3月31日(日)で、鳴門市大麻町板東にあるドイツ館で、当店が貸出をしていた電動アシストサイクルの契約が終了しました。ドイツ館とは、四国88番札所、一番の霊山寺の近くにありまして、鳴門観光スポットの一つとなっています。
ドイツ館の事を知らない方もいらっしゃいますので、ドイツ館のホームページから紐ときますとこういうことです。
大正3年、第一次世界大戦に参戦した日本は、ドイツの租借地であった青島を攻撃し、約4,700人のドイツ兵を俘虜として日本各地の収容所に送りました。このうち四国の徳島、丸亀、松山にいた約1,000人が大正6(1917)年から同9(1920)年までのほぼ3年間を、鳴門市大麻町(当時、板野郡板東町)の板東俘虜収容所で過ごすことになりました。この収容所では、松江豊寿所長をはじめとする管理スタッフが、俘虜たちの人権を尊重し、できるかぎり自主的な運営をみとめたため、自由で快適な収容所生活を楽しむことができました。彼らの活動は驚異的で、所内に80軒余りの商店街、レストラン、印刷所、図書館、音楽堂、科学実験室、公園、別荘群などの施設を造るほか、健康保険組合、郵便局などの互助的活動も行いました。また、学習、講演、スポーツ、音楽、演劇など文化活動も盛んで、とりわけ音楽活動では、ベートーヴェンの「交響曲第九番」の国内初演をはじめ、複数のオーケストラや様々な楽団が100回を超える演奏活動を行いました。所外においても、俘虜製作展覧会や各地での演劇、演奏会活動など、ドイツ文化を広く市民に紹介しています。その他、 牧畜、製パン、洋菓子、西洋野菜栽培、建築、スポーツなど様々な技術をもたらし、なかには現在もそれが受け継がれているものもあります。これらのイベントや技術指導によって、俘虜たちは地域社会に受け入れられ、板東の町やその周辺では、地元の人々と日常的に交歓する風景が当たり前のようになりました。ドイツ館は、このようなドイツ兵俘虜と地域の人々との交流を顕彰するため、昭和47(1972)年、元俘虜たちから寄贈された資料を中心に建設されましたが、築後20年をこえて施設の老朽化や収集資料の増加により手狭になってきました。そこで平成5(1993)年、東四国国体のメイン会場の1つが鳴門市となったことを記念して、新ドイツ館の建設が計画され、同年10月13日に現在の地に新築移転されました。
★2010年1月11日~2012年3月31日まで、2年余りの長きに渡り、当店貸出の県下初となる公共機関での電動アシストレンタサイクルをドイツ館で試用的に運用いただきましてありがとうございました。 最初は、一年の契約でしたが、観光客から好評で、引き続き運用したいということで、2年間の長きにわたりご利用いただきました。
2010年の貸出当時の新聞の記事がありましたので、掲載をしておきます。
本当に長い間、地域に貢献できまして、感謝します。次なる新たな、サービスを研究しているのでさらなる提供が出来るように、日々研鑽したいと思います。