『光る君へ』、第一話を観た限りでは悪くはないと思うんですけれどねぇ。
あからさまにターゲットを絞ったのがよろしくないかもしれません。
平安時代、道長の幼少期の再現としては中々リアリティを感じさせる出来だったかと。徹底的にリアルを追求すると『平清盛』の初期の頃になって絵面が汚くなりすぎるので、あれくらいが良いのかもしれません。
藤原為時邸と東三条殿=藤原兼家邸の違いが、受領階層(中級貴族)と摂関家の格差をうまく表現していたと思います。
「慶事の雨は吉兆と言いふらせ」という兼家のセリフに、吉凶を気にする平安貴族の常識を逆手に取って政局を動かそうとする意図を感じました。現代的解釈かもしれませんが、150年ほど後に清盛が山法師共の担ぎ出した日枝神社の神輿に矢を射掛けた故事に通じるものがあるように思います。
道兼の凶行について賛否あるようですが、父親の兼家が上記のような姿勢であることの影響を受け、かつ下々の者には何をやっても良いと思っている当人の態度からすれば、フィクションとして許容範囲内ではないかと。
いや平安貴族は死の穢れを徹底的に嫌うはず、という意見も否定はできないのですが、平安中期にあたるこの時代でも鷹狩は天皇や摂関家によって行われているので、どこまで穢れについて神経を使っていたのかの解釈次第でしょう。
願わくば、丁寧な演出と映像づくりを心がけてほしいものです。