村では怪物の噂を聞いた女や子供たちに交じって、ようやく元気を取り戻した礼香が茅葺の屋根から、簾のように氷柱の下がった、義助の家の軒先に集まり誠輝たちの帰りを待っていた。
「あ!あそこに灯りが見える」
村人の一人が叫ぶと、今か、今かと帰りを待ち構えていた人々は、一斉に村人が指差す先を食い入るように見つめた。
すると、暗い雪原の雪明かりの中に、ロウソクの炎ようにかすかの揺れる灯りが見えた。
その灯りは、しだいに近くなるにつれ大きくなり、松明をもつ男たちの灯りとなって村に向かって来た。
誠輝を先頭に天狗を乗せた橇が義助の家の軒先に着くと、橇を引いた男たちが、天狗をくくりつけていた縄を解き、被せていたムシロをはぐった。
息を殺してこの様子を見守っていた、女や子供たちが死んだように橇に横たわった天狗を取り囲むと、義助は村人に言った。
「この怪物が、大山の山奥に住んでいるといわれているカラス天狗だよ」
村人は食い入るように天狗を見つめながら一応に驚きの声を上げた。
「いったいどうして、こんなところに現われたのかしら?」
「あぁ、かわいそう。まだ若い天狗さんみたいなのに」
などと口々にささやいた。
男たちが天狗の衣に着いた雪を払い落し、氷のように冷たくなった身体を抱え、囲炉裏の傍らに横たえると、女たちは天狗の身体を温めながら懸命に介抱した。
一時間くらいたったころ、死んだようになっていた天狗の顔にほんのりと赤みが戻ってきた。
「もう大丈夫、きっと助かる」
義助が天狗の顔を覗き込みながら言った。
「よかった、よかった」
天狗を取り囲んでいた村人は、お互いに手を取り一応に“ほっと”した表情を浮かた。
礼香は天狗を取り囲んでいた村人の間から、覗き込むようにして天狗の顔を見ると目頭にそっと手を運んだ。
それから間もなくして天狗は薄目を開き、ぼんやり周りを見回していたが、あまりに多くの人たちに取り囲まれているのに驚き、咄嗟に立ち上がろうとした。
しかし、衰弱しきった天狗には立ち上がるだけの体力は残っておらず、“ヨロヨロ”と倒れそうになるところを村人に支えられ、再び囲炉裏の傍らに寝かされた。
「心配せんでも大丈夫、安心してやすみなさい」
義助は孫でも諭すように優しく言った。
「ここは、いったいどこですか?」
天狗は、弱々しい口調でおおいかぶさった顔に向かって尋ねた。
「ここは種原という大山の麓の小さな村だ」
と、義助が答えた。
そして、天狗が大野池の崖下で雪埋めになって倒れていたのを、村に運んで介抱したしたのだと教えてやった。
すると天狗は、事の成り行きをようやく悟ったように村人の顔を見まわした。
「ところで天狗さんは、どうしてあんなところで倒れていたんだね?」と、義助が尋ねると
「実は、私は大山に住む、カラス天狗の勇翔というものです。今年の冬はこれまで経験したことのないほどの大雪で食べ物にも事欠くありさまで・・・・・・・・・・」と、この冬の苦しい実情を語った。
カラス天狗と言えば、超人的な霊力や神通力を備え、時に、人々から恐れられ、また崇拝されてきた怪物。
その天狗でさえ、この年に降った大雪の猛威に太刀打ちすることが出来ず、こうして目の前に横たわっている。
村人はこの現実を目の当たりにして、自然の厳しさ、恐ろしさを改めて思い知らされたのだった。