命はつながってるんだね

2019年10月03日 09時03分00秒 | 日記
りょうちゃんは毎朝、小学校に登校すると、朝顔に水やりをする。

最近、「死んだらどうなるのか?」なんていうことを考えて不安になっているせいか、

「朝顔の水やりに下りてくるから、少しだけ下で待ってて」

というので、時間を決めて待つことにした。

一昨日も下で待っていると、りょうちゃんが慌てて下りてきた。私の顔を見て安心したように笑顔になり、朝顔のところからペットボトルの水やり用の入れ物を取って水を汲みに行き、戻って来て水やりをしながら、朝顔を改めて観察した。

もうそろそろ終わりの頃で、りょうちゃんの朝顔は、ツルが1本だけまだ緑だけど、あとは茶色くカラカラになっている。
種をまだ取ってないところがあったので、「ここに種が残ってるよ」と教えると、りょうちゃんが、

「ママ、朝顔は永遠に生きるね‼️ だって、この種をまた来年撒いたら、また朝顔が咲くんだから。命はつながってるんだね😄」と言った。

正直、ママはかなり感動して、胸がいっぱいになった。

そう、命はつながってる。りょうちゃんの中にも、ママの中にも、ずーっと前の、顔も名前も知らないご先祖様から受け継いだ命が、ちゃんとつながってるんだ。
命がなぜ尊いか。それは、過去から現在に渡って紡いできたものだから。決して、生まれてからの時間だけがその人の命じゃないから。そして、自分の命は、未来にもつながるものだから。りょうちゃんが、いつか子どもを作れば、ママの命も、りょうちゃんの命も、その先の未来へとつながっていく。りょうちゃんに孫が生まれれば、さらに先の未来につながる。その時に自分がこの世にいなくても、命は確実に受け継がれていく。それこそが、命の重みだと思う。

逆に言えば、事故や事件で人の命を奪うことの罪深さは、過去から現在、そして、未来へとつながるはずだったものを、断ち切ってしまうものだから。過去からつながってきた命と、未来に生まれるはずだった無限の可能性も全て、奪われてしまうことになる。

時間がなかったから、そこまでの話はできなかったけど、いつかのんびりしている時に、その話をしてみよう。

子どもって、知識は大人ほどはないのに、時々、まさに真理を突いてくることがある。何かを感じ取る心は大人よりはるかに優れてて、本当にすごいなぁと感心する。きっと私が思っていることは、言葉にはしなくても(あるいはできなくても)、りょうちゃんの心は、きっと理解しているだろう。

子育てって大変なことも多いけど、子どもに気づかせてもらうことや、子どもからもらう感動、喜びや、楽しさ、そういうものの方がはるかに多い。本当に、有り難いことだね。
でも、子どもが1人だけだと、子育てなんて、あっという間に終わっちゃうんだろうなぁ。だって、気づけばもう、7歳になっちゃった。だからこそ、いま、一緒にできることは、なんでもしたいなぁと思う。2人、3人育てたくらいの経験を、りょうちゃんと一緒にたくさんできたらなぁと思う。