日本海に長く突き出した島根半島で荒波を遮り、いつも穏やかな美保湾も、この日ばかりは様相を一変し、強風にあおられた高波が小山のように沖合から次々と押し寄せていた。
首をすくめ、前屈みになって歩く清左衛門の身体に、波止場で砕け散った波しぶきが容赦なく襲いかり、彼は海沿いの道を避け、山手側の小路に入った。
暴風雨は商家と切り立った裏山に遮られ幾分弱まり、彼は半町ほど歩いて美保神社の鳥居の前に出た。
美保神社は、事代主神、美穂津姫命をご祭神とし、漁業、海運、商業、歌舞音曲にご利益のあるお宮として多くの参拝者を集めていた。
大社造りで、重厚な二重の本殿を備え、えびす様を祀る全国各地の三千三百八十五社の総本社でもある。
彼は鳥居の前に立つと、目を閉じ深々と頭を下げ、二礼、二柏手、一礼すると、本殿に向かって美保丸の無事を祈願した。
関の港町は、三日月形の狭隘な土地のすぐ裏に、切り立った山が迫り、その僅かな土地の間に、海沿いの岸壁に沿って延びる道と、商家や旅館などがひしめくように軒を並べる青石畳通りの二本に道があった。
彼は参拝を済ませると海沿いの道を避け青石畳通りの道に入った。
普段は人で賑わう青石畳通りの家々も、この日ばかりは固く雨戸を閉ざし、通りには人影はもとより、猫一匹の姿も見当たらなかった。
彼は仏谷寺に上る道を過ぎ、町はずれの港の東端、海沿いの砂利道まで来た時、突然の強風に蓑や菅笠があおられた。
彼は立ち竦み、咄嗟に美保湾に目をやった。
沖合から次々に押し寄せる黒い波は、まるで、地獄から湧き出すマグマの塊のように映り、清左衛門は不安にいっそう掻き立てられた。
彼はその場でしばらく立ち止まり、菅笠の紐を固く結び直し改めて身支度を整えると、山の上に大国主命が祀られている客人神社(まろうど)神社の鳥居をくぐって石段を登って行った。
清左衛門は店の中を見渡して奉公人たちを一瞥し、土間に降りると固く閉ざされた雨戸の突かい棒をはずして戸を開けた。
”ビュー” 凄まじい風が店に吹き込んだ。
彼は雨戸をつかんでかろうじて体を支えると、僅かに開けた、戸の隙間から外に目をやった。
一瞬、彼は砂嵐のような雨粒に襲われて目を閉じた。
目を細めて海を見ると、防波堤で砕けた波が、高潮となって岸壁を越え、波止場から二十間ほど奥に建つ坂江屋の店先まで迫っていた。
晩秋の空は風雨に遮られて、夕暮れのように暗くなっていた。
彼は叩きつけてくる雨に耐えながら、荒海を凝視して大きく溜息を吐いた。
「 うーん」
彼の着物はびしょ濡れになり、恨めしそうに沖合を見詰める顔からは、みるみる内に血の気が引き、呆然と立ちすくんでいた。
しばらくして気を取り戻した彼は、気力をふり絞って板戸を閉めると、辰吉や奉公人には目もくれず、店の土間から母屋に通じる廊下を雨で濡らしながら中庭を抜けて母屋に返った。
びしょ濡れになった清左衛門の着物姿を見て、妻の糸は慌てた様子で清左衛門に言った。
「どうされたんですか?早く着替えてください!」
清左衛門は糸が出した手拭いで、濡れた頭や顔、体などを拭いて、着物を着替えると、糸は濡れた着物を持って外に出て行った。
清左衛門は、糸の姿が消えるのを確かめると仏間へと入って行った。
彼は位牌の前に座ると、瞑想しながら手を合わせて焼香を済ませると、居住まいを整えて糸を呼んだ。
糸が心配そうに仏間に入り、彼の前に正座した。
「糸、お前も知っている通り、美保丸は今日か明日には帰ってくるはずになっていた。しかし、この大時化。どこかの港に避難していてくれればいいのだが、今も航行しているようだと難波しても不思議ではない。わしは、万一のことを考えると、ここでじっとはしては居られない。そこで、今から地蔵崎まで海の様子を見に行こうと思っている。辰吉や奉公人に言うと心配するだけだから黙って行かせてくれないか」
糸は顔をこうばらせて清左衛門に擦り寄ってきた。
「お前さん、なにを言うんです。この大時化の中、地蔵御崎に行くなんて、命を捨てに行くようなものですよ!」
