜか正面の仁王像はシートで覆われていました。写真は本殿側からのものです。
勝願寺は、徳川家康ゆかりの寺で、家康は何度も鷹狩りに鴻巣を訪れこの勝願寺に立ち寄ったそうです。家康の庇護を受け将軍家の家紋の三つ葉葵の使用を許され、現在でも仁王門などで見ることができます。
境内には人形塚があり、毎年11月14日にこの前で壊れたり飾れなくなった人形を供養する「人形感謝祭」が行われます。きらびやかに着飾った稚児や僧侶の行列が祭り華を添え、多数の露店が並び多くの人がおとずれるそうです。
他にも真田家の小松姫、信重とその室、仙石久秀の墓石が本堂横に並んでいます。
再び中山道に戻り、駅入り口交差点を過ぎると鴻巣宿本陣跡の石碑があります。これも最近設置したものです。
この付近にも昔風の建物があります。
この石碑のすぐ先が鴻神社です。
この神社は、明治6年に氷川社、熊野社、竹之森雷電社を合祀したもので、鴻三社と呼ばれ現在の雷電社の社地に建てられ、その後明治35年から40年にかけて日枝神社、東照宮、大花稲荷社、八幡社を合祀して社号を鴻神社とあらためたものです。
江戸時代に鴻巣宿の総鎮守となっていたのは氷川社です。
境内には、たくさんの境内社と鴻巣の地名となったこうのとり伝説の案内板があります。
次回は吹上方面に向かいます。
境内に入ると桜の木が並び右側に伊奈家の墓所があります。入り口の門扉がやや草臥れているのが気になります。
その奥の並びに仁王門があり、なぜか正面の仁王像はシートで覆われていました。写真は本殿側からのものです。
勝願寺は、徳川家康ゆかりの寺で、家康は何度も鷹狩りに鴻巣を訪れこの勝願寺に立ち寄ったそうです。家康の庇護を受け将軍家の家紋の三つ葉葵の使用を許され、現在でも仁王門などで見ることができます。
境内には人形塚があり、毎年11月14日にこの前で壊れたり飾れなくなった人形を供養する「人形感謝祭」が行われます。きらびやかに着飾った稚児や僧侶の行列が祭り華を添え、多数の露店が並び多くの人がおとずれるそうです。
他にも真田家の小松姫、信重とその室、仙石久秀の墓石が本堂横に並んでいます。
再び中山道に戻り、駅入り口交差点を過ぎると鴻巣宿本陣跡の石碑があります。これも最近設置したものです。
この付近にも昔風の建物があります。
この石碑のすぐ先が鴻神社です。
この神社は、明治6年に氷川社、熊野社、竹之森雷電社を合祀したもので、鴻三社と呼ばれ現在の雷電社の社地に建てられ、その後明治35年から40年にかけて日枝神社、東照宮、大花稲荷社、八幡社を合祀して社号を鴻神社とあらためたものです。
江戸時代に鴻巣宿の総鎮守となっていたのは氷川社です。
境内には、たくさんの境内社と鴻巣の地名となったこうのとり伝説の案内板があります。
次回は吹上方面に向かいます。
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