これが「ドクターイエロー」の心臓部…“幸せの黄色い新幹線”は50年経っても「神出鬼没」
ドクターイエロー(新幹線電気軌道総合試験車)の電気信号測定車の測定員ら。ハイテクの検査機器が満載されている=名古屋駅-新大阪駅間(柿平博文撮影)
鮮やかな黄色の車体に青いラインを引いた新幹線がある。東海道新幹線が開業した昭和39年から走り続けてきた新幹線電気軌道総合試験車「ドクターイエロー」。レールの歪みや架線の摩耗などを点検する車両だ。「幸せの黄色い新幹線」とも呼ばれ親しまれているが、運転ダイヤは非公開。その心臓部は「機密情報」(JR東海)のため、長らく秘密のベールに包まれてきた。乗客の死傷事故「ゼロ」という世界で最も安全な大量高速輸送機関を陰で支え、10月1日に50年の節目を迎えたドクターイエローの知られざる検測作業に密着した。(大竹直樹)
ママ鉄も興奮、新幹線の「アイドル」
家族連れでにぎわう夏休みの東京駅新幹線ホーム。電光掲示板に表示された文字は「回送」だったが、ホームの端にはカメラを手にした人たちが並んだ。
「もうすぐ来るよ!」
子供を連れた「ママ鉄」たちが叫ぶ。ヘッドライトの明かりとともに真っ黄色の車体が現れると、ホームに歓声が響いた。
923形。新幹線開業前の試験車1000形を改造した初代から数えて3世代目のドクターイエローだ。700系をベースに製造された7両編成。JR東海はダイヤを公開していないが“追っかけ”も存在する。
カメラのシャッターを切っていた川崎市の「ママ鉄」、松島恵子さん(36)は「ジャニーズの『嵐』。それくらいのアイドル!」と興奮冷めやらない様子だ。
通常の16両編成の700系はパンタグラフが1編成に2台しかないが、ドクターイエローには4台ある。このうち2台が測定用パンタグラフだ。
流線形の先頭部も通常の700系とはやや異なる。前照灯の間に前方を監視するためのカメラが設けられているのだ。ヘッドライトも通常の新幹線より明るいといい、夜間やトンネル内でも線路の状態を確認できるようになっている。
側面の印象も大きく異なる。窓が少ないのだ。2号車にいたっては片側にたった4カ所。なるほど、謎多き車両であることは間違いなさそうだ。
ベールに包まれた車内
ドクターイエローは10日に1回程度、「のぞみ」と同じ停車駅に止まりながら東京-博多間を最高時速270キロで走行。「こだま」のダイヤでも2~3カ月に1回走行している。
日に323本の列車が秒単位で行き交い、年間の平均遅延時間は0・9分という東海道新幹線の過密ダイヤに影響しないよう、高速走行しながら軌道や架線を監視、検測しているのだ。
その精度は、25センチごとに1ミリ単位のレールの歪みなどを検測できるほど。時速270キロという高速走行を続けながら、である。
最後尾の7号車から車内に乗り込んだ。5人がけの座席が10列並ぶ「添乗室」だ。ただ、指定券が発売されることはないから座席番号は振られていない。関係者向けのレクチャーなどが行われるといい、大型のモニターも設置されている。
通常、7人の検測員と運転士と車掌の計9人が乗っている。車内放送はなく、知らない間に静かに動き出していた。窓のカーテンがすべて下ろされており、外の様子をうかがうことはできない。
6号車はがらんどう
太い電気ケーブルや通信ケーブルがむき出しになっている貫通路を抜け6号車に入ると、がらんどうの空間が広がっていた。災害や事故が発生した際、救援の資材を積めるようスペースを空けているのだという。
奥にあるのは無人の「高圧室」だ。窓からのぞくと大きな碍子(がいし)が見え、電気系統の測定機器が並んでいた。屋根の上には測定用のパンタグラフがあり、架線の電流などに異常がないかデータを取っている。
6号車には一風変わったものも。3、4、6号車にそれぞれミーティングルームがあるが、6号車のミーティングルームは特別で、ソファとテーブルを備えている。来賓対応などで使っているのだという。
休憩室のある5号車を通り抜け、4号車へと進むと、床面が1段高くなっていることに気付いた。高くなっているのは、床下にレーザーを照射する設備があるためだ。アルミ製の車体がわずかにたわんでも、1ミリ単位の測定値に影響を与える。そのため、レーザービームを車両の端から端へ照射し、測定する際の基準線としているのだという。