「そんな悠長なことを言っている場合ではない、わしが地蔵埼に行って、沖之御前、地之御前に鎮座される事代主命に命を賭し、美保丸の無事をお祈りしてこそ願いが叶うというもの。わしは無事に帰ってくる。何も言わずに行かせてくれ。頼む」
糸は崩れるように膝を落とすと、彼を見上げ、必死に思い止まらせようとすがりついてきた。
「糸、もういい。わしは坂江屋の主人だ。わしの命に代えても、船頭や舟子の命を守る責任がある。地蔵御崎に行く支度を頼む」
清左衛門は菅笠に蓑を身に着け、脚絆を巻くと手にカンテラを持って、心配そうに見送る糸の視線を背に受けながら、裏木戸を開けると、荒れ狂う風雨の中を地蔵御崎に向かって歩き始めた。
ライオンが鬣をなびかせるかのように、沖合から押し寄せる波は、港を囲んだ防波堤の大岩で砕け散ると、仕掛け花火のように四方八方に飛び散り、潮煙となって港を覆った。
近くの漁師は、荒れ狂う大波にもまれ、木の葉のように浮きしずみする舟を、必死で操り先を争うように港に入ってくる。
突風を伴って降りつける大粒の雨は、坂江屋にも容赦なく襲いかかってきた。
「おぉぉい、急げ、急げ、急いで雨戸を下ろせ!」
辰吉は奉公人に向かって叫んだ。
美保丸の受け入れ準備済ませ、くつろいでいた奉公人たちは、一斉に外に飛び出すと、暴風雨にさらされながら戸締りにかかった。
雨戸が閉まると、店の中は一瞬、夕暮れのような暗がりになり、びしょ濡れになった奉公人たちがドブネズミのように土間に集まって震えていた。
吹きつける雨は、小石のように雨戸を叩き、薄暗い店の中に不気味に鳴り響き、奉公人の誰一人として口を開くものはいない。
辰吉は女中に蝋燭を灯すように命じた。
数本の燭台に蝋燭が灯ると、うす橙色のユラユラと揺れる明かりが店の中に広がった。
夕暮れのような暗がりの中で帳場に座り、目を閉じ、腕組みをして瞑想していた清左衛門が、蝋燭の灯かりに誘われるように立ち上がると、奉公人たちの視線は一斉に清左衛門に注がれた。
辰吉は清左衛門の傍らに近づくと、清左衛門の心中を斟酌したかのように
「旦那さま、心配することはありません。美保丸はきっと無事に帰って来ます」
奉公人たちの不安をも、吹き飛ばすような力強い声で叫んだ。
しかし、半時がたち、一時(二時間)が過ぎても、雨戸をたたく雨音は一向に治まらず、さらに強くなるばかりだった。
奉公人たちは、辰吉の言葉とは裏腹に、固く口を閉ざし、店の中にはお通夜のような重い空気が漂いはじめていった。
清左衛門たちが店に帰ると、丁稚が竹箒で店の前の石畳を、手代たちは土間の格子戸や板敷の床の掃除をしいていた。
「お帰りなさいませ、お帰りなさいませ」
奉公人たちは清左衛門の姿を見ると元気な声で叫んだ。
「おはよう、おはよう」
清左衛門は、奉公人一人ひとりの顔色を確かめると店に入り、いつものように帳場に座って売上帳に目を通していると
「旦那さま、奉公人たちが全員そろいました」
と、辰吉が呼びに来た。
清左衛門が暖簾をくぐって台所の板の間に入ると、奉公人たちがコの字に並べられた箱膳を前にして、当主の清左衛門と辰吉が席に着くのを待っていた。
この港町の大店では、丁稚が主人と朝食の膳を共にする習慣は殆どなかった。
しかし、彦左衛門が当主の座につくと、真っ先に、朝食の膳を奉公人と共にするよう改めた。
清左衛門も彦左衛門の改めた慣わしを引き継いでいた。
「おはようございます。」
清左衛門が席に着くと、奉公人たちは一斉に”おはようございます”と口をそろえて言った。
「おはよう、……」
清左衛門は奉公人を見渡すと簡単な訓示を行った。
そして、次に辰吉が立ち、今日、一日の仕事の段取りについて話した。
「北国に商いに行っていた美保丸が、今日か明日の昼の内には帰ってきそうだ。美保丸が着くと、荷揚から物資の仕分け、蔵への運び込みななどで戦場のような忙しさになると思う。いつ帰ってきてもいいように昼の内までには、受け入れの段取りを整えておきたいと思う……」
美保丸が帰ってくる。
薄々は知らされていた奉公人たちも、辰吉の一言で色めき立った。
奉公人たちは早々に朝食を切りあげると、達吉の指示の下、美保丸の帰港に備えた準備を始めた。
