日本人はなぜ捏造(ねつぞう)を信じたのか
田舎の貧しい朝鮮の親たちは日本語を話せないのですから。私の母親は一応、両班(特権身分の階級)の出ですが、『女に学問は不要』といった当時の朝鮮ですから、日本語を話せないだけでなく、ハングルの文字も読めませんでした
父は小学校から大学まで日本語教育を受けていますし、朝鮮殖産銀行に勤めていましたから日本人と変わりなく話しました
本当にばかげた話なのですけど、自殺をした廬武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の下で親日財産没収法が決まって、朝鮮総督府が設立した朝鮮殖産銀行に亡くなった父が勤めていたことで、私たちは親日(という扱い)となっていたのです。それで長女の私に統治時代に築いた財産を没収するって手紙がきたのですよ
このために韓国政府は特別機関を作って、全世界に散らばっている親日といわれる子孫を探し出すのですから。こんな愚かな手紙を出すお金があれば、北朝鮮への防衛費に使ったら良いのです
あの慰安婦像だってそうですよ。どう見たって12、13歳の少女です。そんな歳で慰安婦なんてあり得ません。日本人が怒れば怒るほど彼らは喜ぶんです。ほっとけば、今にほこりを被りますよ
いろいろな話を聞かせてくれるHさんに私が「韓国の話をするときには、『ばか』の言葉がたくさん出てきますね」と語りかけると、「だって本当のことを言えば、親日と責める国ですもの。ばかばかしい…」と真面目に答えるのが印象的だった
私が彼女にしてあげられなかった唯一の心残りは、彼女が日本統治時代に教えを受けた日本人教師の家族を探せなかったことだ
終戦で日本人教員が引き上げる前日、学校の講堂に集まった女生徒たちに、先生1人ひとりが別れのあいさつをしたという
最後に、彼女が最も尊敬をする男性教師は「立派な朝鮮女子たれ!」と大きく涙声で言ったそうだ
果たして期待に沿える朝鮮女子になれたのかどうか分かりませんが、せめて先生のご家族に、あの時の立派な言葉を伝えたいものですとHさんから聞いていたからだ
新田多美子(Tamiko Arata) 大分県津久見市生まれ。72歳。1983年に米ボストンに移住
産経新聞
挺身隊になれることを楽しみにしていた
15歳になれば女子挺身隊に入れるからですよ。だって、戦争末期には、お国のためと、学校の授業もほとんどなくって雲母を一枚一枚剥がす仕事ばかりさせられていました
さぁ、子供ですから考えたこともなく、言われるがまましていましたけど、何でも飛行機の電気関係とか聞いたことがあります
でもですよ、慰安婦にさせられるのでしたら、私たち(上流階級の子女らが集まった)淑明女学校の女子は、あのように挺身隊に憧れませんよ
吉田清治って、希代の嘘つきですよ。作り話に乗せられて、済州島では200人余りの若い女性たちを暴力でトラックに積み込み慰安婦にさせたと書いた日本のA新聞社もどうかしていますよ
その記事のせいで(間違った情報が)世界に広まったのでしょう?。そんなことがあったら、朝鮮の男たちは黙ってみていませんよ
特に済州島の男たちは荒いのですから、命をかけて戦いますよ。A新聞は、大スクープ!と飛びついたのでしょうけど、ジャーナリストたるもの、記事にする前に冷静に調査しなければいけません。本人の素性も調べていないようですね。ばかげた話です
慰安婦は、今の世の中を基準にして考えてはいけません。あの時代は、人権なんてありませんよ。特に女性は。日本だって金のため親は娘を売りました。当時は、それが悪ではなかったのです。村々を回って親から娘を買っていた女衒(ぜげん)は朝鮮人だったのですよ
産経新聞
韓国才女「親日を責める国、ばかばかしい」「吉田証言のようなことがあったら朝鮮の男は黙ってみていない」
私は米ボストンに住む韓国人の友が何人かいる。
彼らは日本統治時代に、ある年齢まで日本語教育を受けているので日本語ができる。皆85歳以上ながら、朝鮮戦争後、韓国最高峰のソウル大学を卒業して、学問のため米国留学をした
去年の夏、85歳で亡くなったHさんは日本の文化、文学をこよなく愛し、日本各地を訪れ、就眠前はベッドで百人一首を読むことを常としていた
彼女が受けた日本語教育は、終戦の12歳で終わっていても、きれいな昔の日本語だった
ソウル大学を卒業した後、米国の大学院で生物化学を修めた才媛。頭脳明晰(めいせき)とは、彼女そのものだった
慰安婦問題に関しても、彼女は、自分の人生経験を基にして怜悧(れいり)に韓国を見つめ、このように話をしていた
産経新聞
浜矩子同志社大教授 安倍首相への殺意を吐露
ロシア各地でプーチン大統領に抗議
森友リークの山本真千子大阪地検特捜部長
安倍倒閣に深く関与していたと週刊誌が暴露
積極攻勢に出る予定だった模様
日本の科学技術 「競争力低下」8割 若手研究者調査
日本の研究現場が活力を失いつつある。日本経済新聞が連載企画「ニッポンの革新力」の一環で20~40代の研究者141人を対象に実施したアンケートで、8割が「日本の科学技術の競争力が低下した」と回答した。不安定な雇用や予算の制約で短期的な成果を求められることを疑問視する声が目立った。世界をリードする業績は若手時代に生まれるケースが多く、イノベーションの土台が揺らいでいる現実が浮かび上がった
研究開発で先行する米国やそれを激しく追い上げる中国の存在感が高まるなか、アンケートでは若手研究者の強い危機感が明らかになった。日本の科学技術の競争力について、「低下したと思う」(38.3%)と「どちらかというと低下したと思う」(39.7%)を合わせると約8割が地盤沈下が進んでいるとの認識を示した
若手の意識はデータでも裏付けられている。日本の科学技術論文がピークを迎えたのは2000年代前半。この時点で独創性が高いとされる質の高い論文数は米英独に次ぐ4番手につけていたが、直近のデータがある13~15年は中仏に抜かれて9番手まで落ちている
研究者にとって40代までにどれだけ独創的な成果を挙げられるかどうかが重要になる。文部科学省によると、戦後に科学技術分野でノーベル賞を受賞した研究者のうち、半数以上が40歳までの業績が受賞につながった。00年以降に受賞ラッシュとなった日本人研究者も例外ではない
総務省によると、16年度の科学技術研究費は18兆4326億円で前年度に比べて2.7%減った。米中に次ぐ世界で3位の水準だが、金額は2年連続で減少している。国の予算の制約もあり、研究開発費は当面大きな伸びは見込めない。世界と競い合うべき若手の危機感は日本のイノベーション力の衰えを映し出している
調査は未来技術推進協会(東京・港)と日本ロボット学会(東京・文京)の協力を得てインターネットを通じて実施した。3月23日~4月19日に141人が答えた。
回答者は30代(61.7%)が最多で、40代(21.3%)、20代(17%)と続いた。所属の内訳は大学(56.7%)、民間企業(29.1%)、研究機関(13.5%)、公益財団法人(0.7%)。
最終学歴は博士(59.4%)が最も多く、修士(33.3%)、学士(7.2%)が続いた。学生時代の研究分野は工学(50.4%)、理学(21.3%)、保健・医学(12.8%)、農学(9.2%)、社会(4.3%)、その他(2.1%)の順
反日デモが決して起きない中国都市があった!
「今まで習ったこととは全く違っていた」
写真でわかる日本統治の真実の姿
世界で唯一日本だけが〇〇を持っているからだ