通常の台車とは形状も異なるようだが、残念ながら走行する車内から確認することはできなかった。
縁の下の力持ち
「軌道検測車」と呼ばれる車内では、壁一面に並んだモニターを4人の検測員が凝視していた。軌道の状態を示す「マヤチャート」と呼ばれる波形を見ながら基準値を超える値がないかチェックしているのだ。
「マヤ」とは検測用の事業用車に付けられた形式名。鉄道関係者の間で「マヤ」と言えば、南米の古代文明ではなく、この検測車両を指すという。
車内には、観測地点の距離と速度を淡々と読み上げる女性の合成音が響く。モニターの一つには、先頭部の前方監視カメラで撮影された映像がリアルタイムで流れていた。すべて録画され、基準値を超える値があった場合などに、映像を巻き戻して確認できるようになっているのだそうだ。
担当者の一人が「基準値を超える値が検測された場合、車上システムから即座に新幹線総合指令所に伝送されます」と胸を張った。
東海道・山陽新幹線の運行管理をしている東京の総合指令所に、沿線に張りめぐらされたケーブルを介して自動的に伝送される仕組みなのだという。情報は保線現場にもたらされ、夜の保線作業に活用される。
JR東海新幹線鉄道事業本部施設部保線課の北田悟係長(30)は「安全は最優先。そのためには日々検査を繰り返し、必要な処置を期を逃さず正確に行う。一切の妥協は許されません」と語り、こう続けた。
「保線業務はお客さまの目に触れることは少ないが、鉄道を支える縁の下の力持ちなんです。お客さまの命を守っているということに誇りを感じています」
屋根上の展望スペース
3号車に踏み入れると、屋根の上に突き出た“展望スペース”が目に飛び込んできた。もちろん眺望を楽しむためのものではない。
8段ほどの階段を上がると、天窓からパンタグラフに向かってカメラが設置されていた。「観測ドーム」と呼ばれる。窓をのぞき込み思わず息をのんだ。
猛スピードですれ違う新幹線の屋根が眼下に見えた。線路両脇の景色を一望できる。こんな“車窓”を眺めたのは初めてだった。
新幹線鉄道事業本部電気部電力課の阿部広喜係長(45)が「あそこに針が見えますか」と指差した。測定用のパンタグラフの両端に針のようなものが上を向いて付けられている。支障物があった場合は針と接触することで異常を検知できるのだという。ドクターイエローは想像もつかない検査設備にあふれている。
まるで「宇宙船」
1号車の車内はホワイトグレーで統一され、近未来的なデザイン。映画で見た「ディスカバリー号」の内装を思い出した。映画「2001年宇宙の旅」の有人往還飛行の宇宙船だ。
車両の中央に整然とモニターが一列に並ぶ。「電気関係測定台」といい、架線の電流や列車の速度を制御する保安装置「自動列車制御装置」(ATC)の電気信号をチェックしている。
東京駅を出発して約2時間半。ハイテクの検査機器を満載した幸せの黄色い新幹線が、「ママ鉄」や子供たちが待ち受ける新大阪駅に滑り込んだ。滋賀県野洲市から2人の子供を連れて見に来た新(あたらし)利恵さん(30)が「幸せになれるといいな」と笑みを見せた。
未明の架線張り替え
約3千人。東海道新幹線の列車が運転されない午前0~6時の間、毎日点検や保守に当たっている作業員の数だ。
午前1時すぎ。新大阪駅(大阪市淀川区)に近い高架橋の上に、見慣れない保守用車両が現れた。ドクターイエローの検測で架線の摩耗箇所が見つかると、作業員が手作業で詳細な測定を行い、架線の交換時期を見極めるのだという。
交換時期は場所によって1年から10年とさまざま。新幹線鉄道事業本部電力課の安藤元(はじめ)担当課長(56)は「ドクターイエローで摩耗箇所を絞った後は、人力でより精度を高める」と話す。この日は摩耗箇所を含む全長約1キロの架線を交換するといい、作業員が保守用車両の上で張り替え作業を続けた。
設備の故障を未然に防ぐ「予防保全」。この考え方に基づき、新幹線の安全はこれまで50年間、保たれてきた。安藤担当課長が架線を見上げてつぶやいた。
「最後はわれわれが50年間培ってきた経験と判断が重要。プレッシャーもあるが、やりがいもあります」