ようやく受け入れ準備も整い、奉公人たちがくつろいでいた昼過ぎのこと。
突然、灰色の雲が西の空から湧き出した。
雲は大粒の雨と雷鳴を轟かせ、瞬く間に、中海から弓ヶ浜半島そして美保湾の上空に迫ると、関の港を鉛の絨毯を敷きつめたような雲で覆い、突風とともに関の港町に襲いかかってきた。
カランコロン、カランコロン、静かな青石畳通りの敷石を、リズムでも奏でるようにわざとらしく弾く下駄の音が近づいて清左衛門の着物の裾を揺らした。
「お父さま、お母さまが朝餉の準備ができましたよって」
清左衛門が振り向くと、六歳になる舞が、フランス人形のような大きな瞳を輝かせ、頬を赤く染めた二歳になったばかりの雛と手をつないですがりついてきた。
清左衛門は雛の手を取って両脇を抱えると”たかいたかい、たかいたかい”をするような仕草で肩にのせ、小さく柔らかな足首を淡雪でも包み込むように優しく支えた。
そして、舞の清左衛門の腰のあたりまでしかない体を、着物の裾に包む込むようにして明るくなっていく美保湾を眺めた。
天使のように無邪気にはしゃぐ雛の爽やかな重さを肩にか感じながら、清左衛門は銀線ような光が降り注ぎ、魚鱗のように輝く沖合に目をやり幸福感に慕った。
そんな清左衛門の姿を見つめる辰吉の目に涙が浮かんでいた。
「旦那さま、そろそろ店に帰りましょうか?」
清左衛門は辰吉に促されると、一瞬の夢から覚めたかのような顔をして、雛を肩車し、左右に揺らしながら歩き出した。
町の商店が軒を連ねる青石畳通りまで帰ってきたとき、清左衛門の下駄の歯が敷石の割れ目に挟まり、プッと鼻緒が切れた。
清左衛門はバランスを失い、雛を肩車したまま敷石にもんどりうって倒れそうになった。
「危ない!」
清左衛門が前のめりになって倒れそうになったわずかな隙間に、辰吉は仰向けになりながら咄嗟に身を投げ出した。
間一髪、清左衛門は雛を支えたまま、辰吉の体の上におおいかぶさるように倒れ込んだ。
「旦那さま、旦那さま、お怪我は、お怪我はありませんか。お嬢さまは」
辰吉は清左衛門と雛の下敷きのなりながらも、わずかに首をもたげ呻くように叫んだ。
舞も咄嗟の出来事に放心状態になって、その場にしゃがみ込んでしまった。
「お父さま、お父さま、雛、雛、だいじょうぶ、だいじょうぶ!」
舞は、泣きじゃくりながら震える声で叫んだ。
清左衛門が雛を支えながら立ち上がると、辰吉も着物の裾を払いながら立ち上がり、清左衛門の手から雛を受け取った。
辰吉に抱かれた雛は、あまりの出来事に声を出すこともできず体をこわばらせ震えていたが、幸いどこにも怪我は負ってはいなかった。
「辰吉、ありがとう。お前がいなかったら雛に大怪我を負わせるところだった」
「旦那さま、雛お嬢さまも、怪我がなくて本当に幸いでした」
辰吉の言葉に清左衛門は、息を整えながら静かにうなずいた。
清左衛門は着物の土を払い、この事は店の者は無論のこと妻の糸にも話さないようにと固く口止めをした。
そんな関の港の早朝の波止場に、廻船問屋を営む、坂江屋の主人 清左衛門と番頭の辰吉が立って穏やかな美保湾の沖合を眺めていた。
あたりがしだいに白み始めてくると、沖合は靄に覆われ、漁をする舟の漁火がかすかに見え隠れしている。
夜明けと共に輝きを失った月と、港に係留された船が墨絵のように海に浮かんで見える。
東の空が、柔らかなオレンジ色から銀色に変わり始めると、海にかかっていた靄はしだい晴れて、あたりは急に明るくなり霊峰大山が顔をのぞかせた。
太陽は眩しい光を放ち、空には雲ひとつない小春日和。
沖合から吹きつける風が、清左衛門の細身で華奢な体を小刻みに震わせた。
「旦那様、冬も近くなり風が冷たくなってまいりましたなぁ」
辰吉の言葉に、清左衛門は腕組みした両腕で身体を擦りながら頷いた。
「そうだなぁ、もうすぐに霜月になる。美保丸は、今、どのあたりを航行しているか知らせは入らぬか?」
清左衛門は沖合をみつめながら言った。
「蝦夷を長月の初めに発って、越後、加賀、若狭、の国々で荷積み済ませ、但馬の国を、三、四日前に出港するとの知らせがございました。今頃は因幡国の沖合を航行しているものと思います」
