1964年夏から
1971年頃までの六、七年間
父親の故郷である
愛媛へ何度も旅しました
長い時には
数週間滞在してまさに十代の後半
竜宮城のような人生を満喫させて頂きました
1971年頃までの六、七年間
父親の故郷である
愛媛へ何度も旅しました
長い時には
数週間滞在してまさに十代の後半
竜宮城のような人生を満喫させて頂きました
その時の模様は
8mmフィルムに数十分残してありまして
DVテープに変換してもらったアト
DV-7Rで編集して作品として残してあります
8mmフィルムに数十分残してありまして
DVテープに変換してもらったアト
DV-7Rで編集して作品として残してあります
その話については
語ると止まりませんので
今回は
今回は
当時の音声記録についての事です
8mm撮影機は音声録音は出来ませんでしたので
プロやマニアの方は
ソニーの”デンスケ”とかで

現場録音していたと思います
8mm撮影機は音声録音は出来ませんでしたので
プロやマニアの方は
ソニーの”デンスケ”とかで

現場録音していたと思います
わたしは
オープンデッキを田舎に持ち込んで
叔父や叔母の座談会を録音
オープンデッキを田舎に持ち込んで
叔父や叔母の座談会を録音
今も保存してあります

導入部↑ 数枚の画像を映しながらメインテーマへ

佐田岬へ向かう甲板にて

佐田岬灯台です 1964年

現在の様に
映像も音声も撮れて当り前な時代であれば
当時の
列車の車内放送や駅での音声
宇高連絡船の状況
現地音などを残せていたら
今のノンリニア編集の環境であれば
「鬼に金棒」
いい時代に優れた撮影編集機器とくれば
大いに腕がなるでしょうが
時代が少なからず
ずれてしまって
映像も音声も撮れて当り前な時代であれば
当時の
列車の車内放送や駅での音声
宇高連絡船の状況
現地音などを残せていたら
今のノンリニア編集の環境であれば
「鬼に金棒」
いい時代に優れた撮影編集機器とくれば
大いに腕がなるでしょうが
時代が少なからず
ずれてしまって
腕が鳴らずに”お腹”が鳴っています 
