・時をかける老人
昨夜は、「鉄道事故現場」の夢を見た。
その時、私は家からそう遠くない高台から
町の方に向かって、
緩やかな下り坂になった通りに佇んでいた。
そして、
通りに沿って通っている軽便鉄道の線路の上を、
蒸気機関車が、
町の方に向かって走って来るのを眺めていた。
その蒸気機関車は、
私の目の前まで走ってきた時、突然、
線路上の障害物か何かに衝突して脱線大破した。
昼下がりの通りは、忽ち大勢の人だかりが出来て
騒然とした混雑になった。
「大変な事になりましたねぇ」
私の横にいた鳥打帽の男が声を掛けて来た。
私は男が着た、
ツイードの上着のポケットから
はみ出た新聞の日付に目を止めた。
新聞の日付が『大正8年?月?日』
(月日覚えていない)
となっているのを見て、
「あの機関車は、
これから50年以上も放置されるのですよ。
子供の頃、
残骸が未だ道路脇に残ってましたから」
と、私はその男に言った。
そう今!!私は大正8年?月?日に起きた、
鉄道事故現場にタイムトラベルしているのだ!!
子供の頃、
その周辺は田畑が広がり、
未舗装の道路わきの草むらの中に、
大きな歯車の様な物の破片やら、
何やらの残骸が放置されているのを見た・・・、
記憶が・・・、
いやいや、それは違う!
目が覚めた時
置き換わりそうになっている記憶を、
私は振り払った。
あの場所には、
今も昔も鉄道なんて存在していない。
子供の頃、
「道路脇に長く放置された機関車の残骸を見た」
という事実なんてない。
しかし、
この様な現実の事実とは違う夢によって、
記憶が上書きされ記憶が、
曖昧になることは時々ある様だ。
そして、
その様な事は私だけではない様だ。
というのも、
「あれは夢だったかも」だとか、
「夢でも見たのかな」ということは、
今まで私は幾度も体験したし、
人の口からも聞いたことがあるからだ。
しかしそうなると人の、
過去の記憶なんて全く曖昧なものばかりになって、
嫌な思い出や悪い思い出も、そして良い思い出も、
「あれは本当にあった出来事なんだろうか」
という風になてしまう。
それなら過去を振り返ってまで、
「ああだ、こうだ」と悩んだり、
後悔したりする必要はないのだろうか。
↑↑ところで上の画像は、
夢に出て来たのと同じ様な機関車で、
ネット上かどこかにあった画像を元に、
私がトレースした物だが、
真ん中の歯車が前後車輪に付いた歯車と、
噛み合っている様に見える。
しかし、
もしそうなら前後の車輪は反対方向に回り、
機関車は前にも後ろにも、
動かないような気がするのだが??
如何せん私はメカにも弱いし、
元画像が小さくて詳細がよく分からない。