「そうか。それでは今日、遅くとも明日の朝の内には帰ってこような」
さも、待ち遠しそうに頷いた。
清左衛門の父親の彦左衛門は、背丈は低かったが、骨太で頑健な躯体の浪花節堅気で人情に厚い当主であったが、清左衛門が三十路を過ぎたばかりの頃、急な病に倒れたために、当主の座を清左衛門に譲り、隠居の身となって療養に努めていた。
しかし、彦左衛門の病は療養の甲斐もなく、平癒するどころかさらに悪化していった。
死を悟った彦左衛門は、辰吉を枕元に呼び寄せて、清左衛門の後見役と店の将来を辰吉にして託して静かに浄土へと旅立って行った。
辰吉の父親の辰蔵は、この界隈では名の知れた漁師だったが、一人息子の辰吉が七歳のとき、節句に揚げる鯉のぼりを買う金を稼ごうと、荒海に舟を漕ぎだして時化に遭い、行方不明になってしまった。
あとに残された母親の峰は、消息の分からなくなった辰蔵の身を案じる日々が続くうちに、心労や疲労も重なり辰蔵の後を追うように亡くなってしまった。
子供のなかった彦左衛門は、身寄りもなく、独りになってしまった辰吉を引き取り、我が子のように大切に育てた。
それから数年たって清左衛門が生まれたが、彦左衛門は辰吉と清左衛門を差別することなく、歳の離れた兄弟のように、読み書き算盤から礼儀作法まで、分け隔てすることなくたたき込み、大店、坂江屋の大番頭が任せられる器にまでに育てたのだった。
天 の 浮 橋
白 雲 善 恕
日本海をさえぎるように延びる島根半島は、岬と湾が交互に鋸歯する荒々しい岩肌が続く半島で、岬の尖端には鳥居が建てられ遙配所も設けられている。
鳥居の正面に立って海を眺めると、遥か彼方には沖之御前と呼ばれる島が望め、眼下の深く落ち込んだ断崖の先には地之御前と呼ばれる島が浮かんでいる。
この二つの島には事代主神が鎮座され、古くから神の宿る島として地元の人々から崇拝され崇められてきた。
古のころ、この岬の断崖の岩場に海運業や漁業を生業とする人の手によって、七体のお地蔵さんが祀られ、航海の安全や大漁を祈願したことから、いつしかこの岬を人々は地蔵御崎と呼ぶようになった。
また、この半島のふところに抱かれるように広がる、穏やかな内海は美保湾と呼ばれ、その一角にある袋状の天然の入江に、関の港は開かれ、時化の日本海を航行する船舶や漁船の避難場所として重要な役割を担っている。
港から望む対岸には、美保湾から中海に通じる境水道を挟んで、弓ヶ浜半島の白い砂浜と松林が弧を描くように延び、霊峰大山の麓へと流れるように続いている。
うららかな小春日和ともなれば、深い藍色に染まる美保湾と、大山山麓のモミジ、カエデ、ナナカマド、ブナなどに彩られた、色彩豊かな眺望は絶景である。
そして晩秋の頃には、大山山麓から霞が湧きあがり、雪におおわれた山頂から朝日が昇ると、まるで天女が天空で舞でも舞っているかのような神秘の世界にいざなわれ、我を忘れ吸い込まれるように立ちすくむこともある。
このような風光明美な地にある関の港は、三日月形の狭あいな地にも関わらず、往時のころは廻船問屋、呉服問屋、米問屋、海鮮問屋、醸造所、旅館などがひしめくように軒を並べ、北前船も行き交う出雲、伯耆、因幡の海の玄関口として大いに栄えていたという。
我が国の電力事業の歴史は、明治16年東京電灯会社が民間資本で設立されたのが始まりで、同21年から30年にかけて主要都市でも民間資本による電灯会社が相次いで設立されると、それが地方の中核都市にも次々と波及していった。
その後、日露戦争後の明治40年頃の急激な経済拡大に伴う好景気を背景に、参入企業はさらに増大して電力事業は活況を呈した。
しかし、明治42年から43年の日露戦争景気の反動を契機に起こった不況で、基盤の脆弱な企業は整理統合される一方、不況を乗り越えた会社でも企業間競争が激化した。
大正3年に第一次世界大戦が勃発すると、翌4年から7年にかけて好景気を迎えて、急激な工業化によって電力需要が増大し供給力に不足をきたしたため、卸売火力発電会社が設立されるに至った。
しかし、第一次世界大戦後の大正10年頃になると、一転して大恐慌となり既設電力会社に甚大な影響を及ぼし、合同、合併、譲渡が進んだ。
このような過程を経ながらも明治40年から大正14年の間に、事業者数は116から738社と約6倍に、また、発電量は12万kwから280万kwと24倍に増大し、日本の経済活動ならびに国民生活にとって重要かつ主要な地位を占めるようになった。
昭和2年頃から政府内部において、日本経済の伸長に対応する電力供給の長期安定化を趣旨とする、電力統制の議論が持ち上がるようになった。
同5年4月に第二次若槻内閣は、電力統制を目的とした電気事業法の抜本的改革案を提出し、翌6年4月に以下の内容で公布し同7年12月より施行した。
1.電気事業統制下における発送電設備の建設と利用面の合理化。
2.供給責任と需要家の保護。
3.電気事業会計規定の改定。
同年10月、岡田内閣により設置された内閣調査局の「電気は空気、水、光と同じくこれを営利事業の対象とすべきではない、良質な電気を、豊富・低廉に供給するには国営にすべし」との主張の下に、電力国営化論が台頭した。
これに対し電気事業者からは「政府が電力を国家管理しようとするのは、経済構造全般を変革しようとするもので国営論には幾多の無理がある。これは一電力会社だけの問題ではない、国家主義を基にした思想的な問題である」と、一般世論を巻き込んだ反対運動が起こり成立に至る過程には紆余曲折があったが、同13年3月に国家管理法を次の要旨で決定した。
1.管理の範囲
(1) 主要新規水力発電設備、主要火力発電設備は国家がこれを管理する。
(2) (1)の設備は、新たに設立する特殊会社において新設し、既存の設備はこの特殊会社に出資させる。
2.配電事業
(1) 配電事業についても統制強化を図るため、区域の整理統合を行い供給事態の改善、電気利用の普及促進を図るとともに、料金の低廉かつ均衡を得るよう監視を拡大する。
上記の国家管理法の基、昭和14年に日本発送電(以下、日発という)が発足した。
その後、日発の発送電管理は更に強化されることになり、同17年には国内の発電設備の65%を所有することになった。
また、配電会社についても昭和16年の国民総動員審議会において、全国9特殊配電会社を設立するとの審議を経て410余りの電気事業者を、第一次、第二次統合を経て、同18年に9配電会社の体制が完了した。
我が国の電気事業は、戦時経済という特殊な条件の中で、既存の電気事業者の全面的な合同の基に、日発と9配電会社の10社による独占体制となった。
第二次世界大戦の敗北を機に、電気事業の運営体制について活発な議論が巻き起こるようになった。
地区別配電一貫論、日発および配電会社の拡充強化論、発送配電一元論等、電力事業再編案は激しい論議を経ながらも、三鬼隆(日本製鉄社長)松永安左衛門(東邦電力社長)などの努力によって作成された「発送配電一貫経営の全国9ブロック会社案」が、昭和25年10月の国会に提出され、同26年5月1日から現在の9電力会社体制が発足した。
その後の各電力会社は、昭和40年代後半までの高度成長の波に乗り、自由化の下に
安定経営に努めてきた。
昭和40年代後半からは、二度にわたって石油危機に襲われて調整期を迎えたが、昭和60年代に入って円高不況を克服するとバブル経済による平成景気を迎えた。
平成5年頃からの長期不況に襲われながらも、公益事業としての地域独占体制の基に着実の発展を続けてきた。
しかし、平成23年3月11日の東日本大震災に伴い発生した、東京電力福島第一原子力発電所事故対応の不手際から、原子力発電所の全面停止という非常事態に追い込まれ電力の需給バランスが逼迫し、各電力会社は未曽有の危機に直面している。
競争力導入を目的として平成12年3月21日に公布された、電力の自由化議論が東京電力福島第一原子力発電所の事故以降、官民の間でさらに活発に行われるようになり数年後には、電力の完全自由化が実施される見通しとなっている。
今日までの電気事業の歩み大きく分類すれば、明治16年から大正14年頃までの電気事業創業時期を第一期、昭和2年から同25年までの電力統制を含めて時期を第二期、昭和26年から平成12年の9電力体制下での地域独占時期を第三期、平成12年から現在に至るまでの電力の部分自由化の時代を第四期とするならば、地域独占による9電力体制を解体し、平成26年より順次実施されようとしている、発電、送配電、販売を分離した電力全面自由化の時代を第五期として分類できるのではないか。
電気事業を取り巻く政治情勢
景気回復が一向に進まず閉塞状態が続く中、小泉純一郎氏は「構造改革なくして景気回復なし」を旗印に掲げ自民党総裁選に臨み、国民の世論を背景に自民党員の高い支持を得て、4月24日橋本龍太郎首相他の候補を大差で破り新総裁に選任され、4月26日の首班指名選挙で首相に就任した。
小泉内閣の支持率は、各種世論調査で80%以上の圧倒的な国民の支持率を得て順風満帆な船出をした。
小泉首相が掲げる「構造改革なくして景気回復なし」の政策実現の施策は、以下の4点に要約できるのではないか。
1.特殊法人で民営化できるものは民営化し、民間活力を活かす。
2.規制の緩和、撤廃の見直しを徹底的に行い競争力に導入を図る。
3.緊急経済対策の速やかな実行。
4.不良債権の早期処理。
しかし、これらの政策実現には当然痛みを伴うものであるが、先般報道されたフジテレビ系で放映された「報道2001」の世論調査では「構造改革には痛みが伴うが我慢できるか」の問いに対して、我慢できる65.6% 我慢できない27.4% と多くの国民は小泉首相の政策を支持している。
従って、これらの世論の趨勢から考えると、電力事業においても規制の緩和、撤廃は更に進み、新規参入企業を含めた各電力間の競争が激しくなることが予想され、早急な企業体質の強化が求められる。
電気事業の現状
電力業界が現在の9電力体制に再編されて、平成13年5月1で創立50周年を迎えた。
この半世紀の間に全国の電力需要は27倍に増加し、各電力会社は着実に成長を遂げてきたが、平成不況による景気低迷で電力需要に急ブレーキのかかる中、第三期時代に風穴を開け第四期時代の引き金となったのは、平成12年3月21日から始まった電力の部分自由化である。
総合商社、石油会社、ガス会社、外国企業等が電力市場に参入するとともに、地域独占に守られてきた既存の電力会社間の競争も始まった。
電力安定供給を目指す自民党のエネルギー政策基本法(案)の評価には「米カリフォルニア州の電力危機を受け、やみくもな自由化は危険である」との意見もあったが。冒頭で述べてように、小泉内閣の発足の経緯から推測すれば、二年後の制度見直しでは自由化対象が拡大されるのは確実で、新規参入者を含めた競争の激化は避けられないものと考えられた。
本格化する電力自由化は、電力事業の第一期後半から第二期前半かけて電力会社が乱立して、競争が激化した時代に戻る可能性もとの指摘もある。
自由化の行くつく先は、サービス、料金値下げの競争であり体力勝負となることは容易に予想され、また、石油、ガス、燃料電池、自然エネルギー、分散型電源などを含めた各エネルギー間の競争も激化するであろう。
しかし、この半世紀にわたって電気事業者が営々と努力し築き上げた「良質な電力の安定供給体制の確立」この精神は、電力事業がいかなる形態に変容しようとも確実に継承しなければならない。
<p/p>
政治に望むこと
これまで述べてきた、政治の流れ、電気事業の変遷と現状、現業部門での対応策等は、電気事業の未来を危惧し記述したものであり、電気事業がいかなる形態に変わろうとも電気は国民生活にとって欠かすことのできないエネルギー源であることには変わりはない。
ひとたび、過去のアメリカ カリフォルニア州で発生したような大停電が日本で発生すれば、日本経済、国民生活にとって計り知れない大打撃を与えることになろう。
今後、電力事業は新規参入企業、各電力会社、エネルギー源間での激しいお客さまの争奪戦が起こるであろうが、国民生活を守るためには競争の中にも秩序ある政策を望むものである。